朝は6時半くらいに一度起きたが、眠かったのでもう一度寝てしまった。起きた時にはもうマーシャの母親は仕事に出掛けてしまっていた。散々御世話になっていたのに最後の挨拶が出来なかった。
8時に起きた時にはマーシャとゼーニャ(アンチョンの彼女)がキッチンで紅茶を飲んでいた。
俺も一緒に座らせて貰って、朝食にパンやチーズ等を頂いた。今日はアレクセイも早く起きてきた。そして、ゼーニャは徹夜でデザインの仕事をしていて、それが仕上がったそうで出掛ける準備をする。
朝食の後はインターネットをやらせて貰う。アレクセイの実家はチェラビンスクから西にあり、その区域に住むアレクセイの弟の友人知人に連絡してくれていて、俺が今晩泊まれそうな家を探してくれていた。しかし、返事が無かったので、俺はHospitality Club (hospitalityclub.org)のメンバーを見つけたので泊めて貰えないかとメールを送った。
それから準備をしていたら出発は12時になってしまった。水をボトルに入れて貰い、マーシャから沢山のピロシキを貰い、アレクセイのアパートを出る。アレクセイは大通りまで送ってくれた。別れ間際、「ロシア人にどうなって欲しいか」とアレクセイは質問してきた。
俺は答えに困ったが、ロシア人が自由に旅行できるようになって欲しい、と伝える。俺の返事の声は震えていた。今にも泪が零れそうだった。今の世界は非常にアンフェアだと付け加えもした。自分は日本に生まれ自由にロシアを旅行できる。しかし、自分を歓迎してくれている一般ロシア人は自由に旅行が出来ない。
イルクーツクで御世話になったイリーナ。ケメロボで御世話になったウラジミール。オムスクのターニャ。そしてこのアレクセイ。挙げたらきりが無いが、みんな俺よりも遥かに優秀な人達だ。でも、自由旅行は制限されている。どの星の下に生まれたか、などと占いではよく使われる言葉だが、当にそのとおりだ。生まれた場所が違うだけで人生が変わる。それが運命というものか。アレクセイを抱擁して分かれる。走り出したら途端に泪が出てきてしまった。俺に出来る事は何も無い。俺に出来る事は感謝する事だけだった。本当にありがとう。
チェラビンスクのM5 の幹線道路に出る前にブレーキが効かないので調整をする。クラスノヤルスクでもそうだったが、永い事、雨の中を走った後は調整する必要があった。今日は少し強めにネジを締め付けた。
キオスクのような小さな売店が並んだ通りで、帽子を探した。ノボシビルスクのパベールに買って貰った帽子を失くしてしまったのでその替りが欲しかった。でも、大きさが合わなかったり、帽子のつばの具合が気に入らず買わなかった。
アレクセイに教えて貰った通りを曲がり、ウファに向けて進む。幹線道路なので交通量が多く、歩道を少し走ったりしたが、殆ど車道を走って街を抜ける。雨が途中降ったが、街を抜ける頃には青空が見えたので、これでまた良い思い出の街になった。もし雨のままだったら、雨の中を走る辛い思い出になってしまう可能性があったので良かった。
途中、何度も止まってマーシャの母親が作ってくれたピロシキを食べる。途中、道路工事の区間があり、舗装は終わっているが線引き等の仕上げが残っている区間があり、そこは自動車の通行が閉鎖されていたが、俺はそこを走った。気持ちよかった。自動車を気にしなくて済むのと、スムーズな路面の上を走るのは非常に楽だった。これがモスクワまで続いていたら、なんて思ったが、そんな道路は直ぐに終わってしまった。そして幹線道路だけあって、交通量が非常に多い。あるトラックの運転手は、道路を開けろと言わんばかりにクラクションをけたたましく鳴らして行く。でも、90% のドライバは親切に俺を避けて通って行ってくれる。
多少の登り下りはあったが、以前のように短いものではなく長い坂だったので少しは楽だった。それと風は追い風だったので助かった。
夜9時位にミアースという町との分岐点に差し掛かり、広い敷地を持つ何かの工場の中の敷地にテントを張らせて貰おうと思って、警備員に聞いてみると、責任者のような人に聞いてくれてOK してくれた。でも、俺は夕食を未だ食べてなかった。ちょっと先にカフェがありそうだったので、そこに進んだ。そしてカフェの並びにあった自動車部品のお店の人に、同じようにテントを張りたいと伝えると、他の人を呼んでくれた。現れた人にテントを張りたいと伝えると、300ルーブルで夕食と明日の朝食とバーニャを提供するとの事だった。寝る場所と食事とサウナで300ルーブルは安い。でも、俺はそこでお金を支払ったら何を次に要求されるか分からないと思ってその話には乗らなかった。そして幹線道路から少し離れた場所に鉄のパイプで作られた質素なゲートがあり、俺がそのゲートを潜って入ろうとしたらその人から入るなと止められてしまった。この村には何かがあるような気がした。
エカテリンブルグのセルゲイの事務所の職員が面白い事を言っていた事を思い出した。その人は、村には入らないようにした方が良い、と言っていた。俺はそれまで小さな村の人達にどれだけ親切にされてきたか分からない。だからこの青年は何を言っているのか、とその時は思った。でも、これが彼の懸念していた事だったのかもしれない。村の入り口はゲートが降ろされ、通行人を村の住民が常に監視している。ノボシビルスクの郊外の村でも、同じようにゲートに囲まれた村があったが、そこは制服の監視員が居た。村の中に何があるのか興味があったが、触らぬ神に祟りなし、と思いその場を離れる。
仕方なくカフェに近付くと、駐車場の警備員が居たので聞いてみると、警備員の小屋に泊めてくれると言う。小屋の中に自転車を入れて、ベッドの上に寝袋を敷いて寝られる事になった。小屋に鍵を掛けてもらい、俺はカフェに行って夕食に魚、マカロニ、サラダ、ケフィール等を食べる。
夜の10時過ぎに家族から電話があり、足の痙攣の事を調べてくれたそうで、やはりカルシウム不足で痙攣を起こす事があると言う。俺は努めて乳製品を摂ることにした。
数日後に到着するであろう次の都会、ウファに住むイリヤからSMS が届き、イリヤの家の区域の名前や方角を教えて貰った。街の中心からの方角を教えてくれたのはチェリャビンスクのアレクセイに次いで二人目だ。街の中心から北東のようだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿