2008年7月01日 (66日目) M5、チェリャビンスク


今日から7月。旅行を始めて2ヶ月以上が過ぎた。朝は夕べの続きで雨だったが先に進む。そして今日は140キロ以上走らないといけない。直に雨が上がってくれる事を期待した。カフェでは4つのピロシキと紅茶を食べて朝食とした。食べ終えても雨は上がらなかった。

自転車を取りに事務所の入り口に行くと、夕べは居なかった青年が、顔を洗ったら良いと綺麗な広いトイレに案内してくれた。そして、水も必要だろうと気を遣ってくれた。こんな嘘のような事が起こるのだ。俺の支払った夕食代と朝食代は僅かなものだったのに、その青年はとても大事なお客として扱ってくれた。俺はカフェの客として扱われたのではなく、一人の人間として扱われたのは分かるが、とにかく嬉しかった。

昨日のトラックのドライバの一人はもう出て行ってしまったようだ。そして、年配の方のドライバに礼を言って分かれる。この人が居なかったら、俺はガゼボのようなところでテントを張らなければならなかったと思うと、人との巡り合せとは本当に不思議なものだと思う。



道路はいつものように良くなったり悪くなったり。でも良い区間が長かった様に思える。そして坂は少なかった。


11時位だったか、今晩泊めて貰う予定になっているアレクセイにSMS を送り、夜の7時くらいにはチェリャビンスク(Челябинск)に着けるだろうと伝えると、返事が直ぐに来てアレクセイの家は街の南東との事だと教えて貰う。

ロシアの都会ではいつもCouchSurfing のメンバーの家に泊めて貰っていたが、今まで誰一人として自宅の方角を知っている人は居なかった。街の中心からどの方角に家があるのか教えてくれたのはアレクセイが初めてだった。俺は北から南に向かいチェリャビンスクの街に入るので、街の中心を越えなければいけない事が分かった。もし街の北だったら今日走る距離が多少短くなるので期待したが外れた。



朝からの雨は上がった。レインパンツを脱いで走った区間もあったが、それは短くまた雨が降りだしてしまった。でも、幸いな事に無風に近かったので距離は計算どおりに進んだ。

中央分離帯を挟んで道路の反対側にあったカフェに寄る。いつものボルシチ、玉子焼き、マカロニ等を食べる。カフェには4人の客が居て全員がドライバだった。

俺にロシア語が分からなくても、俺のやっている事に興味を示してくれて色々な質問をしてくれる人と、ロシア語が分からないので話を続けるのは無駄だと直ぐに諦めてしまう人と、色々だ。

この4人の中のドライバの3人は後者だった。3人は残りの一人のドライバに、ロシア語が分からない奴に何を言っても無駄だ、というような事を仲間内で言っていたと思う。でも、その一人はしきりに色々な質問をしてくれた。俺には質問が分からず殆ど答えられなく申し訳なかった。

カフェのテーブルは外に並べられていて、屋根はテントのようなものだった。そのテーブルの端には蒔き木でお湯を沸かすボイラーがあった。今まで何度かバーニャに入れて貰ったが、ボイラーはバーニャの中にあるドラム缶のような簡単なものだった。食事の後、体温が上がっているはずなのに全身びしょ濡れの体は冷えが収まらず、ボイラーの近くに寄ると生き返るようだった。


温まったところで走り出す。何故か昼食を食べた後なのに何かを食べたい。しかし持っていたバナナ、クッキー、そしてお菓子の全て食べ尽くしてしまい、残ったのはキャンディだけ。仕方なくキャンディを舐めながら走る。


しかし夕方になると疲れなのか空腹なのか無性に何かを食べたくなりАЗС(ガソリンステーション)に入ってみるが、どこもお店が無いので何も買えない。そのまま進むとチェリャビンスクの市の境界線を越える。

アレクセイにSMS を送って市内に入った事を伝える。しかし、その後直ぐに雨がまた降ってきた。バス停があったのでそこの屋根の下で雨宿りをする。夕立だと思い30分位休んだが、雲行きは変わらず、雨が上がる気配は無かった。仕方なく雨の中を走り出す。

走り出す前にバス停に居た人にアレクセイからのSMS を見せて、ここからどれ位の距離かと聞くと10キロ位だろうとの事だった。

チェリャビンスクの街は大きく見えた。この都会のどこへ俺は行ったら良いのか分からない。アレクセイのSMS にある道順が分かっても、それがどれくらい先なのか見当が付かない。不安と言うよりも街に進むのが嫌だった。小さな町だったら多少道を間違えても問題ないが、都会ではちょっと間違ったら全然違う方向に進んでしまいそうで嫌だった。ロシア語が話せたらどんなに気が楽だったか。

とりあえずM5 の幹線道路を進む。いつもの事だが、バスも自動車も容赦なく水を撥ねて通り過ぎていく。次第に雨は激しくなり、ビニール袋に包んでいる靴の中も遂に濡れ始めた。片側4車線と道幅は広いが、道路の右端には水が溜まっていて車は走ってない。そして直にペダルが一番下に降りた時に靴は水の中に入ってしまった。それからは誰も走ってない右から2番目の車線を進む。時々先を急ぐドライバがクラクションを鳴らして行く。

どれだけ進んだら良いのか分からない。でも、街の中心のレーニン通り(Проспект Ленина )は未だ辿り着いてないのは分かっていたので進む。街の中は登り下りの坂があった。雨の中のブレーキは何も効かない。そして、下り坂を雨水が勢い良く流れているので転びやしないかと神経を使った。

そして店を見つける。お店の人には申し訳なかったが、濡れたレインギアを着けたまま店に入り、ヨーグルトとアメリカのキャンディSneaker 等を一気に飲んで食べた。すると客の一人が俺に興味を示してくれて最後には写真を撮ってくれた。そして記念にと10ルーブルの紙幣も貰った。金額にしたら大した事はないが、雨の中こんな人と会えて嬉しかった。
(追記:この時に携帯電話を確認したら液晶のディスプレイは既に水が滲み込んでいたが、俺はそんな事は気にならなかった。)

街の中は車が多いので歩道を走るが思うように進めなかった。そして遂に歩道も水かさが20センチから30センチに達するまでになってしまった。ペダルを漕ぐ足は水の中。自転車の両輪、前後のパニアは水に浸かってしまっている。でも、俺はどうでも良かった。とくかくアレクセイの家に行けば乾いた寝床が待っていると思い無心に走る。

そして、道路の全幅が川のようになってしまった。俺の横を徐行する車はありがたかったが、容赦なくは進む車から撥ねる水を俺は頭から被った。またしても泣きっ面に蜂。文字通り頭からつま先までずぶ濡れ。靴の中の水が気持悪かったが、どうでも良い。パニアの中の寝袋も着替えも濡れてしまっているだろうが、それどころではない。どうやってアレクセイの家に着けるのかが問題だった。

全身ずぶ濡れになり、持ち物も濡れてしまっていると思うと、道のどこを走っても同じだった。そしてやっとレーニン通りが見つかる。街の中心の通りと思われ、バス停には雨なのに沢山の人がバスを待っていた。


信号を超えてバス停前の僅かな軒下で雨が凌げる場所を見つけて、携帯に残っているSMS のメッセージを見ようとしたらディスプレイにはSIM を入れるように、と表示されている。どうした事かと思った。携帯電話の裏の蓋を開けてみると水が入っている。携帯は小さなビニールの袋に入れて、レインギアのジャケットの内側ポケットに入れてあったのだが、頭から被った水のためか、携帯の内部にも水が入ってしまっていた。失敗した。レインジャケットを信用してしまったのが間違いだった。

10日程前、オムスクで新しいレインジャケットを買ったのだが、それ以前に持っていたノースフェースのジャケットも大雨の中では役に立たなかった。ゴアテックスという素材で外側の雨は浸透せず、内側の汗は外に抜けるはずだったが、大雨では何も役立たないという事だ。水の絶対量が多いので駄目なのだろう。

携帯電話の電池を抜いて水をティシューで拭いてみた。そして電池を戻して俺は携帯の電源を入れた。電源が入らない。逝ってしまった。俺としたことが。濡れている時に電源を入れてはいけない事は分かっていたはずだが、アレクセイからのSMS を読みたい一心で電源を入れてしまった。もうSMS は読めない。ここからの道順が分からない。この交差点からもっと南下しても良いのか、ここを曲がったら良いのか覚えてない。自分の記憶力の無さに呆れようにも疲れていてそんな気も起こらない。

永い距離を、そして長時間走り続けたので、もうどうにでもなれという気持だった。いざとなれば橋の下にでも寝れば良い。でもいつも辛い時にだけ思うのが、捨てる神あれば拾う神あり、という勝手な願い事。そしていつの間にか一人の若者が近くに寄って来たので話をした。

その時、俺はアレクセイの電話番号は携帯の中だけに記録されていると思っていた。携帯が壊れてしまった今、もうアレクセイと連絡出来ない。でも、ふと青年にアレクセイの事を話していると、ある事を思い出した。オムスクのターニャの家に泊めてもらった時に、日記の裏にもアレクセイの携帯電話の番号を書いた事を思い出した。そして日記をフロントバッグから取り出すと、あった。アレクセイの電話番号が残っていた。大雨の中でもフロントのバッグの中のノートは濡れずに済んだ。

俺には恥も外聞も何も無い。俺には怖いものも恐れるものも何も無い。俺はその青年に携帯が壊れてしまったので、俺の知人に電話して貰えないかと頼んだ。最初は何を言っているんだ、という感じだった。でも、間髪入れずにその青年の友人二人が現れた。するとそのうちの一人が電話してあげると言うので、電話番号を伝えた。その青年は俺に電話を貸してくれて、俺はアレクセイと話が出来た。

アレクセイは俺に、そこを絶対に動かないように言った。まるで俺は迷子の子供だ。直ぐに支度して向うから、何が何でもそこを離れないようにとアレクセイは言葉を繰り返した。アレクセイが迎えに来てくれる。どこから来るのか分からないが、俺のところへ来てくれると言う。

俺は嬉しさ余って3人の青年の写真を撮った。彼らに出会えて良かった。

そして俺はアレクセイとの約束を破って、道の反対側にあるキオスクの様な店に行った。アレクセイが1分で来るのか30分で来るのか分からないので急いだ。そして紅茶を入れて貰って直ぐにバス停の前に戻った。アメリカでは水を入れて飲むのに使う半透明の薄いコップだった。そんなコップに熱い紅茶が入っていたのと、片手で自転車を押さなければならないのと、コップの上の縁を掴んで慌てて横断歩道を歩いたものだから、小さなコップの半分はこぼれてしまった。残った紅茶を熱かったが一気に飲んでしまった。それからは動かずに待った。

30分位するとアレクセイが現れた。助かった。アレクセイは奥さんの弟アンチョンの自動車で迎えに来てくれた。でも、車は小さいので大人3人と自転車は積めない。雨がまた酷く降り注ぐ中、試行錯誤の結果、自転車を後ろ座席に積んで、積み切らない荷物は助手席に乗せて、アレクセイの義理の弟は運転して帰り、俺とアレクセイはバスに乗って帰ることになった。3人共一気にびしょ濡れになった。路肩を川のように流れる水は足のくるぶしを超えている。アレクセイもアンチョンも文句一つ言わずに自転車と荷物を車の中に押し込んでくれた。

暫く歩いて違うバス停に移動してバス停で待つ。、低い空の上では雷が鳴り響いていた。でも、雨はさっきよりも小降りになった。ミニバス(マルシュルートカ)に乗ってアレクセイの家に向う。長い道のりに思えたが、今晩泊めて貰える所があるかと思うと、それだけで嬉しかった。

アレクセイの家に着くと、アレクセイの奥さんマーシャとマーシャの母親スビャータが喜んで迎えてくれた。マーシャは直ぐにシャワーを浴びて下さい、と用意してくれたので、直ぐにシャワーを浴びさせて貰った。長い一日の疲れが飛ぶ。シャワーから出てみると、アレクセイとアンチョンは自転車とバッグを車から全て持って来てくれていた。俺は一番大変な事を任せてしまった。本当にありがたかった。

シャワーを浴びた後は、全員で夕食。みんな俺の事を待ってくれていたのだった。既に夜の10時を回っていた。乾杯にとシャンペンを開けてくれたので、俺は勧められるままに少し飲んだ。アレクセイ以外は英語をよく話せなかったが、アレクセイが通訳して色々な話をしながら食べ終えたら午前12時を回っていた。俺はほんの少し飲んだシャンペンで酔ってしまい、自分の自転車の片付けや荷物を乾かす事を出来ず、靴だけはアレクセイに紐を解いて早く乾くように頼んで寝てしまった。アレクセイに何と感謝したら良いのか。本当にありがとう。

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