夕べは遅くまでインターネットをやっていたのだが、今朝は7時前に目が覚める。そして続きのインターネットをやろうと思ったら、PCのログインのパスワードを入力するようになっていてセルゲイが起きるまで使えなかった。でも7時半位にセルゲイが起きてきたのでその後直ぐに使わせてもらった。メールと地図を確認したり、CouchSurfing のメンバーに対して泊めて欲しいとリクエストを送る。セルゲイの彼女は先に仕事に出かけて行って、そしてセルゲイも直に仕事に向った。
俺は準備をして9時過ぎにセルゲイの家を出て、セルゲイの仕事場に向った。携帯電話のSIMカードを購入したかったので、セルゲイの事務所の誰かにそれを買いに一緒に行って欲しいとお願いしてあった。セルゲイの家を出て、昨日の線路を自転車を持ち上げて渡り、P351の幹線道路に戻り、エカテリンブルグ(Екатеринбург)の街の中心に向う。自動車専用道路のように思えたが、他の道を進んだら迷ってしまいそうで、仕方なくそのまま進む。
立体交差ではインターチェンジのように道路がらせん状になっていて、自動車が隣を早いスピードで行くが仕方ない。自分は北向きに走っていたが、その交差する道を西に進まないといけないので車と車の間を急いでらせん状の坂を登る。
セルゲイの事務所は直ぐに分かった。でも事務所が入っている建物の守衛が入り口の机に座っていて、俺の自転車が気に入らないようだった。でも、俺は努めて明るく振舞いキャンディーを渡したら喜んで受け取ってくれ、その後は自転車の事を何も言わなかったので助かった。
セルゲイの事務所の中では、セルゲイが職員を集めて熱弁を振るっていた。戦略会議といったところだろうか。俺はそれが終わるのを待った。30分くらいが経過しただろうか。そしてセルゲイは職員の若い一人に、俺と一緒に携帯電話の店に行って欲しいと伝えてくれたので、俺はその職員アンドレと一緒に事務所を出る。事務所の各職員は少しばかりの英語が出来たが、一番英語が得意なのはアンドレのようだった。
(左上:セルゲイと彼女) (右上:セルゲイの事務所の職員)
アンドレの自動車に乗せてもらって携帯電話の店に向う。車はルノーの新車だった。若いのでまるで新卒と思われるアンドレがどうして新車に乗っているのか分からない。アンドレの自動車の運転は実に人の良さそうなものだった。ロシア人にしては珍しいのではないかと思った。周囲に気を配り、道を他人に譲り、慌てる事の無い運転。俺は車の運転に自信があるからそんな事に気付くのか、それとも英語がうまく通じないので敏感になっていたのだろうか。
道路に車を停めて街の中心街の路地に歩いて進む。いつもの黄色い色の看板の携帯電話屋が見つかる。そこでアンドレは色々と契約に付いて質問していたが、最後に俺は115ルーブル支払って新しいSIM を手に入れることが出来た。もし俺が残高を超えて通話した時には、彼のパスポートを使ってSIMを買っているので彼に請求が行く事になる。でも、これは今まで俺の為にSIMを買ってくれて全ての人と同じ条件だ。
ウラジオストックのエフジェニア、クラスノヤルスクのフィヨドール、そしてここエカテリンブルグのアンドレにSIMの購入を肩代わりしてくれた。もしそれぞれの地域でSIMを買えなかったら携帯の通話料がとても高くなってしまい、ロスの家族からの電話を気安く受信できなくなってしまう。でも、こうしてまた購入できたので、当分の間はローミング無しで受信できるので安心して電話を受けられる。115ルーブル(約4.5ドル)の内訳は34ルーブルがSIMのカード代、そして残りの81ルーブルが携帯の残高になった。
セルゲイの事務所に戻って出発の準備をしていると急に大雨になってしまったので、暫く雨が上がるのを待った。そして出発は13時になった。
富裕層が多く住む都会の証か。シベリアの西端。切花はアメリカと値段が変わらない。女性達にとって短い夏を飾る贅沢品なのであろう。
(左上:エカテリンブルグの街角)
都会の道路は交通量が多いし、スリにでも逢ったら大変なので気を遣うので嫌だ。一気に郊外に進みたかったが、道が分かりづらく時間が掛かった。でも、途中の交差点で一枚だけ写真を撮った。
(追記:信号が青に変わるまでの一瞬の時間だったが、自分なりに良く撮れていると思う。行き交う人の中にはノースリーブの服を着た女性がいたり、ビルに掲げられた大きな看板は韓国のサムソングだったり、古いロシア製の自動車が左端に収まっている。そして一番気に入った理由は路面電車が偶然にも納まっている事だった。大都会のエカテリンブルグの写真はこれ一枚だけだった。)
途中で雨が降ったりして、結局エカテリンブルグの街を出たのは午後4時位だった。市の境界線を越える頃になってやっとまともに走れるようになった。風は無く無風に近い状態だった。
M5 の幹線道路を南に進む。日本では一桁の国道、アメリカでは二桁のインターステートハイウェイと同等の道路だと思う。南のチェラビンスクまでは約200Km。二日間の距離で、チェラビンスクのアレクセイには明後日に行くとメールで伝えてある。でも、携帯電話のSIM を買うために半日を潰してしまったので、急がないといけなかった。道路は登り下りが続いたが、緩やかな坂道が多かった。道路は中央分離帯があって道幅が広かったが、舗装の状態は良くなかった。でも、オムスクからエカテリンブルグまでのP351の道路よりも遥かに走りやすかった。
夜9時過ぎに見えたカフェの駐車場に居た人に、駐車場のの外れでテントを張っていも良いかと聞くと二つ返事でOK してくれた。カフェの中は非常に綺麗で、店員も愛想が良く気持ちよかった。しかし夕食を食べているとまた雨が降り始めてしまった。俺は慌ててカフェの外に置いてあった自転車をガゼボのような少し離れた所にあった屋根のある建物の中に入れた。そこにはバーがあって一人のバーテンダーのような店員と客の一人が居たが、何も言われなかった。カフェの中から自転車が見えるような位置に置いて、カフェに戻った。
でも、雨は一向に止む気配がない。雷が通り過ぎたので止むと思ったが、雨は続いた。困った。ガゼボの中にテントを張らしてくれるだろうか。駐車場の濡れた地面にテントを張りたくはない。
カフェの中にはお客が入れ替わり立ち代りしたが、俺の隣のテーブルの二人はカフェの職員でもないようだが、どうした訳か出て行かない。俺は雨があがるのを期待して、夕食は済んでいたが、ピロシキを買って食べて時が過ぎるのを待った。隣のテーブルの二人は、ビールを何本と無く買って飲んでいる。ノボシビルスクでパベールを待っていた時に入れて貰ったビアガーデンのビールと同じバルティカ(Балтика)も飲んでいた。
テレビがカフェの中にあって何かが流れているが全く分からない。興味が湧かない。雨が上がってテントを張れる場所が決まれば意味も分からないロシア語のテレビでも見ただろうが、そんな気分になれない。隣のテーブルの二人も遂にビールの酔いが回ったのか話しかけてきた。二人はトラックのドライバだった。このカフェには頻繁に立ち寄っているようで店員と顔見知りのようだった。
俺は自転車でウラジオストックから来たと言うと凄い事だと喜んでくれた。そして、雨なのでテントを張れないと言うと二人は「大丈夫だよ」と励ましてくれる。俺の友達はいつでも酔っ払いだった。でもとても嬉しかった。俺には何が大丈夫なのか分からない。心配要らないよ、というような事を言っている。俺はこれが何を意味しているのか分からなかった。
カフェで粘って粘って雨が上がるのを待ったが、もう夜の11時。もう寝ないと駄目だ。席を立って外に出ると二人のドライバも出てきた。そしてドライバは駐車場の守衛の小屋に行こうというので雨の中を付いていくと、その中にあったベッドに俺を寝かしてやってくれと交渉してくれたのだった。そしてまた嘘のような事が起こった。守衛の人は、俺が寝られるように自分の荷物を他の所へ移動して場所を作ってくれた。そして、ガゼボの中に入れてあった自転車はカフェの裏の入り口から入って、事務所のような所の廊下にに入れてくれた。外からは鍵が掛けられているので安心だった。ああ、また見知らぬ人に助けられた。
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