朝は6時過ぎに起きて、7時15分位に木工所を出る。そして、夕べ赤い帽子を失くしてしまったので、もしかして夕食を食べたカフェかも知れないと思って、戻ったが無かった。ノボシビルスクでパベールに買って貰った帽子。友情の証だと大切にしていた筈だったのに。油断してしまったものだ。諦めるしかない。
走り出して、10時位だっただろうかP351 からは離れていたが村が見つかり、村に進む。店を見つけるのは簡単だった。バナナ、ビスケット、ケフィールを買う。牛乳が無い時はケフィールを飲むようになっていた。俺の体にとって乳製品は限られたプロティンなので、最初は酸味が強く飲み難かったが慣れたら悪くない。店に来ていた少年と話をする。少年は俺がウラジオストックから自転車に乗って来ていることを信じられなかった。無理も無い。7千キロ離れた所から自転車でどうして来れるものか。俺は自分の日記を見せて、どんなルートを辿って来たか見せると、いつかの少年のように、この少年も疑いの目が変わった。顔が変わった。俺が変わったと、只単にそう思っただけかもしれない。それでも構わない。後から来た友達と思われる男の子に俺の事を伝えてくれた。当然、後から来た子も疑いの目だ。最初の男の子は何度も説明を繰り返していたので、もう一度日記を見せる。分かってくれたのかも知れない。
村からP351 に戻り、道は路肩が広く走りやすかった。そして、道路脇の沼地も少なくなった。シベリアの平原を抜けて、湿原を抜けて、ついにウラルに入った感がある。そして、緑の葉が少なかった白い幹のあのベリョーザ(白樺)はいつの間にか青々している。そして幾分纏わり付く蝿や蜂が少なくなったような気がする。
昼にある町を通り過ぎる。途中、ロシア人に道を聞かれた。他の町から来ているようで、ある分かれ道の後、このままエカテリンブルグに行けるか、と聞くので、先に見ていたサインでは248キロだった事を伝えた。カフェは幾つもあったが止まらずに走ったら、いつの間にかカフェはなくなってしまい、16時過ぎまで次のカフェは出てこなかった。
カフェではいつもの玉子焼き、マカロニ等を食べる。昨晩は遅くまで走った上に、木工所の機械の音がうるさく良く眠れなかったせいか食事の後にとても眠くなった。カフェを出て走り出すと、雲行きが悪い。昨日と同じように夕立の気配だった。昨日は殆ど雨に当たらなかったが、今日は空の左半分が黒い。雨になるのは時間の問題だった。
そのまま進むと雷が頻繁に見え聞こえるようになった。АЗС(ガソリンステーション)を見つけたのでその屋根の下で休んだ。しかし、雨は一向に降らない。30分くらい休憩したが、雨が降らないので、走り出すことにした。すると、走り出してから10分くらい経過すると雨が降り始めた。もう少しАЗСで休憩すべきだったと後悔するが仕方ない。上下のレインギアを着て走ろうと思ったが、物凄い雨で走るのが大変だった。若しかしたら直ぐに雨が上がるかもしれないと思って道に止まって雲の具合を窺っていると15分くらいで小降りになった。レインジャケットだけ着て走り出す。しかし、黒い雲はどの方角にも進まず停滞して、かえって暗くなってしまった。そして、また雨が降り出してレインパンツも着て、靴にもビニールのカバーをして走る。途中、カフェを見つけたが、工事中のようで入れなかった。さっきのАЗСの前にカフェがあったので、そこで休んでおくべきだったと悔やんだ。
暫く雨の中を走ると、幸運にも2キロ先に村があるとのサインが見えた。そこまで進んでみると村は P351 の幹線道路からそう遠い距離ではない。村に進む。当然だが、雨の中、外に居る人はいない。どこでも良いから屋根の下に行きたかった。この雨の中ではテントを張れない。フェンスにドアベルの付いた綺麗な家を見つけたので、ベルを鳴らすと、中から人が出てきてくれたが、泊めることもテントを張ることも駄目だと言われた。そして、向かいに白い家で聞いてみればと言われる。言われたとおりに、向かいの家の前に行くと、家の中に人影が見えたので、大声で「イズミニーチェ」と声を掛けた。しかし、応答してくれなかった。無理も無い。村の奥に進む。すると屋根のあるバス停があり、そこには一人の青年が雨宿りしていた。そしてその青年にいつものメモを見せて、泊めて欲しいと聞くが、その青年はこの村の住民ではなかったので、駄目だった。
バス停の向かいには、建物の工事の為に作業員が数人、小型のバスに乗り込むところだった。メモを見せたが断られた。その小型バスが去った後、農耕機に乗ってた青年がその建物の前で止まった。俺はその青年にもメモを見せた。すると駄目ともOK とも返事しなかった。そして直ぐに女性3人がその青年の所に来て、その青年は少し待ってくれと俺に言った。その中の一人の女性は背が高く185センチ程あったと思う。暫くすると青年はその場を去って、その背の高い女性はその建物の中に泊まっても良いと言ってくれた。捨てる神あれば拾う神あり。屋根の下で泊まれることになって気が楽になった。
(スポーツ施設に泊めてくれた女性) (テーブルの上には女性3人が作ってくれた料理)
建物は村のスポーツ施設で、集会用に使われているような感じで、ピンポン台も置いてあった。その女性はバーニャは出来ないが、シャワーを使えるようにすると、裏の建物に案内してくれた。そして、大きな部屋には簡易ベッドが沢山置いてあって、その女性の母親らしき人がその一つを俺の為にシーツを敷いてくれた。おまけに電気ヒーターまで用意してくれた。部屋が大きいのでどれだけ効果があるか懐疑的であったが、そんな優しい気持がとても嬉しかった。もう一人の若い女性は背の高い女性の妹のようだった。
そして、シャワーに入る前に、クッキー、パウンドケーキ、コーヒー、そしてジュース等、その施設にあった食べ物を色々出してくれた。夕食はどうするのか聞かれ、自分で何とかなると答えたが、気を使ってくれて、この近くの店で食料を買ってくると言う。俺も一緒に行って金は俺が支払うと言うと、背の高い女性はまるで、俺は村のお客だから村のお金で支払っておきます、というような返事だった。こんな事がありえるのだろうかと不思議で信じられなかった。
俺はシャワーを浴びることにする。そしてシャワーを出てから暫くすると3人は手に袋を提げて戻ってきた。テーブルにはサラダやスープを含め何皿もの料理が並んだ。本当にありがたかった。俺が日本人だという事は伝えた。でも、女性達の名前を聞くのを忘れてしまった。大変な失礼をしてしまった。
俺はケメロボのウラジミールにSMS を送って、この村に来て良かった、ミラクルのような出来事だった、と伝え、俺はそれをロシア語に訳してもらい、それを背の高い女性に見せた。女性は微笑んでくれたので、俺の言いたかった事は伝わったと思う。
屋根の下、ベッドで寝られ、シャワーも浴びられ、満腹の状態で寝ることが出来た。夢のようだった。こんな素晴らしいことも起こるのだ。いつものように全てが幸運の連続で、村に入って最初の家で断られて良かった。あの家でOK と言われたら、納屋の中で馬や牛と一緒に寝ることになっていたかも知れない。一つ一つの出来事が、全て良い結果で終わる。静まり返る大きな部屋の中でこうして起こる日々の不思議な出来事を考えると、自分はつくづくラッキーだと思う。
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