朝は9時前に起きて、紅茶を頂きながらウラジミールとアメリカや日本のことなど色々な話をした。そして朝食はウラジミールの母親がペリメニを作ってくれた。水餃子のような料理で、ロシアの代表料理のようだ。肉無しで、ジャガイモとか玉葱が入っていた。
朝食の後、準備をして出ると12時くらいになった。ウラジミールはケメロボの町の外れまで自転車で案内してくれた。クラスノヤルスクでもフィヨドールがしてくれたように。都会ではこんな案内は非常にありがたかった。たった二晩泊めて貰っただけだが、ハバロフスクで親切にお世話になってから特に感傷的になってしまったようで、ウラジミールとの別れも辛かった。一人旅を続けるある種の辛さと、友人になったウラジミールとの別れが涙を誘った。涙を堪える必要は無かったが、自分の弱さを露わにしたくなかった。でも、いざ走り出したら感傷的にはなっている暇は無い。登りと下りの坂が容赦なく目の前に広がるのだった。
でも、三日後にはノボシビルスクのパベールの家に泊まれると思うと、登りも下りの坂もそれ程苦にならなかった。こうして日記を書いていると思うのだが、例え次に誰かの家に泊まれるのが数日先だとしても、気が随分と楽になるものだった。
今日は50キロ位しか走れないと思ったら、いつの間にか70キロを走った。朝方は寒いと思ったが、途中で2枚は居ていたジャージのパンツを一枚脱ぐ。一枚のジャージで走るのは久しぶりだった。
午後7時を過ぎると疲れてきたので、早く村が出てこないかと思ったが、中々無かった。そして8時過ぎに見つけたカフェの裏にテントを張らせて貰おうと思ったら断られた。仕方ないので次の村に行こうと思ったら、バイクに乗った青年が数人カフェに立ち寄った。
俺は今朝別れたケメロボのウラジミールにあるロシア語をメモ帳に書いてもらっていた。ウラジミール曰く、ロシア人の民家に俺は泊めてもらえるはずだ、とのことでメモ帳には「私のあなたの家に泊めてください」と書いてくれた。ウラジミールは客人を持て成す財力もあり非常に優しい人だ。彼のような人がロシア全域に居るはずが無いと思ったが、彼はとりあえずこのメモを見せて聞いてみたらいいと言ってくれた。
そのメモを青年達に見せると、我々はトムスク(隣の都市)に住んでいる、と言い簡単に断られた。でも1時間待てば友達が来るので待って、との事だった。一番若い17歳のSIDIのブーツを履いたハンサムな青年だけが俺の英語を理解してくれていたが、彼は英語を話すこと出来なかった。でも携帯電話にロシア語と英語の辞書の機能がって、それを使ってお互いに話が出来た。ロシアでもSIDI は有名のようで、良いブーツだねと言うと、嬉しそうだった。
一緒にバイクの近くで写真を撮っていると、一緒にカフェに入ってお茶を飲もうということになったので入る。カフェの人には顔なじみのようだった。一番年長のライダーはSIDI のブーツを履いた青年の父親のようで、青年に他のライダーの紅茶を注文するように言って、俺の分も支払ってくれた。そればかりではなく俺の疲れを察してかSneaker のキャンディーも一緒にご馳走してくれた。お茶を飲みながら分かったのだが、1時間もしないうちに友人が来るので、その車の中で泊まったら良いとの事だった。どんな車か分からなかったが、雨も降るかもしれないので、テントよりも良いかもしれないと思った。
そして俺が一気にSneaker を食べてしまったのを見ていたのか、食事がお盆に乗ってきた。ウェートレスは何も言わずに俺の目の前に食事をテーブルに置いていった。先の年長のライダーが俺に夕食を注文してくれていたのだった。人とは何なのか。どうしてこんなに親切にしてくれるのか。俺はロシア語が出来ないので彼とは何も話は出来ない。それなのにどうしてなんだろう。いつか俺のこんな運が尽きてしまうのではないかと思わせるくらい運がいいと思った。でも、運も実力のうち、等と周りに言いふらしている自分を思うと、実にに矛盾していると思ったものだった。
一時間以上待ったと思う。ホンダの新車のように素晴らしく綺麗な状態のバンに乗った青年が現れる。結果はその友人と一緒にノボシビルスクまで行ってしまった。この人もまたもの凄くスピードを出す人だった。最初は途中で降りたかったが、直ぐに雷雨になってしまったのでそのままノボシビルスクまで来てしまった。カフェの横でテントを張らなくて良かったと思う。
車に乗って1時間以上走るとノボシビルスクの街に入った。雨上がりの街はいつも綺麗だった。コンビニエンス店で食料を買う。運転してくれた彼はビールを買う。そしてノボシビルスクの街に入ると、彼は奥さんに電話して、日本人と一緒に居ると伝えていた。彼は日本人と一緒に居ることが得意げだった。奥さんとの電話の途中で、何回も俺に電話に出ろと彼の携帯を渡されたので、その度に俺は無理やり英語で話しかけたが、俺の話を聞いている様子は分かったが、返事は無かった。シャイなロシア人女性が多いと思ったものだった。
思いがけないヒッチハイクのような事態になってしまったが、悔いは無かった。70キロ位しか走ってないが、道の起伏が激しく疲れていたし、また親切なロシア人に逢えた事が嬉しかった