夕べは夜中に強い風が吹いたので目が覚め、開けてあったバーニャの入り口の戸を閉める。夕べ寝る時は暑かったが、その時は既に暑くなくなっていた。朝、起きて準備をして出たのは7時半くらいだった。近くのバス停では7~8人がバスを待っていて、俺を見ているような気がした。問題を起こしたくなかったので、向かいの家の人には申し訳ないが何も礼を言えずに足早に立ち去ることにした。
村の道からM53 に戻り、最初のカフェでいつもの食事を朝食を取る。道路は明け方の雨で濡れていたので水が撥ねる。ジャケットを着て、靴はビニール袋を履いて走る。向かい風は相変わらずだった。10時か11時位だったと思う。二人のサイクリストが反対側から来たので、止まって少し話でもしようと思っていたが、そのまま走り去ってしまった。自分が振り返ると二人目の人も振り返ったが言葉を交わすことは無かった。追い風に乗って調子良さそうだった。二人とも帽子をかぶりサングラスをしていたが、ロシア人には見えなかった。少しでも話が出来なかった事が残念なのではなく、同じサイクリストとして先頭の人には何か欠けていたのではないかと思ったことが残念だった。そして、仲間として思われないことが淋しかった。
その後久しぶりにДПС(Дорожно-патрульная служба、警察・ハイウェーパトロール) のチェックポイントがあった。警官は何も言わずに通り過ぎるように棍棒を振ってくれたので、立ち止まらずに通り過ぎた。スピードのチェックではなく、町に近いようでその町を通る車両のチェックのようだった。
それから先に進むと赤茶色の大きな建物が見えたが建設中だった。その建物の前にあったカフェで昼食を取る。魚が珍しくあったので油で揚げた魚を食べる。カフェを後にして走り出すと、家族から電話があった。クラスノヤルスクから新しい携帯電話会社になり、受信が本当に無料か分からなかったが、昨日の電話は無料だったので、当分は無料だろう。
電話では長男のルイスのバスケットボールチームは試合に負けてしまったそうだ。チームメートが3人これなかったようで、それが大きな敗因のようだ。次男のクリスは俺がもうユーラシア大陸の半分まで進んだのか気になっていた。1日100キロ進めたら良い方だが、家族が見ている地図上では殆ど変化は無いはずだ。モスクワまで行ったら、地図上でも大きな変化として受け止められる事だろう。
電話を終えて走る。オブラスト(行政の区分)が変わると途端に道が悪くなった。そして遠くに雷が見え始めていたので、どこか屋根のある場所を探したが見つからず、そのまま進むと大粒の雨が顔に当たるようにしまった。幸運にもАЗС(ガソリンステーション)の看板が見えたので全速力で走る。濡れたくはなかった。АЗСに着いてから数分もしたら大雨になった。危機一髪といったところだった。
するとАЗСに併設されていた修理工場の人が話に来て、俺のことをテレビで見たというような事を言っていた。そして、テレビのインタビューではバスとの事故の事には触れなかったが、何故かその人はバスの事故の事を知っているようだった。どんなニュースとして報道されたか分からないが、俺は何も気にならない。横殴りの雨が降り出したので修理工場の中に入れて貰った。そこには初老の作業員が一人いた。雨は30分ほどで上がった。最初に話しかけてきたその人は、韓国のKIA 社製の自動車に乗っていた。俺が日本で自動車会社に勤めていた事も報道されたのか、その人はエアコンのフィルタを交換できるかと聞いてきた。一般的には不可能なので駄目だと伝える。そして雨は小降りになりその人は先に経って行った。
俺は休んでいる間、コーラか何か甘いものを飲みたかったが、この数日コーラを飲んでいたので止めた。そして、雨が殆ど上がるのを見計らって走り出す。多少は降っていたので、更に降るのか気になったが、走り続けると雨は上がった。西の地平線には別の暗い雲が見える。直にまた雨が降るのは分かっていたが走る。
道は日本の田舎道のようになってしまった。センターラインもなく、道路の状態は悪かった。でも、修復の作業跡があちこちに見られ、ある区間は実際に作業が行われていた。険しい登りと下りが続き、次の村で今日は終わりにしようと思ったが、それが中々出てこなかった。バナナを雨宿りした村で6本買ってあったので、そのうちの3本を次々と食べるが、走る元気は失せていた。自転車を降りて立ち止まると、小さなハエのような大群があっという間に集まり、一分も止まると30~50匹位が集まる。幸いにも蚊の様に刺されたりするわけでは無いので大丈夫だが、バナナを食べるのにその虫も一緒に食べてしまいそうで、気が気でない。以前、走っている時だが、口の中にその虫が入ってしまった。飲み込んだ後、一瞬大丈夫かと思ったがその後、何日も経過しているが何も無かった。
蚊は衣類の上からも容赦なく刺してくる。レインジャケットはそれを防げたが、スエットパンツは駄目だったので、これには参った。蚊の対策として長袖と長スボンは基本だが、それだけでは蚊の対策にはならないのだ。ロシアの道の横には水溜りが沢山あり、ボウフラだけでなく昆虫の宝庫だ。
とりあえず食事でもと思っていつもの食事を取る。食べ終えて、どうしたものかと外で見回していると、数人の30代と40代の男性5、6人が立ち話をしている。するとその中の一人が話しかけてきたので、そのついでに何処かでテントを張りたいのだと伝えると、はっきりとした返事は無かった。暫くすると別の一番体格の良い男性がカフェの2回の部屋に泊まったら良いと言ってくれる。どうやらその人がカフェの経営者のようだった。自転車はカフェの裏のボイラーのある部屋に入れるよう言われた。そこには誰かが寝泊りしていて、鍵もかけられるので安全だと言ってくれた。
その人の名前はセルゲイ。またしてもセルゲイという人に助けて貰うことなった。セルゲイはカフェの裏に建っていたバーニャに案内してくれた。お金は要らないから入ったら良いと言う。雨に打たれた日のシャワーは特に気持が良い。リフレッシュされた。バーニャから出ると、外で立ち話をしていた男性達はカフェの奥の大きな部屋にて酒盛りをしているのが見えた。セルゲイは俺を中に入れてくれてテーブルの上の物を食べたら良いと勧めてくれた。でも、俺は夕食を済ませた後、シャワーも浴びれて非常に満足していたので、少量のウォッカ、ジュース、そして少量の果物だけを頂いた。セルゲイは随分酔っているようで俺に酒を飲めと勧めてくるので、そのテーブルに座る一人は盛んに上に行って寝てしまいなさい、といった仕草をしてくれた。テーブルの皆に礼を言って、カフェの中に居たウェートレスに部屋の鍵を貰い2階の部屋に行く。
0 件のコメント:
コメントを投稿