2008年6月11日 (46日目) ケメロボ、ウラジミール宅


夕べはベッドが柔らかすぎるので何度か起きてしまった。それと両膝が痛く、寝苦しい夜だった。朝になって思ったのだが、マットレスを床に敷いてその上に寝れば良かったと思った。でも、雨に打たれずに済み、親切にしてもらってとても嬉しかった。

朝7時に起きて準備をして警備員の小屋に行き、日記を書いていると朝食にとおかゆみたいな食べ物を責任者のような人がまた持って来てくれた。全部を平らげ、昨晩の残りのパンと、今朝もって来てくれたパンの全てを頂き、おまけに紅茶も頂いた。出る前に作業員の寄宿舎の近くにあったトイレで用を足して8時半位には経つ。作業員はどうして東洋人の俺が敷地内にいるのか不思議そうだった。


責任者らしき人と、昨日会ったサイクリストの話では、次の都会ケメロボまでは登りと下りが大変だと言う。案の定、結構大変な坂が続いた。緩やかな登りでも冷たい強い向かい風で、距離は思うように延びない。でも、ケメロボまでは84キロなので、気は少し楽だった。ケメロボの街が大きかった場合は大変だが、今日泊めてもらう予定の家が街の西側で無い事を願っていた。しかし、朝の10時位だっただろうか、ある丘の上に登ったところで遠くが見えたのだが、道はまるでジャングルの中を奥深くまで進んでいるように見え、道は登ったり下ったりの連続の可能性を匂わせる景色だった。



ある町のお店で牛乳を買おうと思ったら無かった。でも、ケフィール(Кефир)ならあると言う。牛乳と聞いて無いがこれならあるというので、脂肪分が少ないのだろうと勝手に想像した。店の外に出て、飲み始めてみると大間違い。まるでヨーグルトを牛乳で溶かしたような感じだった。牛乳の少しの甘味を期待していたので、酸っぱい味には驚き失敗したと最初は思った。でも、そのまま捨てるには惜しかったので、少しずつ飲んでみると、ヨーグルトを飲んでいるのと同じような気がしてきて、結局その店の外で全て飲んでしまった。


12時位に見つけた山の中の小さなカフェで昼食を取る。カフェの注文を受け付ける窓口はガソリンステーションの窓口のように小さかった。ボルシチ、玉子焼き、パン、紅茶で60ルーブルと安かった。でも、出てきた料理は値段のとおりだった。でも、俺には腹を満たすことが出来れば良いので問題は無い。


昼食後、距離は順調に延びて、ケメロボには午後6時位には入れると思ったので、午後3時位に着いたカフェの駐車場で、今日泊めてくれる予定になっているウラジミールに、余裕をもって午後7時位に着くだろうとSMSを送った。ウラジミールにはCouchSurfing.com のメンバーとして泊めて欲しい事をイルクーツク近くのアンガースクに居る時にEメールで送ってあり、返事も貰っていた。ところが後で分かったのだが、俺がウラジミールに送っていたSMS は全て彼の手元には届いて無かった。

そのカフェではコーラを買って飲む。ポーランド人から貰ったジャムは全て飲んでしまって、甘いものが必要だった。コーラと一緒にピロシキも食べる。料金は56ルーブルのはずだったが、60ルーブルからのお釣りは2ルーブルだった。御釣りを間違ったのか、小銭が無いのか分からないが面倒だったのでそのままカフェを出る。カフェの中は一般客と混じって、旅行者と思われる客が10人くらい居た。他のカフェの客とは違い身なりが良かった。全員がロシア語を話していたようで、彼らの乗った車両は天井が高くなったバンで乗り付けていた。

その後、丘の上というか、ちょっとした峠にカフェがあり、二組のカップルが車から降りるのが見えた。俺が走り去るのを写真に収めようとしていたので手を振ると、来てくれという仕草だったので戻って話をする。ステーションワゴンの中の後ろに詰まれた荷物は自転車だった。学識ありそうな人達だったが、英語はそれ程得意ではなかった。お互いに写真を撮る。彼らはアルタイ山脈まで行って来たと言う。ロシア、カザフスタン、中国、モンゴルの国境の山脈だ。多分、ロシアで一番高い場所だと思う。彼らはNikon の素晴らしいカメラを持っていた。俺の旅には必要ないが少し羨ましかった。


彼らと別れて先を急ぐ。それからまた道は登って下って、登って下る。きっと今日の事をポーランドから来たサイクリストは言っていたのだと思う。早くケメロボに行きたくて、とにかく走った。それから少しして、ハーレーが一台通り過ぎる。ロシアでは珍しかったので、ナンバープレートを見ると漢字で書かれているようだった。その瞬間、変だなと思うとバイクは路肩に止まった。近づいて行くと日本のナンバープレートだと分かる。ライダーは日本人の吉田さんだった。


ハバロフスクの日本領事館の方から俺がモスクワを目指している事を聞いて、いつ会うのかと楽しみにしてくれたいたそうだ。それにしても意外だった。この広大なロシアで、それも交通量の然程多くないシベリアの路上で、日本人に会うとは夢にも思わなかった。日本語を話すのはアンガースクで泊めてもらった時に話した木村さん以来だった。吉田さんも先を急ぐようで直ぐに別れた。雨と風が冷たいので吉田さんのグローブに目が行ったが、まるでウエットスーツのような生地のグローブだった。あれだったら水は入ってこないだろう。それに引き換え俺の手袋は粗末なものだった。手の内側は皮で外側は Goretex だが、長いこと雨になると手の全てが濡れてしまった。おまけに水の為に手が冷えてしまうので、全然役に立たなかった。それでも雨さえ降らなければサイクリング用の指の部分が無い手袋に比べたら暖かいので、当分未だ使えるだろう。

別れてから暫く進む。道は険しい登り下りが続き、路肩に落ちてしまったトラックを見つける。どうして落ちてしまったのか。ドライバの居眠りなのか、無茶な追い越しの被害者か。可哀想だが何も出来ないので通り過ぎる。






夕方には大きなケメロボのサインを見つける。でも街は見えず相当の距離が未だあるように見えた。そして道端にあった道路工事の寄宿舎のような車両の中に人が見えたので、街の中央への行き方を教えて貰おうと近づく。作業服を着た道路工事の作業員に英語は通じないだろうと思っていたら、親切に英語で教えてくれた。何と英語で会話になったのだった。人を侮ってはいけないとつくづく思った。申し訳なかった。

教えて貰ったとおりに進み、川を渡って街に入る。橋を渡りきると右手には大きな発電所があった。そこでウラジミールにSMS を送って、電話もした。しかし応答が無い。退社の時間なのか発電所の職員が出てきたので、むりやり捕まえてウラジミールへの電話をして欲しいと伝えると、嫌そうな顔はしたが俺の電話を取って電話してくれた。しかし、結果は同じだった。俺の電話の掛け方が悪いのでは、と期待したのだが駄目だった。


仕方ないのでチタでお世話になったセルゲイに電話して、CouchSurfing.com に俺のID とパスワードでログオンして、ウラジミールからのメールに書かれている電話番号を確認して欲しいと思ったが、電話は途中で切れてしまった。それからセルゲイには電話が通じなくなってしまった。嫌われてしまったのか、携帯電話の問題なのか分からない。もうこうなったら、誰でも俺のヘルプしてくれそうな誰でも電話したかった。親切にしてくれたハバロフスクのマリアとマリーナはコンピュータが使える状態か分からないので駄目だ。

次に浮かんだのはクラスノヤルスクのフィヨドールだった。電話してみると彼女リリーの家に居るので、自宅に戻って調べてくれるとの事だった。20分もするかフィヨドールから電話があり、ケメロボで迎えてくれるはずのウラジミールの電話番号は俺の控えていた番号と違っていた。俺はそれまで誰か分からぬ他人にSMS や留守電を残していたのだった。

フィヨドールに教えて貰った番号に電話すると、ウラジミールが出てくれた。何とも嬉しかった瞬間だ。ウラジミールは俺に、M53 の反対側で、その場から少し離れた場所にあるスポーツ施設の建物の前で待つように指示してくれた。自転車を中央分離帯では持ち上げてM53 の反対側に行く。そしてスポーツ施設は直ぐに分かった。施設は夜なので既に閉館されていたが、階段があったので、そこで待つことにした。俺はその間、日記を書く。そして30分位待っただろうか、ウラジミールが迎えに来てくれた。本来なら街の中心の教会の前で待ち合わせだったのだが、俺の間違えで、ウラジミールは長い距離を歩いて来てくれたのだった。クラスノヤルスクでもそうだったが、都会でのテントは危ないので避けたかった。もしウラジミールに会えなかったら俺はどうなっていたか。会えた瞬間、険しかった今日の道のりの苦労は綺麗に消える。嬉しかった。

ウラジミールとは川岸の綺麗な公園沿いに一緒に自転車を押しならが歩いた。20分位歩いたのだろう、ウラジミールのアパートに着く。5階建ての建物が集まる集合住宅地で、ウラジミールのアパートは3階だった。いつものように自転車を持ち上げる。疲れていたが最後の力を振り絞る。

アパートに入ると、既に夕食の準備が出来ていたようだったが、俺は我侭を言わせてもらい、シャワーを先に浴びさせてもらった。疲れているので食事の後ではシャワーに入れるかどうか分からなかったからだ。夕食にサンドイッチを頂く。今まで泊めて頂いたアパートと同じような大きさだった。でも中はとても綺麗にされていた。バスルームも、キッチンも、リビングも、どこも綺麗だった。夕食の後は、インターネットをやらせてもらう。ウラジミールには俺が何をしたいのか全て分かっていたようだった。Eメールをチェックして、今までの写真をアップロードした。ウラジミールは俺の為にベッドを貸してくれて、自分はソファに寝てしまった。またしても俺は思った。何なんだろう。どうして皆こんなに親切にしてくれるのだろう。俺はラッキーなのか、ロシア人は根本的に親切なのか。当然だが答えは出ない。出す必要も無い。ありがとう、ウラジミール。

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