夕べは疲れていたはずなのに気が付いたら2時を回っていたので寝た。インターネットでCouchSurfing.com のメンバーに泊めて欲しい旨のメッセージを送ったり、届いていたEメールに返信したりしていたのだった。
朝は9時前に目が覚める。2泊させて頂くことになったので今日は休みだ。同じ部屋に寝ていたウラジミールも俺が起きると起きてくれたので、早速夕べの続きのインターネットをやる。
朝食はウラジミールの母親が作ってくれたピロシキを沢山頂いた。俺は肉が嫌いと伝えてあったので、母親のスベルタは野菜のピロシキを大きな皿に一杯作ってくれた。俺は、歓迎されている事が非常に嬉しかった。夕べの午後6時くらいまでウラジミールを含め家族全員は俺が泊まるとは想像してなかった。それなのに急に訪ねて来た俺を家族全員が暖かく迎えてくれた。いつもの事だが、俺が日本人だから親切にされるのか、どうしてこんなラッキーな事ばかり起こるのか。俺には不思議で不思議でたまらない。
2週間ほど前、ウラジミールに最初にEメールを送った時の返事は、アパートに問題があるが必ず泊まれるようにすると書いてあった。昨晩泊まってみると何も問題は無い。ただ、若しかしたら妹夫婦が一緒に住んでいるのがウラジミールにしてみれば問題だったのかも知れない。もし妹夫婦が一緒でなければ、恐らくウラジミールの部屋に泊めて貰ったのだろうが、昨晩ウラジミールと俺はリビングに寝た。客を持て成したいと思うウラジミールにはそれが問題だったのかも知れない。
旅行中に俺がどんな所で寝泊りしているかウラジミールは知らない。だからそんな風に気を使ってくれたのだろう。アパートの中が綺麗になっているので、どちらかと言うと中流以上の家庭だったのかも知れない。現にウラジミールは化学の博士号を持っていた。
ソ連時代、学費は無料だったとは聞いたことがある。共産主義であれば授業料が無料なのは当たり前かもしれないが、それなりの収入が無いと博士号まで取れないと思う。まあ、それにしても俺のような品も学も何も無い薄汚い旅行者を快く家族全員が歓迎してくれたものだ。今思うと、イルクーツクのイレーナ、クラスノヤルスクのフィオドール、そしてケメロボのウラジミール、3人とも修士号以上を持っていた。彼らは俺の自転車旅行を挑戦と理解してくれていたのだろう。
ロシアにはロシア人の誰でも認める幾つかの問題がある、と何人ものロシア人が教えてくれた。一つは道路が悪いこと、それから馬鹿者が多いこと。確かに道路は平均して悪い。舗装が終えたばかりの道路は素晴らしくスムーズだが、それ以外は荒れている上に舗装されて無い部分もある。ロシアの広大な土地の多くは冬に凍結してしまう為、きっと思うように道路工事が進まないのであろう。しかし馬鹿者が多いとはどういうことなのか。確かに酔っ払いは多い。アルコール中毒者も多いと聞く。そんな者のことを馬鹿者が多いと言ったのだろうか。アメリカと同じように超優秀な者と馬鹿者との差が激しいのだろう。
朝食後は、ウラジミールの友人サベールが車で迎えに来てくれて街を案内してくれると言う。サベールはアルメニア系の人だが、子供の頃に引っ越して来たのだろうか、ロシア語がペラペラだった。英語も少し話せた。3人でサベールの三菱製の左ハンドルの自動車に乗り市街地に向う。
公会堂のような建物の前では男女の子供がバレエを踊っていた。文化の違いを改めて感じる。俺はアメリカに住んでいて、ロシアの文学、音楽、演劇を知ることが無かったが、子供のバレエを見てこの国は偉大だと感じる反面、無知を恥じる思いだった。
ケメロボの中心地はレーニンの銅像があった。それから主要都市への距離を記す羅針盤もあった。モスクワへは3621キロと記されている。1日100キロ走ったら、あと36日で着く事になる。ウラジオストックの駅はモスクワから約9300キロだから、5700キロ以上を進んだことになる。ハバロフスクからチタまで2300キロ位はシベリア鉄道に乗ったのとウランウデでヒッチハイクしているので、恐らくで45日間経過して3000キロ位走った計算だ。
それから昨日ウラジミールを待ち合わせをした場所に近い川岸の公園にも連れて行ってもらった。若いカップルの結婚記念写真を撮影をしている。カップルは二人共とても嬉しそうだった。
その後、携帯電話でインターネットが出来ると聞いたので、もし値段がそれ程でもなければ今の携帯の替りが欲しかった。でも、新品を買う気はなかったので安い中古でもあればと思ったら、サベールは携帯の中古を売る店を知っていると二つのお店に連れて行ってくれたが、新品の携帯電話と同じ位の値段がしていて特に安くはなく、手持ちのルーブルの現金を考えると買う気がしなかった。せっかく連れて来てくれた二人には申し訳なかった。
ところでケメロボはロシアでは石炭の発掘で有名だという。そして二人は俺をケメロボで最初に石炭が発掘された場所に連れて行ってくれた。その前に、その近くに見晴らしのいい場所があるのでそこに先に行くことにした。そこにはロシアの著名な彫刻家の作品が飾られていた。そしてそこでも新婚のカップルが祝杯されていた。
最初に石炭が発掘された場所は博物館になっていたが今日は閉館されていた。でも屋外の掘削車両は見応えのあるものだった。
サベールは夕方にウラジミール宅に送ってくれて別れた。1日あちこち連れて行ってくれたのでケメロボでも、また素晴らしい思い出になった。
ウラジミールのアパートに戻り、夕食前にまたインターネットをやる。そして夕食をまたウラジミールの母親が作ってくれたので、一緒に頂く。そうこうしていると外は雨になってしまい、外出する予定だったが止めになった。
ウラジミールと色々な話をしたが、夜11時位になるとウラジミールの妹夫婦が、外の雨が上がったので出掛けようと言う。ウラジミールの義理の弟の車で、夜のケメロボをドライブしてもらった。町の中心地は人影が少なかったが雨の後のせいかとても綺麗だった。そして大きなパラボナアンテナのある珍しい場所にも連れて行ってもらった。みんな親切な素晴らしい人ばかりだ。今日は多少、歩いたがいつものような疲れは無い。嬉しく楽しい一日だった。ありがとう。
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