2008年6月06日 (41日目) クラスノヤルスク、フィヨドール宅


夕べは寝たのが2時位だったかもしれないが、朝起きたら8時だった。日記を書いていながら昨日買ったパンやりんごを食べる。昨日のFyodor の話では、カナダのケベックに住むある人は、冬にロシアを自転車で横断したそうだ。ロシアの西から東に向ったとはいえ、大変なことを成し遂げた人が居るものだ。その人はマウンテンバイク風の自転車だったそうだ。今時、俺の自転車の様にドロップハンドルは人気が無いようだ。俺が次回サイクリングする時は新調すべきだ。出来ればディスクブレーキが欲しい。カンティレバーブレーキは耐久性には優れていると思うが、雨が降ったら途端にブレーキの効きが悪くなるのが嫌だ。そして悪路に備えてサスペンションがあった方が良いと思う。自転車は重くなってしまうが、自分の今の手の痺れを考えたら仕方ないだろう。でも、ドロップハンドルは譲れない。一本の横棒のハンドルは長距離には向いてないはずだ。

とにかく今の自転車はブレーキが問題なので、先ずはブレーキパッドを替えて、もしそれでも駄目ならブレーキを他のものに替えたい。フレームには他のブレーキを取り付けられる穴が開いてないと思うので、替える時はドリルが必要になる。恐らく何処かの店に持っていかないと駄目だろう。

Fyodor が起きてきたが直ぐに出かけ、俺は戻ってくるまでインターネットを使わせてもらった。何通かのメールが届いていたので返事を書く。写真のアップロードするとインターネット代が上がってしまうと言っていたので、写真はアップロードしなかった。でも、メールを送受信できたのでありがたかった。本来なら自分の携帯電話を買いなおして、携帯から写真をアップロード出来たら良いのだが、PCの電池が充電無しでどれだけ使えるのか気になるので当分はこのままだ。

フィヨドールは暫くすると戻ってきて、車で一緒に友人のデニスの家に行った。デニスの両親とも挨拶をして写真を撮ったりする。そこにはフランス人の女性が居た。フランスの北部からボランティア活動の為にロシアに来ているのだが、今は旅行中という。デニスの両親以外、フィヨドール、デニス、フランス人女性、そして俺の4人は朝食兼昼食にパンケーキなどを頂く。デニスの母親は、俺だけにスープを余分に出して下さった。見ず知らずの旅行者を暖かく迎え入れてくれるロシアの人達。感謝の念に堪えない。

デニスはロシア各地を自転車で旅行していて、モスクワの街中は走らない方が良いと教えてくれた。誰かの家に泊めさせて貰って、電車でRed Square まで行った方が良いと言う。でも、俺には自転車で行って記念写真を撮りたい。早朝のモスクワなら大丈夫であろう。何とか自転車で行きたい。

デニスの家を出て、4人で車に乗ってクラスノヤルスクの街に出る。デニスは写真の焼き増し、フランス人女性はDVD のコピー、そして俺はフィヨドールに頼んで携帯電話のSIM カードを買って貰った。俺はロシア住民ではないのでSIM カードを買うことが出来ないので、頼んだのだった。今まではMTC (MTS) だったが、これからはMegaphone になる。そして新しい電話番号になった。100ルーブルのバランス込みで125ルーブルを支払う。これでノボシビルスクまでは無料で電話を受信できるそうだ。


その後、車に戻り街の西に進み、川沿いにかなり進んだ。エニセイ川で日本の川とは種の異なる川だった。大陸の川だけあって、ゆっくりと水が流れている。川幅も300メートル位ある広い川だった。川の長さでは世界で6番目の河川で、アムール川より長いそうだ。少しハイキングして、川岸の小高い丘に登って川を見下ろすと素晴らしい景色だったが、俺には毎日のサイクリングで疲れているので、足を滑らして滑落したら大変という気持ちが強かった。その辺りで一番高い丘に登り、そこで持っていたリンゴなどを食べる。


丘を降りてから更に西に歩くが、ある地点ですれ違った車の中の人が、これ以上進まないようにというようなジェスチャーをしたそうで、我々4人は引き返すことにした。我々は間違って私有地に入ってしまったので戻った方が良いのか、何か先に厄介な事があるのか分からない。でも、好奇心を持って先に進もうという物は4人の中に誰も居なかった。

車に戻って少し走ると小さな店があり、そこで皆アイスクリームを買って食べる。その後は、車を川岸に止めて川の水で車を洗うことになった。最初、フランス人女性と俺はどうやって川で車を洗うのか気になっていた。でも、川岸に行ってみると他にも洗車している人が居たので容易に分かった。水を川から汲んできて洗うだけだった。クラスノヤルスクは都会とは言え、アパートの外には水道が無いのかもしれない。


俺は、車の左側後ろのブレーキから音が出ていたのに気付いていたので、洗車は任せてブレーキの点検をする。ブレーキドラムを外そう試みたが外れなかった。銅かゴムのハンマーでショックを与えるか、若しくはボルトでアクスルの内側から押さないと外れないほどになっている。フィヨドールには修理工場に持っていった方が良いと伝える。

デニスとフランス人女性をデニス宅に送り、夜7時過ぎにフィヨドール宅に戻る。俺は一人で近くのマーケットに行き今晩の夕食と明日からの食料を買い出しに行く。トイレットペーパー、チョコレート、ジュース、バナナ、トマトペースト、量り売りの冷凍野菜などを買う。新鮮な野菜はまとめて買う必要があったので買うのを躊躇したら、冷凍野菜が量り売りされていたので今晩必要なだけ少量を買えたので安く上がった。冷凍野菜や冷凍果物は非常に種類が多かった。

このマーケットは団地のような集合住宅地の中にあり、並びには銀行や理髪店もあった。フィヨドールに教えてもらたこの区域の名前「アカデムグロドック(Академгородок)」には、集合住宅地とは道を隔てて結構大きな大学があり、きっと「アカデム」はアカデミーの省略と思われ、「グロドック(городок)」は「街」なので、大学街といった意味になるのであろう。

マーケットから戻るとフィヨドールは彼女の家に行って夕食を食べてくるとの事だった。俺はフィヨドールと一緒に夕食を食べると思って買い出しに行ったのだが、一人で食べることになる。フィヨドールのアパートのキッチンは狭かったので、二人分を同時に作るのは難しかったので丁度良かった。

最初、パスタを半分茹でたら良いと思っていたが、作り出してから面倒だったので全てを茹でてトマトペーストも全て使い、明日の分まで作ることにした。夕食を済ませるとフィヨドールが戻ってきて、インターネットの料金を支払ったのでまたやっても良いと教えてくれる。机の上には150ルーブルのレシートが残っていた。レシートがあるという事は、どこかのお店で支払ったのだろう。携帯電話のように残高を追加するのか、それともインターネットの業者の事務所に出向いたのか分からない。何れにしてもありがたいことだった。

左膝は相変わらず痛い。恐らくバスと接触しそうになった時のものだろう。こんな状態で強い向かい風の中を走るのは気が進まない。だが、頑張ろう。雨さえ降らなければ、1Kmでも西に進まないといけない。Eメールでロスの友人のAlex から一通届いていた。Alex はモスクワに知人が居て、その人伝で俺のロシアのビザの延長を打診していた。数週間でも延ばす事が出来たら最高だ。


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