朝、目が覚めると7時45分位だった。慌てて準備したが、出発したのは9時近かった。8時くらいには夕べ親切にしてくれた弟の人が来て、仕事に行くからと挨拶してから出かけていった。走り出すと直ぐにガソリンスタンド(АЗС、アゼス)があり、そこで買い物をしようと思って近づくと、店員の若いブロンドの女性は俺をカフェが見えるところまで案内してくれて、そこで食事をしたら良いと教えてくれた。その店員は俺が日本人かと何度もイポーニャ?(ЯПОНИЯ)を繰り返した。まるで日本人だから親切にしてもらえているような気がした。
結局、アゼスでは何も買わずにカフェにて玉子焼き、ボルシチスープ、パン、紅茶を朝食にする。卵4つでも92ルーブルと安かったが、何故か最後に10ルーブルを追加していたので、間違って無いかと聞くと、2回目も同じように10ルーブルを追加していた。質問が出来ないので、そのまま支払う。後で思ったのだが、トイレの使用料だったのかも知れない。トイレは使ってないが、食事の前に手を洗っていたので、そう思われたのだろう。以前、水洗トイレを備えてるカフェではその料金を記す看板を掲げてあったが、このカフェでは看板も何も無かった。
道路のM53は町の中で何度となく曲がり、途中学校の前に出た。フェンスの向こう側で手を振る子供が居たので近づくと丁度先生が出てきて、子供は校舎に戻ってしまい、話も出来ず写真も撮れなかった。その後、踏切があり長い列車が通るのを待つ。
その後、当分の間は道が良かった。登り下りはあったが、比較的新しい舗装だった。そして12時位だったかまたカフェがあったので昼食とした。朝食から数時間しか経過してないが仕方ない。道路の両脇にカフェがあったが、右側(東北側)の古いカフェに入った。客は自分ひとりだった。いつもの玉子焼き、ボルシチスープ、ご飯、ジュース等を昼食とする。
そこから道路は良い状態だったが行政区のクライ(КРАЙ)が変わった後、警告のような標識があり、728Km から 838Km を記していた。もしこれが100Km の悪路の警告だったら、と嫌な予感がしたが、案の定それからは悪路が続いた。ある小さな町に入ってから、店でシャンプー、洗剤、ラーメン、ジャム、バナナ等を買う。そして今日もアイスクリームを買う。それから少しすると、町を出る前に雨が降ってきてしまった。風は北からの冷たい風で、このまま長い雨になったら嫌だったので、アゼスの屋根の下で日記を書いて待つことにした。
待っていると、ガソリンを入れに来たお客でホンダのオデッセイに乗った人が近づいて来たので挨拶をする。その人のジャケットには日本のオートバイのパーツのブランドの刺繍が入っていたので、バイクに乗るのかと聞くとそのとおりとの事で、仲間意識が芽生えたのか、名前と電話番号を教えてくれた。いつもの事だがありがたかった。
雨が上がり走り出す。町の前の踏み切りの下に井戸を見つけたので、踏み切りで番をしている女性に水を井戸から貰いたいと言うと、どうぞ、という感じだったので水を貰った。いつものように、冷たい水は美味しかった。
昨日の事だが、客車を引く機関車に向けて手を振ると汽笛を鳴らしてくれた。俺は客車に向けて片手で手を振り続けると、その中には両手を振ってくれる人が見えた。それがどんなに嬉しかったことか忘れられない。
町の店の中では、昨日コールス(KORC)のジュースを買った時にその場に居た黒いシャツを着た大柄なそしてメガネを掛けたドライバとまた会った。店の外に止めてあった俺の自転車を見つけて止まって店に入って来てくれたのかも知れない。外には昨日の黄色の大型トラックが止まっていた。昨日の話ではモスクワまで10日間と言っていたので、随分ゆっくりだとは思ったが、これ程ゆっくりとは思わなかった。俺が先に店を出て走り出すも、当然だがその直ぐ後に黄色のトラックはクラクションを鳴らして行ってしまった。
今朝は息子のルイスから電話があり、自分のお金でIpod Nano を買ったが、ルイスのPCでは新しいITune が使えないらしい。俺の使ってないラップトップのPCを使うように伝える。昨日のバスケットボールの試合では18点と、チームの中で一番多く得点したという。頑張っているようだ。クリスは友人のハリソンの家に誕生日会に呼ばれて不在だった。
雨宿りをしていたが、一向に止みそうな気配がないので雨の中を走る。その後も雨は止まずある村に入ったら雨は更に強くなった。空は明るいのに不思議だった。1時間くらいだろうか、走り続けると雨は上がった。村の空き家に入って泊まってしまおうと思ったが、どこの空き家も雨宿り出来る状態ではなく、どこも雨漏りしていた。どこにしようか決めかねている時に雨は上がった。そこから少し走ると別の村に入る。店の人にどこかテントを張りたいのだが、と聞くと店の横か裏に張ったら良いと言う。
テントを張らして欲しいと一言伝えたかったので建物の中に入ってみると、そこは警察のような重圧な感じだった。でも 廊下を歩いている人の目付きを見たら少し変だったので、もしかしたら精神病棟だったのかも知れない。誰も応対してくれそうに無いので仕方なく道に出て、その建物の道路の反対側の家の外に居た老夫婦に納屋に寝ても良いかと聞くと、最初は庭だったら構わないという感じだったので、塀の中に入れて貰い、納屋を見せてもらうと、テントを乾いた土の上に張れるのでここに寝たいと言うとすんなりOKしてくれた。夕食には数日前に貰ったパン等が残っていたのでそれを食べる。
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