夕べは塀の外側が賑やかだった。店がきっと村の中央なのであろう。若い人々の声が大きく響いていた。朝は7時半に起きた、と思ったが、実は既に隣の時間帯に進んでいたので、6時半だった。そして8時に走り出そうと思ったら、俺が納屋に泊まって良いと言ってくれた老人はお茶を飲みたいかと聞いてくれた。家の中に入れて貰い、椅子に座るとコーヒーを入れてくれた。テーブルの上にあったパンも食べて良いというので一切れ頂いた。ありがとう。別れ間際に二人の写真を撮って別れる。
天気は快晴。昨日みたいに地平線近くには雲は無かったので、今日は天気が崩れることは無いだろう。風は向かい風。でも、冷たくもあり気持ちよい風であった。夕べの降った雨のためか湿った空気で、涼しい気温の最高の状態だった。
道は次第に悪くなりぬかるみにトラックが立ち往生している。ドライバはトレーラーには35トンの荷物が積んであると言う。トラックは前輪が半分くらい埋まってしまっていて、キャブオーバーのトラックのボディの一部が地面と接していた。スコップでその土を退かしていたが、その小さなスコップと土の量はあまりにも掛け離れていた。前進は不可能だ。もしトレーラーが切り離せトラクタの自重だけだったら前進できたかもしれないが、ドライバはトレーラーをを切り離したくないと言っていた。無理も無い。平坦な土地だったら、切り離しても直ぐに接続できるが、ぬかるみで、そして凸凹な道路ではトレーラーのキングピンをトラックに接続するのは至難の業かも知れない。一時間くらいだろうか手伝ったが何も出来なかった。そしてドライバは道の南(東)の方にブルドーザーが来るのを見つけた。恐らく通り過ぎるトラックに援助を求めていたのだと思った。ブルドーザーが来るまで相当の時間が掛かりそうだったが、助っ人が向っているのでドライバとは別れる。
その後、ある村の店でバナナやヨーグルトのような飲み物を買う。その後、直ぐに町に入り、カフェで昼食とする。いつもの玉子焼き、ご飯、ラッソーリニクというスープと紅茶を頼む。このカフェの時計を見て、時間帯が一つ変わって1時間進んだことが分かった。
途中、電話が鳴ったが応答できなかった。短い3回のビープ音が3回繰り返して切れてしまった。携帯のSIM カードを替えないといけないのかもしれない。あと3日間で次の都会、クラスノヤルスクに着けるので、それまでは電話を受けられないかもしれない。
食事の後、準備をしているとまた自宅から電話があった。最初は何のアナウンスもビープ音も無かったのでローミングでは無いと思って話をした。恵子は俺が2月にハワイのヒロで借りたレンタカーの事でレンタカー会社から連絡があったと言う。どうやら返した時には何も車体に傷が無かったのに、今になって傷があるので修理代を400ドル以上を支払え、との事だと言う。困ったものだ。何らかの保険が適応されるはずなので、とりあえず支払うように伝える。
電話の後で分かったのだが、携帯の残高は94ルーブルくらいあったはずだったのに、電話の後はマイナス83ルーブルだった。ローミング代が加算されていたのだった。20分以上話したので一気に残高がなくなってしまった。食事の前に鳴ったビープ音はローミングの開始のシグナルだったのかもしれない。
それから道は一部悪路があったが、午後の後半は良くと言うか以前の普通の舗装になった。そしてカンスク(КАНСК)という地方都市に入ったのだが、道を間違えた。交差点の標識に、優先を記す太い線が右に折れていたので、右に曲がったのが間違いだった。住宅地が商業地に変わり、町の中心に向っているようだったので、その時は全く疑う余地が無かった。
英語の Administration という綴りに似た看板が見えたので、市の庁舎が集まっている場所の案内があったので、そのまま進む。そして携帯のSIM を替えたかったので 携帯会社のMTCの看板を探す。その看板があった建物は市の中心のようで、周りは結構な自動車とバスが行き交っていた。
店に入り、SIM を替えたいと伝えるとその店では販売して無い様で、店の若い女店員はMTC の事務所に歩いて案内してくれた。例え数ブロックしか離れて無くても、とてもありがたかった。MTC の事務所で、SIM のプランを変えるかSIM を替えたいと伝えると、結果は駄目だった。ロシアに在住の人しか購入できないそうだ。
ウラジオストックからロシアに初めて入った時のこと。港に迎えに来てくれて一泊させてくれたエフジニア(ジェナ)が俺の携帯電話を買う為に、彼女のパスポートを使っていたのを思い出した。旅行者の俺はSIM を購入出来ないことをジェナも知らなかったようで、ジェナは携帯のお店に入った時に彼女自身のパスポートを持ってなくて、一度家に帰ってもう一度その店に行ってやっと携帯電話とSIM を買うことが出来たのだった。
結局今日は MTC の事務所ではローミングが1分当たり8.8ルーブルになることを教えてもらい、とりあえず200ルーブル支払い、マイナス分があったので残高は100ルーブル位になった。恐らくこの1分8.8ルーブルがウラジオストックを出た時のレートに近いと思った。
そして、まだ道を間違えていることに気付かず西へ西へと進んだ。只、途中 Kmマーカーが2、3、4と一桁になってしまったので変だとは思ったが、バス停で待つ人にクラスノヤルスクはこの方角かと聞くと、そうだとの返事が返ってきたのでそのまま進んだ。すると十字路の交差点になり、標識ではクラスノヤルスクは左と出ていた。左に曲がり進むとやはり Km マーカーの数字が変だったので街を振り返り煙突を探すとそこで始めて遠回りをしている事に気付いた。恐らく今日は15Km 位遠回りをしてしまったのだろう。暫く進むとT字路になり、クラスノヤルスクは右にとの標識が出てきた。M53に戻れ、マーカーは848位だった。今日は120キロ位進みたかったのだが、カンスクの街を出てしまい恐らく次のカフェは当分出てこないだろうから夕食を食べれないと思ったのと、日が暮れてしまったので林の中にテントを張って寝ることにした。蚊が多かったので長袖のレインジャケットを着てテントを張る。テントの中で非常食のクラッカー、ラーメン、バナナ等を食べる。道路からそう遠くないので静かでは無いが大丈夫だろう。
さっきまでロシア空軍機と思われるジェット機が何機も離着陸を繰り返していたが、練習を止めたようで静かになった。もし夜間の訓練も行われたら、騒音でとても寝ていられない場所だった。ジェット機は垂直尾翼が2枚のF14みたいな飛行機だったので、恐らくミグかスホーイだったんだろう。テントを張る前、空軍基地の横を走っていた時に、M53の道路から滑走路は見えなかったが、道路よりも低く削られた窪みに飛行機の格納庫が見えた。写真に収めたかったが、どこでどんな監視をされているか分からないので、写真の為に旅行を台無しにしたくなかったので撮らなかった。
それから、沢山の種類のレーダーが見えた。大きいのや小さいの、そして小さいレーダーは回転ではなく首を振っていた。その小さなレーダーの首ふりの周期は、2秒間隔くらいで物凄い大きな音が一緒に聞こえた。レーダーが音を出すわけが無いと思ったが、周期が同じだったので不思議だった。そのレーダーを後に走り去ろうとすると、いきなりジェット機が離陸していった。レーダーと同期の取れていた音は、恐らくジェット機が離陸前にエンジンの調整を行っていたのであろう。スロットルを開けたり閉めたりしていたのが、丁度レーダーの首振りと同じ周期だったのだ。垂直尾翼には映画「トップガン」で見たのと同じような赤い星が描かれていた。
左手は相変わらず痺れているが、左膝は問題ない。
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