朝は7時くらいに目が覚めるがインターネットを出来るラップトップが見当たらないのでキッチンを片付けたり、出発の準備をした。そして、ティムールさんが9時くらいに起きてきて、友人は車ではなくバスで行くと教えてくれた。モスクワでのインタービューの期日を絶対に守らなければと思い、もし自動車に乗せてもらいカザンの街を抜けるだけでも良かったが、その可能性はなくなったので、自分は急いで出発の準備をした。
地図で街から出る時、大きな通りよりも線路脇の方が安全だと思い脇道を進むと非常に道が悪かった。そして、線路を跨いで渡ったりした。道路は路線バスの通る程の道だったが、トラックが行き交う道路ではなかった。道路わきの小さな店ではバナナを6本買うことが出来、ケフィールも飲んだ。店先では俺のことを、どうしてこんな店に来ているんだ、という視線で客が見ている。無理も無い。どうやっても旅行者が迷い込むような所ではない。
途中、非常に面白い建物を見つける。教会とも寺院とも言える不思議な建物だった。
陸橋は線路を超える。俺は西か南に進まないといけないのに、陸橋を超えて北側に戻ってしまう。陸橋からは俺が本来進むべきM7 の陸橋が北に見える。俺はそれを通ってボルガ川を南に進む必要がある。俺は迷った。北側に進んで幹線に戻るか、陸橋の麓まで行ってみてそこから自転車の引き上げを試みるかの二つに一つ。安全策を取って幹線も戻ることにする。道は自動車が一台行き交うことが出来る程の狭い道。太陽の日が地面を照らすことが無いほど茂っている森に進む。そこは墓地だった。シベリアでは墓地は決まって町外れの離れで多くは緑色のフェンスに囲まれていた。この墓地の集落にはフェンスはあっても森の中の為か、緑色のフェンスではなかった。
俺は走った。まるで墓場の霊に追いかけられてでもいるかように狂ったように走った。早く森を抜けたかった。墓場に山賊は居ないとは限らない。何かあって大声を上げたとしてもエコーが響くような森ではないのは容易に分かった。ブラックホールのように全て吸収されてしまいそうな森だった。必死に走ると、時々自動車とすれ違ってみてそれ程人里を離れて無いことを悟る。月曜日だったが、お墓参りの人たちであろう。
距離にすれば大したことは無いのだろうが、30分位の時間が永く感じられた。直に家が見え隠れし、それから直ぐに住宅地に入り、そして遂にカザンの街から進んでいる幹線のM7 にやっとの思いで出られた。始めから幹線を進んでくればきっと1時間くらいの余分な時間を費やすことは無かったであろう。時間は既に13時半。都会からの脱出は時間が掛かってしまい嫌いだ。
(左:幹線のM7に戻る。ボルガ川の橋の手前)
(左:昼食を取ったカフェ)
次の大きな街、チェボクサリに住んでいるティムールの知人のTaska さんという女性の家に泊まりたかったが道路わきに表示されているサインには180キロと記されている。今日行ける距離ではない。しかし、カフェでは100キロと言う人が居たので頑張れば夜遅くなっても着く事が出来る距離だと思って走った。
しかしそんなのも束の間、次の距離のサインは120キロと表示されている。不可能だ。諦めてTaska さんとティムールさんにSMS を送ってその旨を伝えた。
天気は良い。しかし、昼前のカザンの街の脱出で疲れたのと、日がまだ昇っていても7時を超えてしまっているので、カフェで食事をすると走る気は無くなってしまった。カフェはデリみたいに作り置きが並んでいて、それらの中から数品をピックアップして清算した。
カフェを出て近くの自動車の修理工場で働いている人にテントを近くで張っても良いか、誰かの家に泊めて貰えないかと聞くと、少し待って、との事だった。何が起こるのか分からなかったが、待つこと10分くらい。すると20才くらいの青年が付いて来て、というので、近くの5階建てくらいの建物が幾つか並ぶ住宅地に入る。あぜ道を戻りM7 の幹線を行き交う自動車の音が聞こえてくる位の距離だった。
その青年は誰の目を気にしているのか、キョロキョロと近辺を伺いながら俺を案内してくれた。ロシアのどこにでもあるようなコンクリートの建物で、階段を上ろうとすると、その青年は耳を澄まして誰も居ないことを確認してから俺を彼の住むユニットまで案内してくれた。彼の住む家の中は大きな部屋が二つ、キッチン、そして俺を案内してくれた小さな部屋と、結構広いユニットだった。俺はシャワーを浴びさせて貰い、その後、先に夕食を取ったカフェの並びのお店に戻り、小さなアイスクリームを4つ買って戻って、その青年と一緒に住んでいる人に渡した。しかし、その後で、その青年はお金を要求してきた。俺は手元の現金が少なくなっているのと、後からお金を要求された事が気に食わず、200ルーブルを値切って100ルーブルにしてもらった。青年は少し不満そうだった。その家は恐らく彼の家ではなく、彼は一緒に済ませてもらっているような気がした。そして、一緒に住む人の家族には小さな子供があり、テレビを見ていた。その家の人の一人は少し英語が出来たので、俺の写真を見てもらって少し話をした。
(今思えば、ありがたく泊めてくれたのだから200ルーブル払って上げれば良かったと悔やむ)
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