2008年7月12日 (77日目) カザン(ティムール宅)M7

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朝は6時過ぎに目が覚める。泊めてもらった修理工場の小屋の外に出ようと思ったらドアの内側に鍵が見えたので、鍵が無いので外に出られないかも、と思ったが後でよく見たら鍵ではなく、ドアを押したら直ぐに開いた。一晩中鍵を掛けてなかったという事か。俺が寝ているので安心してしまったのか、いつも鍵をかけないのか分からない。道路と反対側で、外には誰も居なかったのでいきなり小便をする。

テントを張ってないので出発の準備は簡単だ。テントを乾かす手間が省ける。エアマットレスを丸めて空気を出して長細い袋に入れる。そして寝袋は寝袋用の袋に入れて、準備は終わる。それでも、お茶を入れて頂いたりしていると8時近くになっていた。ローカルの時間は2時間遅れているので6時前だった。俺を泊めてくれた人は、5時過ぎに来たお客の為に早くから起きていた。何かトラックの部品のようなものをガス溶接していた。

(左)朝、起きてみると道路の反対にはトラックが沢山、(右)ピトラウ地方のサイン

嬉しい一晩だった。俺がどこから来てどこへ行くのか聞かずに修理小屋に泊めてくれた。英語が話せないので会話にはならなかったが、お茶を飲みなさい、クッキーを食べなさい、と色々と気遣ってくれた。優しい顔のとおりの人だった。お礼を言って出る。

そして昨晩テントを張ることを断ったカフェに寄って、顔を洗わせて貰い水を水筒に入れて出てきた。夕べの夕食の時は、カフェの横にテントを張っても良いというので夕食をそこで済ませたのだが、その後になって断られたので、朝食を取っても良かったのだが、夕べの事が少し癪に障るのでそのまま出てきてしまった。

朝は涼しかった。雲が東の空を覆っていた。そしてあるバス停のベンチに座って、朝食に魚の缶詰とパンを食べる。

道路は良い区間も永くあったが、悪い区間も少なくなかった。ある区域では菜の花の黄色が鮮やかでとても綺麗だった。一ヶ月前(6月)のシベリアではタンポポを見て、シベリアにも春が来たと思ったが、ウラル山脈の西側では菜の花だった。恐らく日本だったら両方共に春の花のはずだ。それだけ俺は北に上って来たと言う事だろう。晴れたいたら綺麗な写真になったであろう。



今日は100キロの距離と、ウラル地方の都会カザン( Казан、タタールスタン共和国の首都)の街中を進んで、泊めて貰う事になっているティムールの家を探さないといけない。急ぐ必要があった。

ティムールにカザンの中心地からどちらの方角か、SMSで聞いてみたが、思った返事が返って来なかったので、最悪のケース(俺は東から入るので、一番遠い街の西部)を想定して、頑張って早く着ける様に走った。只、2時間の時差があったので、これは大きな救いだった。



(道路の右端の窪み方が非常に大きく、自転車では走り辛い)
(右)綺麗な区間もあった


幹線から村に入る道があったが、大きく離れてしまうと思ったので先に進むと、村の西の外れから店が見えた。とりあえずバナナだけでも買えたらと思って、幹線を離れて村に進む。

小さなマガジンに入ると、意外にも色々なものがあったので、バナナ、りんご、髭剃り、スポンジなどを買った。(スポンジは厚い時、手や顔に水を掛ける為に買った。) マガジンの中の客も、店の外で俺の事を見ている人も、全てが以前の人種とは違っていた。店の外には初老の婦人達がベンチに腰掛けて居た。アヒルが何羽も居て、その番をしているようだった。いつものように、アトクダ(Откуда、どこから)?、クダビイディチ(Куда вы идёте、どこへ行く)?、キタイ(Китай、中国)?と、この3つの質問だけ理解できた。それ以外は話にならない。でも、笑顔で接して貰えたので嬉しかった。

店の前の道は雨水の為か、車が通れるような代物ではなかった。大きな車輪を付けた馬車が適しているような凸凹の道だった。子供は今にも壊れそうと言うよりも、次はどこか壊れるか、と思われるような自転車に乗って店に買い物に来た。俺がよそ者と分かっていても、何も気にすることなく通り過ぎていく。小型乗用車はロシア製のラダが車の底を当てないように窪みを避けて通り過ぎる。全てがゆっくりだった。週末という事もあるのだろうが、当に長閑な村だった。





昨日の12時半(今日の10時半)位に見つけたカフェにて、いつもの玉子焼き、ボルシチ、マカロニを食べる。先の都会、ウファ辺りからそうだったのだが、この辺の人種はシベリアともウラル地方の人種とは違う感じがした。(後で分かったのだが、話される言葉はタタール語という聞いた事もない言葉を話すそうだ。)



カフェに入る前に、俺は自転車をカフェの中からでも見える場所に置いておきたかったが、カフェの隣で建築の工事をしている責任者らしき人が親切にも、自転車は私が見ているから大丈夫だよと言ってくれた、と思う。工事の作業員は今までのロシア人と違っている。ロシアに居るのにロシアではないような感じだった。でも俺は騙されているかも知れない、という気にはならなかった。都会だったら信用してなかったと思うが、皆やさしそうな目をしていた。

カフェではいつもの食事を取る。そしてカフェから出てくると、先の責任者みたいな人が居たので礼を言って分かれる。俺の旅はこんな出会いと分かれの連続だった。

走り出すと、道は広くなって走りやすくなった。直に道路の中央分離帯がでてきて、道は更に良くなった。先のカフェで今日の目的地カザンまでの距離を聞くと38キロと言っていたが、正しかったようで、M-7の幹線とカザンの街への道の分岐点にモスクワ時間で13時に着いた。




でも、足早な雨雲が出てきたので、АЗС(ガソリンステーション)の並びのカフェでお茶を頂き休憩をする。風は強かったが、雨は僅かの時間で上がった。カフェを出て、カザンに向う道路、1P?という道を西に進む。夕立にしては時間が早すぎる。そして雨も少なかった。今日も前線に向って進んでいたのかもしれない。西風が特に強い。


カザン市の境界線は14時位に超えた。そしてティムールに電話して、この道をこのまま西に進んで良いものかと聞いたが、俺が何処に居るのかティムールには分からないようで、”カリツォー”に向って進んで欲しいとの事だった。道行く人にグジェ・カリツォー?と聞くと、誰もが親切に道を教えてくれた。

(左)カザンに向う道路、(右)カザン市の境界線

でも1P? の道は最初好きでなかった。まるで裏道のようで、どこかで途切れてしまわないか心配だった。舗装は良かったのだが、どこかの街のように標識がなくなってしまわないか心配だった。でも、誰に道を聞いても、誰もが俺を歓迎してくれているようで嬉しい。ある人は、一度礼と言って別れたのに、車で後を追いかけてきてくれて、俺が道を間違えないように丁寧に道順を教えてくれた。都会と言えども親切な人が多い。

(左)レーニン像、(右)カザン市庁舎

(グム・デパートの前の広場)

道路の幅は次第に広くなり、バスが行き交う街の中心に向っている気がした。大きな道を何回か曲がって、何の問題も無くカリツォーに15時に着いた。カリツォーとは金の指輪の事のようで、街の中心地に建物の一部として作られた大きな金色のリングだった。

(左)写真左側の斜めに傾く金色のリングがカリツォー、(右)時計の文字に注目!


街の中心地とあって観光客が沢山居る。デパートと思われる店もある。時計台の文字はアラビア数字ではなくアラビア文字のように見えた。

ティムールに電話すると、そこで待っていて欲しいとの事だった。30分ほど待つと、ティムールは車で迎えに来てくれた。車は小型の物で、とても俺の自転車が入るような大きさではなかったので、俺は自転車に乗ってティムールの後を付いて行くことにした。疲れていたが、見失わないように頑張って走った。

ティムールのアパートには15分くらいで着いた。途中、集合住宅地の中にある店で買い物をする事になったが、自転車を外に置いておく必要があったので、僅かな食べ物だけを買って出た。都会なので神経を使った。

ティムールのアパートは珍しく1階だったので、自転車を上げるのに苦労は無かった。先ずはシャワーを浴びさせて貰った。そして洗濯もした。そして、マカロニがあったので、それを他の物と一緒に頂く。どんなに大きな街で、簡単にティムールの家に着けるのか心配だったが、いつもの取り越し苦労だった。泊まる所に早く着く事がこんなに気持を楽にするのかと改めて思った。

その後、ティムールは車で街を案内してくれた。ティムールは車の運転は決して上手では無かったが、英語は素晴らしかった。古い教会やティムールが通った大学なども案内してくれた。案内して貰えるのは嬉しかったが、俺は疲れていたので歩くのが大変だった。早足で歩くティムールに付いていくのがやっとだった。

そして、CouchSurfing で知り合ったアメリカ人2人がティムールの所に泊まっていると聞かされ、その人達と一緒に夕食をタタール料理のレストランで食べる事になった。分かり辛い場所で、あちこち迷ったがティムールは何人かの人に道を聞いて、やっと古い街並みの一角に見つけた。

アメリカ人2人は既に食事を始めていて、俺は既にティムールの家で夕食を済ませていたので、スープとデザートだけにした。でも、街中だけあってそれだけでも200ルーブルを超えた。幹線道路の脇にあるトラック運転手相手のカフェとは倍以上の値段の差があるように思えた。

レストランからの帰り道は先のアメリカ人2人を含め4人でティムールの車に乗り、帰宅の徒に着く。俺は、(ウファで買ってもう全て食べてしまった)デーツがティムールの自宅の食卓にあったのを思い出して、ここならデーツがまた買えると思って、ティムールに頼んで街の中心のカリッォーの近くのコンビニエンス店に寄る。しかし、デーツは無かった。

それからは、夕食時に一緒に居たロシア人女性の働くレストラン&バーに行く事になった。俺は早く帰って寝たかったが頑張って付いて行った。そこの店の中は賑やかだった。土曜日の夜だ、当たり前だろう。俺は疲れている上に、ロシア語の会話は全く分からず、座っているのがやっとだった。でも、もしロシア語が分かったら楽しかったのだろうな、と思う。ティムールの家に戻り、お茶を頂いて寝る。午前1時半。

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