2008年6月17日 (52日目) M51 マーカー:378 Km

夕べは早く寝たせいもあり6時位に起きて、7時位には走り出す。朝起きた時には小雨だったが直ぐにレインギアを着なくてはならなかった。空は全体に雨雲が広がり、簡単に雨が上がりそうに無かった。

風は強くて冷たい。シベリアに春は来たかと思っていたが、容赦なく吹く風は冷たかった。自分に課された試練なのか。それとも、何も考えずに旅に出た罰なのか。俺の神様への願いはこの冷たい雨を止めて欲しい事だった。苦しい時の神頼みだった。

10時くらいに見つけたカフェでいつもの食事を取る。ボルシチ、マカロニ、玉子焼きなどを食べる。水を売っていたが1リットルの小さいボトルだった。雨が降っていると汗は余計にかいているようだった。

カフェの外の日差しの下で昨日のように全てを着替える。たった3時間で全てが濡れてしまった。クラスノヤルスクで転んでジャケットが多少破れていたが、それよりもゴアテックスが全く機能してないのが問題で、ジャケットもパンツも上下共に内側が濡れてしまっている。次の都会のオムスクで上下共に買い換えないとだめだろう。

カフェを出て走る。手は冷えてしまっているが、指の先までカバーする青の手袋は内側もずぶ濡れで、冷たくて付けていられなかった。とにかく、金曜日にオムスクに着くようにするには頑張って走らないといけない。今朝出かける時は、150キロ位走れたら良いと思った。でも結局、今日の終わりにはオムスクまで267キロになっていたので、結構すすんだ。



昼は朝食からあまり時間が経ってなかったが、次に見えたカフェで食べる。ロシアを旅行していて今まで時々あったのだが、このカフェのキャッシャーも愛想の無い女性だった。大半のキャッシャーは、外人の俺のロシア語が分かり難そうだったが、愛想良くしてくれたがこんな店もあるのだった。悪い事にあたると、今まで普通の状態が良く感じられるのだった。

カフェの中には昼食時だったので客が多く、20人以上が居た。空いているテーブルは無かったので、警官の制服を着た人に合席をお願いすると快く座らせてくれた。ノボシビルスクのパベールは、ノボシビルスクを西に進むと魚が名物の地域があるので、そこでは是非魚を食べたら良いといっていた。どこの事か分からなかったが、M51の南側には小さな湖が時々見えていたので、淡水魚を食べるのだろうと思った。

カフェでは、揚げた魚が何種類かあったので、切り身になっている大きい魚の切り身を注文する。重さを量って料金を計算していた。公平なのはありがたかったが、量り売りは共産主義の遺物なのかとも思った。カフェを出る時には数人の人から質問を受けた。カフェの中は綺麗でテレビもあり、トイレは綺麗だった。そして、カフェの入り口に止めて置いた自転車は客人の目を引いた。








カフェを出て走り出すが風が強くて大変だった。湖の見えるところで、車のボンネットに布切れを敷いてその上に並べられた魚を売る商人を見つける。最初は200ルーブルと言っていたが高いなと思っていたら直ぐに100ルーブルに下がったが、どうやって食べたら良いのか分からないので、半額に下がったが買わなかった。





しばらく走ると、サンクトペテルブルグから自転車に乗って来た老人と会う。チタまで行くと言う。どんなに早く走ってもチタまで3週間は掛かる距離だろう。こんな変速ギアも無い質素な自転車と装備で、そんな距離を進むのかと思うと、自分の装備は豪華そのものだった。老人は英語が分からなかったので直ぐに分かれた。



それから10分もするとまた別の自転車乗りに会う。今度は自分よりも若い青年、キリルだった。モスクワからウラジオストックまで行くと言う。変速機は付いていたが、フリーウイールのギアの歯は一枚を除いて全て折られてしまっていて、固定ギアだった。どうしてそんな事をしたのか理解に苦しんだ。でも、自転車を立て掛ける場所が無い時の為に、比較的丈夫な幹の木の枝を上手に切って自転車のスタンドにしていた。俺もスタンドが欲しかった。ロシアの道路脇にはとにかく座る場所が無い。そして当然だが自転車を立て掛ける物も無かった。だから俺は、自転車で走るのを止めても跨いだままで休憩をよくしたものだった。

キリルはテントも寝袋も持っていたので、どんな所にキャンプしているかと聞くと、道路から100メートル位離れた所によくテントを張っていると言う。ハバロフスクの人たちと、クラスノヤルスクのフィオドールから危険な虫が居るから注意するように言われていたので、俺は草むらにテントを張るのには気が引けていたが、キリルはそんな事は一向に気になっていないようだった。



キリルと分かれた時に、次のカフェは30キロくらい先だろうと教えて貰っていたが、もう既に夜の8時半だったので、今日そのカフェには辿り着けない。でも何かしら無いかと走る。そして暫くするとガソリンスタンドがあった。




その近くにはカフェがあったが空き家だった。ガソリンスタンドに戻って、その敷地内にテントを張らせて欲しいと聞くと小屋の中に寝ても良いと言う。でも、小屋の中を覗いたら、ギアオイルの臭いで我慢できなかった。小屋の中にはエンジンやトランスミッションの部品が散乱していた。結局、ガソリンスタンドの裏にテントを張らせてもらって寝る。カフェではスナックしかなく、空腹を満たすものは売ってなかった。仕方なく、持っていたクッキーや果物、そしてラーメンを生で食べる。

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