2008年6月14日 (49日目) ノボシビルスク、パベール宅


朝は6時位に目が覚める。というか車の助手席に寝るのは寝心地の良いものではなかった。その為か早く目が覚めてしまう。そして運転手の名前は遂に聞く事が出来ず別れてしまった。彼は、ケメロボから車を運転して来て、その車を購入する為の手続きにノボシビルスクに来ているようだった。昨晩駐車した場所は、洗車業者の建物の前だった。

ロシアの都会では洗車業者が結構あり、どこも修理工場のように大きな平屋の建物の中で洗車している。車が建物の中に入るとドアが閉まってしまうので、具体的に何が行われているが分からないが、1時間くらい掛けて洗車や車内の清掃をしているようだ。作業員はつなぎの作業服を着ているようだ。恐らく長い冬の間でも洗車の商売が成り立つように車庫の中で作業が行われているのであろう。

外は小雨だった。空はどんよりと暗い。太陽がどこにあるのか分からないので、文字通り東も西も分からない。こんな大きな街で、もう車から降りてここから勝手に道を探して進みなさい、と言わんばかりの彼だったので、ケメロボでのウラジミールとの別れとは対照的だった。一晩の雨を凌げたが、本来なら自転車で走りたかった区間なのに車に乗せてもらったので、感謝の気持には程遠かった。とりあえず駅に向いたかった。

駅が街の中央にあるという保証は無い。降ろされた場所から近いか遠くかも分からない。でも、ウランウデ付近からイルクーツクまで小型トラックに乗せてくれたパベールと待ち合わせする場所として、ノボシビルスクの駅は申し分ないと思った。特にこんな天気だったら雨宿りするには適していると思った。

別れる前に彼に駅の方角を聞いた。何度か道を左に右にと曲がり中央分離帯の道を進めば駅に出るような返事だった。ロシア語が分からないので何ともいえないが、丁寧な道の教え方ではなかったので、聞いていて途中から半信半疑な気持になってしまった。

レインジャケットとパンツを履いて走り出す。行き交う車の数は少ないが、片側4車線もある大きな通りだった。タクシーは容赦なく水を撥ねて走り抜けていく。俺の一つの願いは、パンクしないで欲しい事だった。雨の中のサイクリングは最悪だ。その上にパンクなどしてしまったら、泣きっ面に蜂だ。そうならないように水溜りには陥没した穴が無い事を願いつつ走った。

案の定、彼に教えてもらった通りには進めなかった。交差点の中央が丸くなっているランアバウトを二つ超えなければいけないはずだったが、3つ過ぎても彼の言うような通りにはならなかった。通行人に駅の方角を聞くと、駅には間違いなかったがシベリア鉄道の駅ではなく、ノボシビルスクの市内の電車の駅だったりした。バス停でバスを待つ人達は不思議そうな目付きで俺を見ている。でも、少し走ると雨は上がった。

天気さえ良ければ気分は晴れる。気が付くと北に向っていた。ノボシビルスクから次に向うオムスクまでの幹線道路は今までどおり「M53」だ(2009-10-07追記:正しくはM51だった)。もしそのサインが見つかれば、もしパベールと逢うことが出来なくとも、ノボシビルスクを出てしまいオムスクに向うことは出来る。しかし、虚しくそんなサインはどこにも無い。そして暫く走ると大きなショッピングセンターが見える。時間は午前9時近かった。パベールに電話しても良い時間だと思った。そして、自分が今居る場所を伝えないと、どっちの方角に進んだらパベールの家に行けるのか教えて貰えないので、駐車場で掃除をしている人に道の名前を聞いた。運良く近くの建物に道の名前が書かれていた。

道の名前は思い出せないが通りという「イーレッツァ・何々?」(2009-10-07追記:ウーリッツァ・トロレイナヤ、ул. Троллейная )とその人に尋ねると、俺の発音を正してくれた上で、「ダー(はい)」と返事してくれた。都会に置きざれにされたような悲しい朝だったので、こんな些細な親切が嬉しかった。そして、1ヵ月半ロシアを旅行していて、いつの間にかキリル文字を読めるようになっていた。嬉しかった。とても嬉しかった。イルクーツクのイレーナに読んで聞かせた時は、俺でも読める文字が最初にあったので、彼女は俺がキリル文字を読めるのか、と勘違いしたが今日は違った。実際に読めたのだ!



そして、建物の横にはコンチネントとのサインも読めた。俺の頭の中は英語と日本語とロシア語が混じっていたので、俺にはコンチネントという文字は英語で Continent と理解され、その時は何も感じなかった。でも今思うと、和訳すると「大陸」という意味だったのか、と偶然を嬉しく思える。

コンチネントというショッピングセンターの横にはビアガーデンのテントが張られていた。その中には若い店員が二人見えたので、その中のテーブルに座りたいと聞くと、快く承諾してくれた。ビアガーデンは午前9時からの営業だったが、入れてもらえた。椅子に座って日記を書く。夕べはケメロボのウラジミールからSMSが届き、村で泊まれることが出来たのかと心配してくれていた。ウラジミールに返事を送り、ウラジオストックのジェナ、ハバロフスクのマリアとマリーナ、チタのセルゲイ、イルクーツクのイレーナにもノボシビルスクに着いた事をSMS で知らせた。(今、気付いたのだが、ウラジオストックとノボシビルスクは2時間遅れているので、朝の7時にSMSを送ってしまっていた。御免。)



9時になるのを待って、パベールに電話をした。するとそこで待っていて欲しいとの事だった。パベールのロシア語を理解しているとは思えないので、直ぐにビアガーデンの店員の男の人に電話を替わってもらう。もし、迎えに来てくれるのだったらこんなに嬉しいことは無い。恩人に会えるだけではなく、迎えに来てくれると言う。店員は電話でパベールと話した後、その電話を切った。そして店員は、ジェスチャー交じりで、この椅子に座って待つよう教えてくれた。何と喜怒哀楽の激しい朝なのだ。彼にはお礼に鶴を折ると、喜んでくれた。

一時間くらい待ったのだろか、パベールが突然現れた。店員にお礼を言っているようだった。礼儀正しいパベールだった。俺にとってパベールは強風と大雨の中で拾って貰えたので恩人だ。でもパベールにとって自分は厄介者だったかも知れない。でも、その店員に対してパベールは、自分の友人に良くしてくれてありがとう、と言っているようでとても嬉しかった。

どこにパベールの家があるか分からないが、Hino の小型トラックに自転車を積んで自宅まで行こう、となった。トラックの荷台には何も無かったので自転車を横にして積んで、パベールに家に向う。恩人に逢えて嬉しかった。

イルクーツクで別れてから3週間が経過していた。別れた時にパベールは、ノボシビルスクに着たら連絡してくれ、泊まって良い、と言ってくれていた。しかし、本当に俺を泊めてくれるのだろうか、本当に逢えるのだろか、と半信半疑だった。例えノボシビルスクに着いたとしても大都会なので、自分の進行方向に沿っているのか気になっていた。

しかし、いつものように心配事は取り越し苦労に終わった。夕べもノボシビルスクに向う最中、車に乗せてもらったのだったが雨の中だったので楽しくは無かった。でも今朝は小雨だったが直ぐに晴れ、冷たい風にも当たらず、パベールの車の中から飛んで行く景色を見るのは楽しかった。パベールには俺が知っている限りのロシア語を並べて話しかけた。会話にはならなかったが、もの大人しいパベールが俺を歓迎してくれているのは感じられたので嬉しかった。

距離にしたら20キロ位だと思う。パベールの家に着く。ノボシビルスクの郊外の町だった。先ずはシャワーを浴びさせてくれた。そして紅茶やパンなどを頂く。俺は彼の町の中を散歩しても良いと思ったが、気を使ってくれて、とりあえず少しソファで横になったらと勧めてくれた。俺が昨晩、自動車の中で寝たことは話してない。テントで寝たとも話してない。だから昨晩、俺がどこでどんな風に寝たか知らない。どうして休むように言ってくれたのか、とても不思議だったが、実際に疲れていたのと、パベールに逢えた事で一気に疲れが出てしまったのだろう。ソファに横になると、あっという間に寝てしまい、気付いたら2時間寝てしまった。俺の携帯の音で目が覚めると家族からの電話だった。子供はあと4日学校に行ったら夏休みだそうだ。長男のルイスは嬉しそうに、この夏はサンディエゴ、ラスベガス、そして日本に行くと言っていた。

電話の後、ソファから起きると昼食が待ってた。とてもありがたいことだった。ケメロボのウラジミールの母親が作ってくれた料理に似ていて、チーズを包んで茹でたものだった。昼食の後は、パベールとアパートの周りを散歩した。パベールの知人を紹介され何人もの人と握手を交わす。アパートとは少し離れた場所に車庫があり、ある車庫の前ではボンネットを開けてなにやら修理している人達もいた。ロシアの大衆車「ラダ」で、キャブレターが付いているのが見えた。シベリアの冬は全て凍結するはずなのでエンジン始動も大変だろうなと思った。

この旅行を終えてから分かったのだが、ノボシビルスクの冬は南極の昭和基地の冬の8月・9月の気温だという。子供の頃、南極の越冬隊員は大変だな、と思ったがこのシベリアでは全員が越冬隊員。シベリアにはブリザードは無いが、何れにしても冬の大変な事は容易に想像できる。

話は変わるが、アメリカのようにディーゼル燃料には #1 と #2 の区別が無いようだった。シベリアの寒冷地なので全てがアメリカの#1に相当する寒冷地向けのディーゼルなのかもしれない。

そして夕方にはノボシビルスクの市内にまた戻って街を案内をしてくれた。俺はパベールに帽子を買いたいと言っていたので、そのために連れて行ってくれたのだ。先ずはパベールの勤める会社の事務所に立ち寄った。事務所には韓国から贈られてきたと思われる装飾品が飾られていた。乗用車の輸入よりも恐らくバスの輸入が主な商売なのだろう。日本の右ハンドルのバスはロシアでは禁止されているようだったので、左ハンドルの韓国製のバスを輸入しているのだろう。アメリカではHyundai 製の乗用車は多いが、ロシアでHyndai 製のバスを見るとは思っても居なかった。


事務所には若手の社長とその彼女か奥さんに見える女性が居た。社長は少ししか英語が出来なかったので思うようには話が出来なかった。机の上にはコンピュータがあったので、Eメールを確認させてもらい、幾つかの返事を送る。

事務所を後にして市内をパベールの車から見た。大きな街だった。シベリア横断鉄道の駅も見せてくれた。ВОКЗАЛ(ボクザル、駅)Новосибирск(ノボシビルスク)の文字が見え、水色の立派な駅舎だった。

そしてMega というIkea が入っている大きなモールに寄って貰い、帽子を探したが、欲しい帽子が見つからなかった。陽射しがあってあご紐もあるものが欲しかったが、どこにも無かった。諦めた。スーパーで買い物をするとのことで入ってみると、スーパーと言うよりも大きな雑貨店で食料を売っている感じで、イトーヨーカドーのような感じの店だた。すると帽子が見つかり、とりあえず陽射しがあったのと安かったので買うことにした。無いよりも良いだろう。それから手の痺れが中々治らないので、ハンドルに巻くパッドの替わりになりそうな物も買う。そして、蚊除けのクリーム、エネルギー源のジャムを買う。いざ支払おうとレジに進むと、パベールは自分が払うと言う。泊めてもらえるだけでもとても嬉しかったので、それ以上は望んでないので俺が支払うと言うが聞き入れて貰えなかったので、ありがたく買ってもらうことにした。















アパート群の中央には公園があり、親子ずれが遊んでいる。ウランウデ辺りでパベールに拾ってもらい、その後にバスの一群と一緒に行動を共にしたのだが、その時に赤いホンダのシビックを運転していた警官ポールの妻子にも逢った。うまく理解できなかったが、パベールとポールとは親戚のようだった。




パベールの自宅に戻り、さっきのスーパーで買った中国風の酒をパベールと少しだけ交わした。今朝はどんな一日になるのか、と不安だったが、天気がよくなった上、このノボシビルスクで約束どおりパベールにも逢うことが出来た。結局全てが良く終わった。終わってみれば良い一日だった。全てに感謝したい。

(2009-10-07 追記)
切ない時の思い出とは実にいい加減なもので、この日の朝、街中を走った風景の事を忘れてしまっている。覚えているのは、広い道をタクシーが容赦なく水を撥ねながら駆け抜けて行き、バスの運転手は徐行してくれた事。それから、(前述されている)駅への道を進むとバス停があったが、駅はシベリア鉄道の駅ではなくローカルの駅だった事。そして日曜日の雨上がりの朝を歩く人の目がとても冷たかった事。通ったはずの丸くなった交差点(Runabout)の事などすっかりと忘れてしまっている。

でも写真を元にパベールを迎えたコンチネントという看板のあるビルが何処か調べてみると、Google Map で見つけられた。そのビルの駐車場から撮った写真とGoogle Map の衛星写真とを比べると、Google Map にはビルや駐車場が写ってない。Google Map の写真の方が古いということだ。そして、その場所がノボシビルスクの中央から見てどんな位置なのかを確認してみると、ノボシビルスクの西の外れに近かった。


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大都会で地図はなし。道行く人には適切な質問が出来ないから、間違った返事が帰ってくる。そんな状況で、しっかりと街を抜け出るように西に向っていたとは思っても居なかった。俺は街の北の外れに来てしまっているのではないかと昨日まで思っていた。これは奇跡としか言い様がない。何を俺は頼ってこの道を進んで来れたのか。オムスクへの道と標識があったとは思えない。幹線道路の標識はロシアのどんな都会でも見つけられなかった。

だからパベールに電話して、迎えに来てくれると聞いた時、俺はわざわざ遠いところへ来てしまっているのではないかと思って、大変申し訳なく思っていた。しかし、偶然にも俺はパベールの家の近くに向っていたのだった。こんな事が起こるなんて奇跡にしか思えない。そういう運命だったのか。

パベールが何て思って迎えに来てくれたのか俺には分からない。俺からの電話は無いだろうと思っていたかも知れない。やっとイルクーツクから自転車に乗って来たのかと思ったのかも知れない。都会の道をどうやって自宅の方角に向って来たものだ、と思ったかも知れない。ともかく、今、こうしてパベールが迎えに来てくれた場所を確認できて、少し気が楽になった。

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