2008年6月20日 (55日目) オムスク、ターニャ宅

夕べは、俺をターニャの家に連れてきてくれた二人の他に、ナターシャというカメラマンが来て、皆で色んな話をした。彼らが夜12時くらいに帰り、俺は少しインターネットをやって、メールの返信などをしてから寝た。

朝はいつものように7時くらいに目が覚める。既にターニャと息子のアンチョン(アルチョン?)は出かける準備をしていた。夕べは食事を頂いたが、結局は食料の買い物に出かけなかったので、朝食には特に何も無かった。二人が出かけた後で、紅茶を入れて飲む。そして午後1時くらいにターニャの友人のオーリャが迎えに来てくれて、買い物に出かけた。

ターニャは俺が着いてから沢山の友人に電話して、自分の世話を出来る友人を探していた。そして友人で英語を話すオーリャが迎えに来てくれたのだった。もし、これが逆の立場だったら、と思うと大変ありがたいことだった。とにかく俺は、来てくれたオーリャにありがとう、と言い続けた。オーリャはご主人と大学か何かのビートルズの同好会で知り合ったと言っていた。英語はターニャと同じで、全く問題がなかった。そんな彼女と一緒に買い物へ行けるのは幸運だった。

(左:マルシュルートカ の中) (右:オムスクの工科大学)


近くのバス停に行く。その辺りはマンションような10階建て以上ある建物が沢山あり、バス停の屋根の大きさは他の村や町のものと変わらないが、バスが縦列に並べるだけのスペースがあり、沢山の人が待っていた。行き交うバスの多くは、天井が高く席は30席くらいの中型のバスが多い。そして直ぐに自分達の乗るバス(マルシュルートカ)が来た。バスに乗るのはハバロフスク以来で、料金は同じようなものだった。一度、バスを乗り換えて、オーリャはスポーツ店に連れて行ってくれた。商店街ではなかったので、俺一人で来れる場所では無かった。店に入ると、自転車、登山、スキーと、様々なものを売っている店で、レインジャケット、レインパンツ、腰に巻く小さなバッグを買い、クレジットカードで3500ルーブル位支払う。ブーツも欲しかったが、サイズや値段が思うように合わないので別の店に行くことになった。

朝食を食べてないので、ピロシキでも食べれたらと思いオーリャに言うと、オーリャは行き交う人にお店を聞いてくれた。一昔前はどこでも買えたが、今は少なくなっていると言う。ロシアを代表する食べ物が都会では入手が難しいのはどういう事なのか理解できない。探し物をしている時は、決まって見つからないものだ。バス停や路面電車の駅近くの小さな店を何件か当たったがどこにも無い。

結局、スーパーマーケットにてジュースや水を買い、スーパーの店員が教えてくれた近くのバス停に並んだ小さな店でピロシキを6つ買う。70ルーブル。きっと電子レンジで暖めたのだと思うが、ピロシキの中が冷えてしまっていた。でも、仕方ない。オーリャは電話の支払いがあるとの事で、俺はその間にピロシキを食べる。

オーリャは戻ってくると、俺が泊めてもらっているターニャの家にもう一人のCouchSurfing のメンバーが来る事になったと言う。その人に会う為に、オムスクの工科大学の前で待ち合わせることになったので、そこへ歩いて向った。その客の名はアレクセイ。25歳でプログラマーで、明日のコンファレンスに参加する為に来るのだと言う。

(左:オーリャ) (右:ターニャ、オーリャ、プログラマのアレクセイ、オーリャの夫・アレクセイ)

アレクセイとは直ぐに合うことが出来た。オムスクの西にある都会で、電車に乗って10時間掛けて来たと言う。そしてその後、直ぐにターニャと合流して、4人でオーリャの自宅に行き、少し休ませて貰った。オーリャの自宅に向う途中、別のトレードセンターの中のマーケットで飲み物などを買った。そのマーケットの前で良く理由が分からなかったが、写真を撮られた。オーリャの知人だったのか、昨日ターニャ宅にに来てくれたカメラマンなのか、一瞬の出来事だったので分からなかった。

オーリャ宅で飲み食いしていると、オーリャの夫が来て、5人で話をする。全員が英語を理解するので、会話は弾んだ。オーリャと夫のアレクセイはビートルズが大好きなようで、共通の話題があって嬉しかった。ロサンゼルスを離れる前に、友人が歓送のために送ってくれたカードがビートルズの写真だったを思い出す。俺がビートルズが好きなのを知っているその友人は、旅行に出れることがラッキーなんだぞ、とでも言いたそうなカードだった。

金曜日の暖かい昼下がり。ハバロフスク以来の休養だった。実際にはクラスノヤルスクでも、ケメロボでも、ノボシビルスクでも休みの日があったが、これほどリラックスするのは久しぶりだった。何が違うのか。今思うと、先の3都市では男の人からの親切で色々して頂いた。でも、このオムスクと5月上旬のハバロフスク滞在では女の人からの親切だった。基本的に男は女の前でリラックスするのだろう。オムスクのターニャにしてもオーリャにしても一回りも二回りも年下だ。ハバロフスクのアーニャは30歳近く年下だ。そんな年下の女性に俺は母性を感じてしまったのだろうか。女性の優しさとは実に不思議なものだ。

(スーパーの中、冷凍食品、特に果物が多い、マヨネーズの種類が非常に多い)

オーリャの家を後にして、我々5人はマルシュルートカに乗り、ターニャの家に向う。降りてから近くにあったマーケットで夕食の素材を買う。マーケットの中には警備員が入り口に立っていて、俺の持っていた買い物袋はその警備員が教えてくれたロッカーに入れる。店の中は様々な物が整っていて、飲み物もマヨネーズも種類が非常に豊富だった。オーリャがまとめて支払い、全部で500ルーブル位になったので、俺の分として150ルーブルを出した。今思えば、もっと支払うべきだと思うが、あの時は旅行中で残りの行程が半分位残っていたのであれ以上出せなかったのだろう。レジを出てみると、さっき荷物を入れたロッカーは目の前だった。実に都合よく配置されていた。

ターニャの家では女性陣が食事の用意をしてくれたので、チェラビンスクから来たプログラマーのアレクセイに俺はRubu On Rails のIDE を見せてもらった。Rails は素晴らしいウエブサイトの開発環境で、もうPHPのプログラミングには戻れない、と言っていた。俺も、帰ってから試してみたい。

食事を皆で食べる。沢山の人との食事は楽しい。いつもなら、カフェで一人で食べないといけないので、人と一緒に食事できるのは非常に嬉しいことだった。食事の量は少なかったが満足だった。食事の後は、ターニャがアルタイ山脈をハイキングした時の写真や、アレクセイの写真を見せて貰った。本当なら明朝に出発する予定だったが、明晩、真夏の新年会をするので残れば、と言ってくれたので、もう一晩泊めて貰うことにした。シベリアでの新年会は寒くて人が集まらないのだろうか。ターニャは新年会をいつも夏に開くのだと言っていた。愉快な女性だ。


(左:アレクセイ、オーリャ夫妻) (右:ターニャとプログラマのアレクセイ)

ターニャはある企業で英語を教えていると言う。恐らくオムスクでも最大級の会社に勤めているのだろう。学校で教えるよりも時間が短い上に給料が良いのだそうだ。そんな彼女の家には、過去に沢山の CouchSurfing のメンバーが泊まりに来ているようで、その誰もがターニャのホスピタリティ精神に驚いている。俺もその一人だった。

ターニャが忙しい時は、ターニャの友人が客人の面倒を見ているようで、息子のアンチョンもターニャの友人が面倒を見ているようだった。ターニャは自分が忙しくても客人を迎え入れているようで、自分が面倒を見れない時は、友人も喜んでターニャの手伝いをしているようだった。ターニャの家の鍵はターニャ以外に誰かが持っているようで、電話でのやり取りでは、鍵を友人達の手を次から次へと渡っている様に聞こえた。仲間とはこういうものなんだろう。何でも損得の計算をしてしまう自分が恥ずかしい。ターニャとその友人の友情が羨ましい。一見、オムスクの都会社会に飲まれても仕方ないような環境だが、少なくともターニャの回りには友人が親や兄弟と同じように生活していた。

時間は真夜中になってしまったが、Eメールを確認させて貰って寝る。



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