昨晩はホテルに泊まったのだが、隣の部屋の客が一晩中煩く良く寝ることが出来なかった。そして、また早く目が覚めてしまった。
ベッドに横になっていてが、8時くらいに起きてホテルのデスクに行った。昨日はロシアのビザの為の登録は午後2時までなので出来ないと言っていたのに、今朝になったら、次の街で登録したら良いと言っている。何の為にお金を出してホテルに泊まったのか分からない。俺にはもう一日あるから大丈夫などと、とんでもない事を言っている。
埒が開かないので部屋に戻って、ウラジオストックの日本領事館に電話してロシアのビザに付いて質問してみると、俺がモスクワから入手した招待状を発行した会社に電話して下さい、と冷たく言われてしまった。誰もが面倒な事はしたくない、厄介な責任を負いたくない、と俺には思えた。
もう一度、ホテルのデスクに戻って、同じ女性に話をするが何も進展しない。するとその女性は、昨日一緒だった人を呼んだらどうだと言う。俺には他に頼る人が居ないので、Jay に電話すると、直ぐにホテルに来てくれるという。そうこうしているうちに、昨晩俺の部屋に来て下さった廣田先生も来て下さった。Jay は15分くらいでホテルに来てくれた。Jay はホテルの女性と何かロシア語で話して、ホテルの部屋があった3階から1階のサウナの受付に向う。するとそのサウナの受付の女性は誰か知らない人と話をした後で、Jayと廣田先生と俺は警察に向うことになった。
警察まではJay の車で5分くらいの距離だった。警察の建物の裏に行くと、どこの駐車場か分からなかったが、車を停めて警察に向おうとしたら、後から制服の警官が出てきて、どこか他に駐車しろ、という事だったので、Jay は車を移動した後で、3人揃って警察の建物の正面から入った。北国の造りだ。まず最初のドアを開けると、そこはちょっとした広間になっていた。恐らくここで雪を掃ったりするのであろう。そして、数ステップの階段を上がると二つ目のドアがあった。そのドアを開けて右側にあった窓口で、Jay が俺のパスポートと滞在許可を記す書類を見せると、一枚の用紙を渡されて午後2時に戻ってくるようにとの事だった。Jay は学校の授業があるのか、行く必要があるとの事で別れた。
その用紙を持ってホテルに戻り、サウナの受付の反対にあった事務所の中の職員が30分くらい掛けて用紙に何かをタイプしてくれた。その用紙が整うと、何故か3階のホテルの女性が現れて、その女性と廣田先生と俺は警察に歩いて向うことになった。
ホテルの西側には自動車の部品を販売する店が幾つかあった。どうやらこの一帯は修理工場が多いらしい。
ホテルの女性は今朝はハバロフスクでもどこでもいいから次の街で登録したら良い、と言っていたのに何故か3人で警察まで行ってくれると言う。何が何だか分からない。どうしてそんなに意見をころころと変えるのか。
とりあえず警察の建物の中に入ってある警官と話をした後、彼女はある部屋に入って行くことになり、廣田先生と俺にその場で待つようにと伝えて部屋に入って行った。彼女が出てくるのを待っている間、廣田先生は、どうして我々は待たさせるのだろう、と言って彼女の行動に疑問を抱いていた。先生は、もしかしたら午後2時を待たなくても書類の処理が終わるかも知れないと楽観視していた。俺はそんな楽観的な気持にはなれなかった。
15分ほど待つと、用紙の裏にスタンプを貰って来てくれた。これで終わりだ。二日前、入国審査が終わった時には、殆どの問題は片付いたと思っていたが、これで俺のロシアでの滞在に何も問題は無くなった。全ての処理が終わった。
ホテルに戻ると、先生は今晩先生の自宅に泊まりますか、と聞いて下さったので、そうさせて貰う事にした。元々、午後2時以降のいつ書類の処理が終わるのか分からなかったし、今日は自転車に乗って走る気はしなかったので助かった。
自転車をホテルの部屋から出して、チェックアウトする。それから先生はお昼をご馳走してくださると言う。先生の案内で自転車を押しながら、大通りから離れ、病院とも学校とも言えるような、ゆったりとした敷地のある場所の一角にあったカフェに入った。その回りには小さなお店が幾つかあった。
昼食の時間には早かったので、他の客は居なかった。先生は「ビジネスランチ」、と英語のメニューを注文して下さった。先生の説明では、セットメニューになっているので、恐らく早くて安く提供できるのだろうとの事だった。前菜、主菜 デザート、飲み物がセットになっていた。主菜はチキンだったので残してしまったが、他は美味しかった。
昼食の後、先生が教鞭を取る大学に向った。先生の生徒で、ウスリースクの北に住む人が居るので、もしその生徒が学校に残っていればその人に泊めて貰えるかもしれない、と学校に向ったのだが、その生徒はもう学校には居なく帰宅してしまっていた。仕方ないので、先生の自宅に向うことにした。先生はバスで、俺は自転車に乗って、先生の自宅付近にあるスーパーマーケットにて待ち合わせることにした。
街の中の道は良くなかった。埃っぽい。M60 の幹線道路のほうが遥かに良かった。特に先生の話では道に穴ぼこが多いので注意するようにとの事だった。
川の橋を越えて、直ぐにスーパーは左手に見えた。先生に会えて、自転車をスーパーの中に入れて、先生が買い物をしている間、俺は自転車の傍で待った。警備員が居る。まるでアメリカと同じだ。もしかしたら、アメリカ以上かも知れない。スーパーの中は広く、色んなものが売られていた。
先生は今晩の夕飯の為に色々買って来て下さった。スーパーから先生のアパートまでは歩いて10分くらいだった。先生曰く、この辺のバスの運転手は親切で、バス停から離れていても、そこで降りたい、というとバスを停めて降ろしてくれるのだそうだ。先生の話しっぷりでは、特定のバスドライバだけではなく、全部のドライバが親切だ、というような感じだった。なんとも長閑なのか。何とも人間的なのか、と思った。日本やアメリカだったらありえない事だと思う。
先生の自宅に向う。17時からイワン君と言うロシア人で日本語を勉強する学生が来る予定だった。イワン君が現れ、先生は日本語の指導をしている。イワン君は、指導の後で俺にテレビのインタビューに応えるかと聞いてきた。俺は願っても叶ったりだったので、二つ返事で承諾した。イワン君の知人にテレビ局関係の人がいるそうで、直ぐに連絡をしてくれた。そして、インタビューワーとカメラマンの二人がタクシーに乗って現れたのが19時位だった。でも外はまだ明るかったので、俺が自転車に乗る様子や、先生のアパートの中でインタビューと撮影が行われた。
(廣田先生のアパートの前にて)
イワン君は日本語の指導の後、行くところがあると言っていたが、結局インタビューの最後まで付き合ってくれた。悪いことをしてしまった。それに加え、俺は携帯電話の課金を頼んでいたので、いろんな迷惑を掛けてしまった。でも、親切な人で無かったらインタビューの手配をしてくれないであろうから、遅くなってしまい申し訳なかったが、そんな彼の親切はとても嬉しかった。
先生と俺は夕食を一緒に済ませ、色々なロシアの事を教えて頂いた。ロサンゼルスの恵子から電話があったので、お礼を先生に伝えて欲しく電話を先生に替わった。
先生のアパートにはDSL と思われるインターネット回線があって、俺はメールを確認できた。先生はプリンタが調子悪い、との事だったので見てみたが、ウィンドウズの問題ではなく、プリンタ本体の問題だったので、何も対処できなかった。
でも、先生はブログに興味を持たれていたので、Google のブログを設置することにした。記事の投稿の仕方や、写真の挿入の仕方を簡単に説明できた。俺はGoogle のPicasa Web に写真をアップロードする事が出来た。
昨日と一昨日の二日間、登り坂で沢山汗をかいて下り坂では汗の為に一気に体温が下がってしまい、俺は風邪をひいてしまった様だ。鼻水がでるようになってしまった。先生から日本からの風邪薬を頂いて休む。
明日は次の町(村)に住む先生の生徒さん、ネリさんの自宅に泊めて頂けるようになった。寝るところが決まっていると精神的に余裕が出来る。見ず知らずの旅人をロシア人だけではなく韓国人、日本人と俺は色々な人の世話になっている。とてもありがたいことだ。
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