朝目が覚めると6時を過ぎていたので準備をすると出発は7時半になってしまった。最初からスピードが出ないので、何かを食べないと駄目だと思ったが、実は緩やかな登り坂だった。とりあえず昨日買った秋刀魚の缶詰に醤油を入れてパンと一緒に食べる。
道は登りと下りが緩やかに続く。最初は路肩があったが、直に無くなってしまった。小さな村で何度かバナナを求めたが何処にも無い。10時半位にカフェがあったので紅茶だけを頂いて日記を書いている。
その後、11時半位に別のカフェを見つけて、少し早い昼飯とする。カフェには玉子焼きが無かった。只、ゆで卵があったのでそれ3つ、サラダ、スパゲティ、トマトジュースを注文する。ジュースはコップに一杯ずつ入っていて、簡単に注文出来るようになっていた。今までの多くのカフェは、1リットルの紙の容器で売られていたので、それと比べると少量しか飲みたくない人には良心的だ。その場所は大きな交差点で、カフェは一軒だけだったが修理工場は数軒並んでいた。お店もカフェと同じ建物に入っていたので見てみたが、バナナは此処にも無かった。そして牛乳も無かった。
食べ終えて少し走ると村が見えたので、M7の幹線道路から離れて村に進む。歩く人にお店があるかと聞くと、最初の男の人は分からない、と言ったが、少し発ってから指差して方角を教えてくれた。その方向に進んで、また別の歩いている女の人に聞くと、親切に真っ直ぐ進んで、左に曲がった後に今度は右に曲がるように教えてくれた。いつもの事だが、必ず誰かが親切に助けてくれる。ありがたいことだ。
お店に入り、バナナと500MLの牛乳を買う。牛乳は冷たくて美味しかったので、店の外で半分を直ぐに飲んでしまった。あまりにも美味しかったので、少しの間だけでも残しておきたかった。時間が経てば暖かくなってしまうのは分かっていたが、5分でも良いから冷たい牛乳を残しておきたかった。
お店の前には配達のバンが止まっていて、配達が終わると作業員の二人は直ぐに去っていった。道の向こう側では、少女が3人、柵に登っているのか少し背丈の高い木の枝になる実を集めていた。無邪気な楽しそうな声が聞こえる。いつも思うのだが、子供は陽気で良い。
少し休んでからM7に戻って走り出すが風が強く走り辛い。午後3時前だったか、M7から店が見えたので村の道を入ってみると店は閉まっていた。そして近所の人に他の店はないかと聞くと、この先にあると言うので行ってみると店があった。ケフィールを買って飲んだが、いつもの酸味の味が無かった。いつもだったらケフィールには乳脂肪のパーセンテージが表記されていたが、それには何も書かれてなかったので、0%だったのかも知れない。
その村を出て走るが距離が延びない。カフェを見つけたので、紅茶を飲んだが、足りなかったので続けてコーヒーを注文する。一緒のテーブルに座った人は、ウラジオストックに軍人として住んでいたと言っていた。今は、この地域を行き交うトラックの運転手をしているようで、カフェの女将さんとは顔見知りのようだった。
カフェを出て少しは休めたので軽やかにペダルを漕いだが、向かい風の強さは相変わらずだった。途中、路肩に敷き詰められた石が拳よりも大きなものに変わり、そんな路肩は走れないので尚更走り辛くなってしまった。
それから先に進むと大きな街に入った。ロシア語の文字が読めない。何と発音して良いのか分からない。(ナベレジヌイェ・チェルヌイ、Набережные Челныという都会で、ロシアを代表するカマズというトラック製造工場のある街、人口50万)
街の南の玄関口には発電所の煙突があった。原子力発電所かどうかは分からないが、そんな事はどうでもよかった。俺にとってはこの街で夜を過ごすとなると、寝床を見つけるのに苦労するだろうという心配があった。
交通量が増えたというかトラックの数が増えた。そして修理工場も並んでいる。それから雲行きが悪くなってきた。小雨が今にも降りそうだった。そしていつものように雨が急に激しく降り出した。運良く先にАЗС(ガソリンステーション)が見えたので、大雨の中を必死で走った。レインジャケットを着る時間を惜しんで、無我夢中で走った。
АЗСの屋根の下に入って休憩をさせて貰う。後から小型のバイクも雨宿りに加わった。夕立の雨は直ぐに止みそうだった。遠くに晴れ間が見える。そして遠くには高層住宅が見える。ここに都会があったのだったら、ここでも誰かの家に泊めて貰えたかもしれないが、ここがこんなに大きな街だとは思わなかった。CouchSurfing のメンバーで、次に泊めてくれる約束をしてくれた人はこの先のカザンに居る。先に進まないといけない。
一時間くらい雨宿りしてから走り出す。すると大きな川を渡った。カマ川だと標識を読めたが、聞いたことが無い。でも、水力発電をしているようで橋と言うよりも低いダムに思えた。交通量が多いので嫌だった。でも、幸か不幸か路面の状態が悪く、俺が2車線ある右の車線を走っていると皆、避けて左の車線を通り過ぎてくれたのは救いだった。そして誰もクラクションを鳴らすドライバは居なかった。橋の上の道路は恐らく今までで最悪の状態だっただろう。
橋を渡ると小雨になってしまった。でも、M7の横を走る線路を行く電車の窓から俺に手を振ってくれる人が居た。俺も思い切り大きく手を振り返した。たった、これだけの事が俺にはとても嬉しかった。男か女か分からない。子供ではなさそうだった。どこへ行くのだろう。きっと先方もそう思っているのだろう。
電車が見えなくなる。その後、小雨の中を走ったが、走っていて面白くない。雨の中は面白くない。陸橋があったので、その下で休憩をする。と言っても、どこかに腰掛けられるわけではない。でも、買ってあったトマトソース煮の魚の缶詰をパンと一緒に食べると、腹が減っているせいかとても美味しかった。小雨があがり、走り出す。
すると、雨の中を追い抜いて行った大型バスが路肩に止まっている。乗客は降りてしまっている。何らかの故障なのだろう。俺はこの時、何故か考えられない事を自分の中で言っていた。「ざまあ見ろ」と心の中で言っていたのだった。雨の中を容赦なく水飛沫を上げて通り過ぎるバスを俺は許せなかった。だから無数の車両が通り過ぎていても、そのバスの事は覚えていたのだった。乗客には何の罪もないのに、と後で悔やんだが過去の気持などどうにも出来ない。
それから少し走ると肉料理のカフェがり、裏には空き地があった。カフェに入って聞くと、裏の空き地にテントを張っても良いと言ってくれた。肉料理が主体なので、魚は無かった。玉子焼きも無いと言う。外では串に刺した肉を焼いている。俺は仕方ないので、サラダ、パン、紅茶だけの夕食を食べる。しかし、これでは足りないので、レジの近くにあった菓子パンのようなものも買って食べた。そして、カフェの中で日記を書いている。すると4歳くらいの女の子が、俺の足を触ってはカフェの中を駆け巡っている。俺が笑顔を見せたのがきっかけで、思わぬ遊び相手になってしまった。子供には人種も何も無いと言うことか。
その小さな女の子のお姉さんなのか、10歳位の女の子は俺に何かを話そうとしているようだが、俺とは目を合わせようとしなかった。目が合えば話しかけるつもりだった。でも、彼女は両親と一緒に席を立つ時に一言だけ言った。「アメリカ人?」
俺は素直に日本人だと答えた。どうして彼女は俺がアメリカ人かと思ったのか。誰が見ても俺は中国人にしか見えてないはずなのに。
テントを張ってみるが未だ明るい。もうこれ以上粘ってカフェの中にいるわけには行かない。隣のルクオイルのガソリンステーションのお店に行ってアイスクリームを買って食べる。テントの周りには未だ2つのグループが屋外のテーブルで食事をしていたが、構わず寝ることにした。そして、その時に気付いた。俺はカリフォルニア州にあるヨセミテ国立公園のTシャツを着ていたのだった。あの少女はヨセミテ公園を知っていたということか。
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