2008年7月09日 (74日目) M7、193 Km


夕べは雷の音で一度目が覚めてしまった。未だ12時くらいだった。雷は直に勢いを増して、急に豪雨になった。テラスの下にテントを張らせて貰って正解だった。もし屋根のない外だったら、どんなことになっていたか分からない。

その後から、俺がテントを張ったテラスのような場所に、地元の若者と思われる酔っ払いが寄って来ては何かを言って走り去るのを繰り返した。酔っ払った勢いの嫌がらせで、目が覚めてしまった。でも、雷雨が収まると午前1時か2時くらいになったのだろう。若者も帰宅したようでカフェは静かになり、俺はまた寝てしまったようだ。

昨日はウファの街を出発するのが遅れて、それ程の距離を走ってなかったので、今日は出来るだけ距離を稼ぎたかった。その為か、朝は5時半に起きる事が出来た。寝袋を片付けて、テントを畳んで、準備を進める。しかし、空は曇っていて小雨模様だ。出発の準備が終えたが、小雨は上がりそうに無い。朝食をカフェで食べる。そして食べ終えると雨は殆ど上がっていた。走り出すことにした。


道路は当然、濡れたまま。前輪のタイヤが撥ねる道路の水を被らないように、靴の上から買い物のビニールバッグを履いて走る。

濡れた道路を走るのは面白くない。靴のビニールバッグが擦れてガサガサと煩い。トラックは俺から離れて追い抜いて行ってくれるが、巻き上げる路面のしぶきは容赦なく眼鏡を曇らせる。別にそれがどうしたという問題ではないが、面白くない。しかし、一つだけ救いがあった。風だ。寒冷前線は通り過ぎて、少し落ち着いているようだった。

トラックの数は少なくなかった。カザン(Казан)や首都モスクワに近付いているからだろうか。道は、相変わらずの登りと下りが続いた。雨が降ってないだけ良い。


11時半くらいに見つけたАЗС(ガソリンステーション)の中の店にて魚の缶詰、オレンジジュースなどを買う。パンが欲しかったが、無愛想な若い女店員は只「無い」と返事した。カフェのようにテーブルが並んでいたが、実際は休憩の為のテーブルだった。カロリー源のたんぱく質が無い。ウラジオストックからハバロフスクまで走った時には、お店によくインスタントラーメンが売られていたが、この店には無かった。売られていたら生でも食べたが、どうしようもない。ビスケットはあったが、それでは食べた気にならない。

仕方なく店を出て、外にあった椅子に腰掛けてイワシの缶詰を開けて食べる。すると女店員は、店から出てきて何も言わずにパンを二切れ差し出してくれ店に戻って行った。きっと彼女の昼食の一部だったのであろう。彼女は無愛想だったが、そんな気の優しい娘だったとは。

自転車を走り出す前に店に戻り礼を言うと、不思議なことに英語が通じた。街からも村からも離れたこんな所で英語を話す人と出会うとは思ってもいなかった。


走り出す。M7の幹線道路は右に曲がっった。するとそのコーナーにカフェがあった。村まで相当の距離があると思っていたのは間違いだった。しかし、もう一度食べなおす気がしなかったので、通り過ぎる。その頃からまた向かい風になった。


途中、何度も休んでウファで買ったデーツ(ナツメヤシ)を二つずつ食べる。しかし、あっという間に無くなってしまいそうだ。もっと沢山買っておけば良かったと悔やむ。でもデーツを買った時は、手持ちのルーブルが少なく、カザンまで両替出来ないと思っていたので、沢山は買えなかった。

昼過ぎ休んでいる時に、村の老人が近付いて来た。いつもの質問に答えて少し話をする。老人にデーツをあげると、最初は要らない、と言っていた。でも、俺がデーツの種は食べないで口から出さないといけない、と食べて見せると、老人は安心したように一つのデーツを手に取って食べた。そして老人は、「これはロシアの食べ物?」と聞くので、「ニズナーユ(не знаю)」分からない、と答えた。

これは俺の持ち歩いている会話集に出てない言葉だったが、あちこちの場面でロシア人が使っていた言葉だったので、俺はいつの間にか覚えてしまっていた。もうロシアに2ヵ月半。会話集に無い単語を一つくらい覚えても不思議ではないが、これが最初で最後だった。


走り出すが、昨夜良く寝られなかったのと、向かい風の為かとても疲れる。止まって休んではデーツやバナナを食べる。

小さな村で店を見つけたのでそこまで行こうと思ったら、今までいつもトラベラーズチェックを両替していたセーバーバンク(Сбербанк России)の支店を見つけた。駄目で元々と思い、建物の中に入ると、窓口一つ、行員一人の小さな支店だった。両替したいと伝えると、丁寧に15キロ離れた次の町にも銀行があるから、そこで両替したら良い、と教えてもらえた。

銀行を出て店に向かい、パンと牛乳を買う。パンは外側が硬く、ナイフで切って食べると中は柔らかく意外に美味しかった。店の向かいには何か他の種類の店がある。マガジン(магазин)とだけ分かるが、何の店か分からない。でも、軒先に並べられた物からすると穀物のお店のようだった。周りの人は俺の事を興味深く遠くから見ている。自転車の旅人が珍しいのであろう。

それから1時間くらいして次の町に出た。セーバーバンクを見つけて入ってみたが、他の銀行に行くように言われる。建物の外にはセーバーバンクの緑色の看板があるが、中は違う銀行のようだった。建物の外で、セーバーバンクはどこかと聞くと、町の中心に行きなさい、と教えてくれる。よく言っていることが分からなかったが、町の中心に向う。途中、警官が居たので最初は躊躇したが銀行の場所を聞くと丁寧に教えてくれた。ウファの警官の一件の事が悔やまれる。

その後も何人かの人に銀行の場所を聞きながら進むと、別の銀行が見つかった。その銀行の隣の駐車場では、旅行者の訪問を喜ぶように、どうしたんだ、どこへ行くのだ、と制服を着た親切な人にも会えた。警備員か軍人か分からなかったが、そんな事はどうでも良かった。只、親切にされて嬉しかった。


その人に言われるように隣の銀行に行く。建物の外には都会のようにATM の機械があった。俺は自転車を建物の横に置いて中に入ったが、中からは俺の自転車が見えない。どうしようか躊躇ったが、建物の中に居た警備員に自転車を中に入れても良いか、と聞くと構わない、と言ってくれたので、ロビーのような所に入れた。トラベラーズチェックの両替は往々にして時間が掛かったので、自転車を警備員の居る前に移動できて良かった。

両替の担当の窓口には若い男の銀行員が居た。しかし、英語は全く出来なかった。昼前に寄ったガソリンステーションの女店員が英語を話して、銀行に勤める優秀そうな男は英語を話さない。どうなっているのか。

そしてその行員は、どうして俺がこの町に来たのか、と質問したのだと思う。しかし、行員は俺がロシア語を理解してないので、無駄な質問をしたと直ぐに思ったようで、答えなくても良い、という顔をした。俺はどうしてこの町に寄ったか説明したかったが、先方は拒否しているようなので、無駄な事だと思い留まる。

300ドルのT/Cをルーブルに両替する。手数料は100ルーブル(約4ドル)と安かった。以前のセービングバンクでは2% を手数料として取られていた。この300ドル分のルーブルで、恐らくラトビアまで行けるだろう。少なくとも食事代だけはこれで賄えるはずだ。

銀行を出て、その町を出る。次の村まで走り、店を見つけてそこではリンゴを買って食べる。リンゴは締まってない。しかし安いので仕方ない。

今日は距離のマーカーで200キロ位まで進めたら良いと思っていたが、夜の7時半には疲れてしまい、次のカフェが見つかったらそこで止める事にして走る。結局8時半くらいまで走った。そこはАЗС(ガソリンステーション)とカフェが一緒になっていて、駐車場の外れにテントを張れたら良いと思って、カフェに入る。カフェでは、玉子焼き、マカロニ、キャベツのサラダ等を食べる。食事を終えたがテーブルに残って日記を書く。カフェの中は冷房が効いていて、居心地が良かった。カフェにはアイスクリームがあったのでそれを買って食べながら日記を書く。


ケメロボのウラジミールにSMS を送ったりしていると、家族から電話が鳴る。昨日からウファで買ったメガフォン(МегаФон)のSIM が携帯電話に入っているが、ウラジミールが恵子に新しい電話番号を伝えてくれた証だった。恵子は自転車のパーツをモスクワのいちのへさん宛てに送ってくれたとの事だった。後は、問題なく受け取れるかどうかだ。

駐車場の守衛の小屋の横にテントを張る。かなり北に来たようで、日が沈むのが遅い。道路の反対側では、路肩でトラックを修理している人が居る。今日は久しぶりに綺麗な夕焼けだった。

0 件のコメント: