2008年7月06日 (71日目) M5、316 Km


朝は5時くらいに目が覚めた。しかし未だ暗いので横になっているとアリーバが戻ってきた。そして昨晩と同じように食事の用意をしてくれた。そして8時にはアリーバと一緒にアパートを後にする。アリーバは洋裁のお店に行くと言う。外は小雨だったので、走りたくなかったが仕方ない。

(左上:アリーバ) (右上:バカルの町の教会)

小雨の中を走る。日曜日の朝とあって歩く人は疎ら。どこへ行くのかバス停で待つ人も見かける。どこからのマーカーか20という数字があったので最短でも20キロを進まないとM5には出られない。そして小さな村を二つ抜ける。途中、マガジンがあったが通り過ぎた。レインギアを脱いだり着たりするのが嫌で止まらなかった。一度、濡れているものを脱いで、またその濡れているものを着る不快感といったらこの上ない。ずぶ濡れの靴に足を入れるのよりも悪い。



M5の幹線道路に出てしまった。幹線道路に出たら次にいつマガジンを見つけられるか分からない。途中の村でバナナでも買ったら良かったが後の祭り。道は良くない。こんな時は、自分のやっている大陸横断の意味があるのか考えさせられる。でも、雨が上がるとそんな憂鬱は消え去る。


(右上:M5の幹線道路に戻る)

10時位にカフェと思われる店(シャシャリック、ШАШЛЫК)を見つけたので止まってみたがやはり肉以外の料理は無かった。でも、お茶を入れて貰い休憩をする。


(左上:焼肉屋にてお茶を頂く)

ウラル山脈の中に入って3日目。長い登り坂と下り坂が続く。12時くらいになってカフェに入って昼飯とする。鯖の缶詰が売られていたので、玉子焼きの替わりにそれと一緒にマカロニなどを食べる。カフェの中には冷凍ショーケースがあり、様々なものが売られていて、ロシア語でなければどこの国のお店か区別できないほど物が豊富だった。シベリアのカフェでは、全て並べても僅かな選択肢しかないのでその必要が無いのだろうが、この辺では交通量も多いのでそうする必要があるのであろう。店員の対応もシベリアとは違う。チェラビンスクのアレクセイが言ったように、モスクワに近付くにつれ商売の規模が大きくなり売り子の姿勢が違うということか。


(左上:昼食を取ったカフェ)

午前中に何度かの入道雲を見たが、午後の3時位には雷雨を浴びた。近くにАЗС(ガソリンステーション)があったのでその軒下で雨宿りをする。そしてコーラを買って飲んでから走り出す。普段はコーラ等炭酸飲料を飲まないが、この旅行では何故か無心に飲みたくなることが多くなってきた。







シム(Сим)という町に向う途中、長い下り坂になった。谷間にある町だった。下り坂は楽で良いが、下るということは登りが必ず控えているので楽しめない。谷間に町の中心と思われる交差点があり、小さなシム川を渡り登り坂に挑む。トレーラーを引くトラックのエンジンの回転数が高い。かなり急な坂を低いギアで下っている。俺もひらすら低いギアで進む。雨が降らなかったのが唯一の救いだ。道の脇に色々なお店が出ている。休憩が必要なくらい長い坂なのか、と思ったが予想に反して、道は何度か曲がりいつの間にか長い登り坂を登りきっていた。

(シムの町への下り坂)


(左上:シムの町を振り返る) (右上:シムの町を出て、長い登り坂が続く)

暫く山間部を走ると道端に小さな瓶詰めを売る出店が幾つもあった。でも、店番はどこも居ない。看板には3文字「Мед」と書かれている。俺には何の意味か分からないので、近付いたら瓶の中は蜂蜜だとわかった。俺が近付くのをどこかで見ていたのか、20歳過ぎくらいの若い娘さんが出てきた。挨拶をするとその売り子は小さなプラスティックの棒を瓶の中に入れて、蜂蜜のサンプルを差し出してくれた。美味しい。3つ位のサンプルを試してみて、薄荷の匂いがするものを買った。最初は高い事を言っていたが、結局60ルーブルで分けてもらった。

その後、また雨になってしまった。空は明るかったので雨は直に上がると思って、道端の大きな枝のある木の下で休んだ。そして、雨は思惑通り直ぐに止んだ。雨が上がった後、さっき買った蜂蜜をスプーンに取って舐める。砂糖というか人口甘味料を多く含むコーラやキャンディーよりも遥かに健康的なはずだ。でも、雨上がりだというのに直ぐに蚊が集まってきたのでその場を直ぐに離れた。

それからは緩やかな下り坂になった。反対車線の登り坂には渋滞気味だ。恐らく下り坂の遅いトラックが渋滞を引き起こしているのだろう。それから暫く進むとカフェがあった。外には大きなテントがあり、客が居なかったのでそこでお茶を頂き休ませて貰うことにした。シベリアではお茶だけを飲めるようなカフェは無かったが、ウラル地方に入ってカフェや出店が増えたので、椅子に座って休めるチャンスが増えた。休んでいると何人ものトラックのドライバはタオルを持ってM5の幹線道路に沿って流れている川の方に行った。もしかしたら温泉でもあるのかと思ったが、ウラル山脈には活火山は無いと思うので、バーニャが近くにあるのかも知れない。でも、俺は昨日シャワーを浴びさせて貰っているので先に進む。

緩い下り坂は続く。そして工事現場が見えたのでその空き地か何かに泊めて貰えないかと思ったが、工事用の重機と機材が格納されていると思われるコンテナしかなかった。話をした人は、重機の運転席だったら良いと言ってくれたが、座って寝るのだったら、ぬかるみの上にテントを張ったほうが良いので断る。そうこうしていると、乗用車に乗った恰幅の良い人が現れる。どう見ても責任者のようだ。その人にメモ帳に書いてある「この辺でテントを張る場所はありますか?」と「あたなの所で泊めてもらえませんか?」のメモを見せる。するとこの辺にはそんな所は無い、というような事を言っていたと思うが、直ぐに財布からお金を出して、もう一人の別の人、恐らくその人の部下であろうが、その人も財布からお金を出して、合計400ルーブル(約25ドル)を出した。別にお金が欲しかったわけではないが、この先にホテルがあり、300ルーブルで泊まれるので、残りで何かを食べたら良い、というような事を言ってくれたので、受け取った。10日程前にも同じような事があり、その時はお金を受け取るのを断った。しかし、今日は少し恥を感じたが、ありがたく頂いた。



工事現場を去り、先に進むと教えて貰ったとおりに数キロでホテルが見つかった。料金は3人一部屋で750ルーブル(約50ドル)だった。今日は朝から雨に打たれていたので、どこか屋根の下で寝たかったが750ルーブルは高いと思った。貰ったばかりの400ルーブルを差し引けば350ルーブルで泊まれるのだが、俺は決心がつかなかった。道の反対側にはカフェがあったので、そこで夕食を取る事にした。夕食はいつものようにマカロニ、玉子焼き、そして鯖の水煮とケフィールを食べる。

そして夕食が済むと酔っ払った道路工事の作業員と思われる人が数人集まってきた。そして、俺はいつものメモを見せて、この辺にテントを張れないか、泊めて貰えないか、と聞くと、そのうちの一人の青年が少し待てと言う。

その人は年配の人と話をした後で戻ってきて、400ルーブル出したら泊めてやると言う。俺は半額の200ルーブルだったら良いと答えるとそれで簡単に決まってしまった。その場の雰囲気では、年配の人は俺が泊まる事もその青年がお金を取る事も全く感知せず、200ルーブルはその青年の懐に納まった。その青年はカフェに並んで建っていた4つくらい並んだ寄宿舎みたいな所の案内してくれて、その中の一つの建物の中に自転車を入れて、その隣の建物の中に案内してくれた。部屋が二つに分かれていて、どちらにもベッドが数個入っていて、俺は奥の部屋の2段ベッドの上を使わせて貰う事になった。

カフェで酔っ払っていたのはどうやらマネージャ達のようで、案内して貰った部屋の中はカフェで酔っ払っている人達よりも若い人達だった。俺はその人達がシャワーを浴びれない環境にあるのが直ぐに分かったので、その人達に習って、屋外にある洗面所で手と顔を洗った。一日中、雨が降ったり止んだりだったので、顔を洗えてラッキーだった。

部屋に戻り、俺がウラジオストックから自転車で来たと分かると、部屋の中の雰囲気が一気に賑やかになった。嬉しかった。俺は彼らのヒーローになってしまった。ロシア語が分かったらどんなに話が出来たかと思ったが、それでも彼らは会話集の後ろの辞書を使って辛抱強く俺の話を聞いてくれた。全員が酔っ払っているのは分かっていたが、それでも俺は嬉しかった。

写真をデジカメで見てもらうと、シムの町の写真を見て全員が笑った。全員がシムの町の坂の事を知っていたようだった。あの坂をよく自転車で来たものだ、と言ったようだった。



そのうちの一人が着ていたTシャツの背中に日本語で俺の名前を書いて欲しいと言い出した。俺は言われるままに黒の油性のペンで栗原直人と書いた。とても気に入って貰えた。すると、部屋の中の全員が同じように俺の名前をTシャツに書いて欲しいと願って来たので、順番に書いた。他の部屋の若者も集まり、結局15人位の若者のTシャツに俺は名前を書き込んだ。こんなに嬉しいことは無い。俺のやっている事を冷めた目で「どうして?」と言う人が多いのに、この青年達は俺を英雄視してくれている。感無量だ。工事現場で400ルーブルを貰うのは恥らしかったが、貰って良かった。あの時に貰わなかったらこんな青年達には会えなかったと思う。

今朝アリーバのアパートを発った時は、アリーバと一緒にアパートを出る必要があったので、まるで追い出されるように出たので嫌だったが、それで良かったのだ。あのまま雨が上がるのを待っていたら、この青年達とは逢う事は無かっただろう。いつもの事だが、人との巡り合せは実に不思議なものだ。

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