朝は5時半くらいに目が覚めたが他の皆が寝ているので7時くらいまで寝ていた。隣の部屋の人が起き出したので俺はそれを待って起きた。自転車を3番目の小屋から出して昨晩夕飯を食べたカフェに行く。玉子焼き、マカロニ、人参のサラダ等を注文する。夕べ食べ残したケフィールをカフェに持ち込んでテーブルに置くと、ウェートレスは気を利かせてくれて空のグラスを持って来てくれた。他のテーブルでは、一緒に寝泊りした青年も朝食を食べている。
8時半くらいに青年達に別れを告げてカフェを後にする。走り出して快調に進むが向かい風の為に疲れる。道幅が狭いので相変わらずトラックのドライバはクラクションを鳴らして過ぎ去っていく。青空で気持が良いのだが、無謀なトラックには参る。
登り坂になると後輪のフリーウィールから音が聞こえる。カチン、カチンと甲高い嫌な音だ。いっその事、壊れてしまえ、なんて思ったりする。しかし、ここでヒッチハイクしたらモスクワまで行ってしまいそうで、それも困る。
道は登り下りの連続。休憩時には昨日買った蜂蜜を立ち止まっては舐める。蜂蜜と一緒に食べるクラッカーが欲しかった。
10時過ぎにカフェを見つける。紅茶を入れて貰う。小さな袋に入ったピーナッツが売られていたのでそれを食べようと思ったら、塩が少ないので、テーブルの上にあった塩をまぶして食べた。
12時くらいには幾つもの店やカフェが並ぶ所に出た。その中で大き目のスーパーでバナナを探したが無かったので、小さめの店に入ってバナナ、りんご、クラッカーなどを買う。その後カフェで昼食を、と思ったが、バナナを買った店の入り口の所で老婦人が作りたてのピロシキを持って来て売り出したので、それを買って昼食とした。ロシア語が分からない俺だが、ロシア語が分かって当然と、老婦人が笑いかけるようにピロシキは如何、と話しかけてくれたのが嬉しく、値段を聞いたら安いし大きいので、肉の入ってないピロシキを6つ買った。
そしてまた店に戻りイワシの缶詰とケフィールを買って、店先で野菜を売っていた売り子の横に座らせて貰って食べる。道端で野菜を売るシベリアとは大違いだ。ピロシキは暖かく美味しかった。きっと老婦人は毎日ピロシキを焼いてここで売っているのだろう。店先で野菜を売っている人とは親しいようで、その人からは人参の束を買っていた。
走り出すと、西には入道雲が広がって見える。でも、雨が直ぐに降るような感じではなかった。道を進み、ウファで泊めてくれる予定になっているイルヤにはM5の幹線道路との分岐点からSMSを送った。果たしてこの分岐点の道路を進んだら良いのか分からなかったので、返事が直ぐに来る事を願ったが、返事を待っても直ぐに来なかったので、たまたま道を歩いていた女性達に話しかけると、親切に教えてくれた。
言われるように道を右に折れ北に向った。最初は間違ってないか心配だったが、暫くすると「Уфа」と市名が入った塔が道端に立っているのを見つけて安心した。その先には警察の検問があった。警官にイルヤの住むイノーリス・ディストリクトまでの距離を聞くと7キロ先の十字路を左に曲がって、橋を越えて真っ直ぐに進め、と教えてくれた。
途中までは、今までの程度の悪い道路だったが、都会に向う道路だけあって途中から綺麗に整備された道路になった。そして赤いダンプトラックが俺の前に止まる。何か運転席を見て欲しいようだった。運転席を見て俺は驚いた。インストのパネルに刻まれている文字は中国語だった。トラックそのものは中国製だと直ぐに分かったが、まさかインストに中国語が使われているとはとても想像できなかった。そして、ドライバはインストの中に赤く点灯する警告は何なんだ、と聞いてきた。車の事は大抵理解できるが、警告の中国語は全く想像できなかった。そして、俺はドライバに、これは中国語で俺は日本人だ、と伝えると、役立たずを停めてしまったと言わんばかりに素早く立ち去ってしまった。そんなドライバの態度は不愉快であったが、東洋人を見つけて文字を読ませようとした行為は愉快に思えた。
橋を越えて真っ直ぐに進むはずだったが、道は左右に分かれた。右の方が本線のように思えたのでそれを進む。しかし立ち行く人に道を尋ねると、間違っていた。俺は先の交差点に戻った。その交差点には信号が無く、沢山の自動車で渋滞していた。夕方の早い時間でこんなに混雑するのだから、朝晩の渋滞は大変なものなのだろうと思った。俺は車の流れに沿って、イノーリス・ディストリクトに向う。
教えてもらった方角に進むと陸橋があった。そしてまた道を尋ねると俺は既にイノーリス・ディストリクトに入っていた。思ったよりも早く着いたのだ嬉しかった。ウファが都会なので、泊めてくれるイルヤの家が簡単に見つけられるか心配だったのだ。
それから待ち合わせているフェリーナ通りはどこかと尋ねると、もう直ぐそこ、と教えてもらえた。一度、歩道にペダルをぶつけてしまい転んでしまったが大した事なく済んだ。
道路の右側には大きな工場があり、戦闘機が飾られていた。子供連れの親子や10代の女の子が写真を撮っているので、きっと有名な会社(工場)なのだろう。
教えてもらったとおりに道を進むと、フェリーナ通りに出て、イルヤが待ち合わせ場所に指定したバス停と教会が直ぐに分かった。午後5時くらいだった。イルヤにSMS を送ってバス停で待っている事を伝えた。
(そして今回の大陸横断の旅行で一番嫌な事が起こってしまった。)
イルヤが仕事から帰ってくるのを待った。その間、自転車を掃除することにした。すると60歳くらいの恰幅の良い初老の婦人が話しかけてきて、息子が俺と同じように自転車で旅行した事がある、というような事を言っていた。そして他の人からも話しかけられ、どこから、どこへ、中国人か、といつもの質問を答える。
暫くすると制服を着た警官が3人寄って来て、自転車の掃除を止めて付いて来い、と言った。俺は一瞬面倒な事にならなければ良いな、と思ったが言われるように自転車の掃除を止めて片付ける。すると先の婦人は不満そうに警官に文句を言っている。まるでどうしてこの男(俺)を連れて行くのだ、と言っている様だった。婦人の意見には耳を傾けず警官は俺に早くするように言う。
3人の警官は、バス停の隣にあった小さな交番のような建物の横に自転車を置いて、その中にあった小さな机の横の椅子に座るように言った。俺は嫌な予感はしたものの、今までの警官と同様に俺の旅に興味があって話を聞きたいのか、と勘ぐっていた。
警官の質問は先のバス停の人達と同じで、どこからどこへ、中国人か、と同じような質問で始まったが、3人の警官はいつの間にか二人になっていて、同じ質問を最低でも3回は繰り返した。俺はこの二人の警官もきっと何かの手助けをしてくれるだろうと思って、記念の為に名前を日記に書いてもらった。そしてノートや日記も見せた。
警官は次に麻薬とか拳銃を所持してないか、等と馬鹿な質問もしてきたが、あるわけ無いだろうという態度で一言「ニエット」(No)と言ってやった。
どうして同じ質問を繰り返すのか理解できなかった。俺はこの二人の警官の頭が悪いのかと思った。俺はイリヤがバス停近くの教会に迎えに迎えに来てくれるまで少し時間があるので、何も気にせず同じ返事を繰り返した。
30分も経過しただろうか、繰り返しの質問が終わってパスポートを見せろと要求された。俺は待ち合わせの夜7時になろうとしていたので、気になったが、言われるように俺は見せた。でも、二人のうちの上官と思われる警官は、俺のパスポートを見るなり向かい合っている机の上に放り投げるように置いた。俺はこの時、非常に不愉快だった。見せろというパスポートを見せたら、こんなもの要るか、と言わんばかりに放り投げた。そして次は、財布を見せろという。中には150ルーブル位(約6ドル)しか入ってなかった。これにも興味がなかったようで、直ぐに返してくれた。
すると今度は自転車のパニアの中を開けて見せろ、と言う。俺は嫌な顔を見せてやった。この中に警官が探している物は何もあるわけないだろうと思ったからだ。そして、パニアの中の食料や衣類、自転車のパーツ、工具、寝袋、色々見せた。そして、自転車のハンドルバーの前に付けてあるフロントバッグの中を見せる。するとバッグの内側で両サイドに小さく仕切られた一見しただけでは分からないような隠れたようなポケットを見つけ、その中を見せろと言う。その中から俺はトレベラーズチェックを出して見せると、上官の態度が急変した。
トレベラーズチェックを机の上に並べろ、と言う。俺はロシア入国時に持ち込んだ米ドルを申請しているし、何も問題は無いはずだ。数千ドル分のトレベラーズチェックが机の上に並んだ。
そしてまた同じ質問が繰り返された。どこへ行く、どこから来たか。俺は質問をそのまま受け取って答えた。しかし、もう一人の警官が痺れを切らしたように、紙切れにペンで何かを書いた。見せてもらうと空き瓶にウォッカと書かれている。俺はこの時、初めて彼らが賄賂を要求している事に気付いた。そしてその警官は500ルーブルと後で書き足した。
二人の警官は俺よりも小さかった。俺は椅子から立ち上り、二人を上から睨み付けた。そして俺の声が外に聞こえるように大声でそして破竹の勢いで、「I don't have any money for you guys! 」と英語で二度叫んだ。バス停の周りに居た人には俺が怒っているのが伝わったはずだ。
警官二人がもし拳銃を持っていて俺を威圧しようと思えば出来たはずだ。でも、俺には警官が拳銃を持っていようが居まいが関係なかった。今まで親切にしてくれたロシアの制服を着た警官の印象をこのたった二人の警官の私欲で大きく変わってしまった。こんな事だけは起きて欲しくなかった。物取りにあっても仕方ないとは思っていたが、賄賂を要求されたしまった事が残念で仕方なかった。
賢い旅人だったら言われるように支払っただろう。でも、俺には出来なかった。旅行ガイドブックとか、インターネットに発展途上国での賄賂の話はよく出てくるので俺も最初は覚悟していた。しかし、ロシアの旅行を始めてそんな事は過去の事だ、と思えるように今まで誰一人の警官も俺の旅行の邪魔をした者は居なかった。全員の警官が親切だった。残念だった。只、賄賂を要求された事が残念だった。
二人の警官は、俺が大声を挙げるとは思っても居なかっただろう。彼らが法律だから、俺は何をされても仕方ない状況だ。強引にも本署に連行されていたかも知れない。でも、二人の警官は机の上に広げられた書類やトラベラーズチェックを素早く片付ける俺を見るだけで、一言も何も言わなかった。俺はその交番のような小屋を直ぐに出た。
そして、バス停で待つ人の近くに進んでから振り返ると、二人の警官の姿は消えていた。しかしバス停で待つ人の態度も変わってしまった。俺はまるで何かの容疑者として扱いを受けたので、そんな旅人には関わるか、という雰囲気になってしまった。先の初老の婦人が未だ居たので、身振り手振りで賄賂を要求されたことを伝えると、顔を横に振って呆れ顔をしていた。
約束の午後7時前に教会の前に行って待っていると、イルヤの奥さんのナターシャが迎えに来てくれた。英語は全く通じなかったが、自転車の乗っている東洋人は俺以外に居ないので直ぐに分かったのだろう。俺は、彼女の言葉の中に「イルヤ」と一言あったので直ぐに分かった。
イルヤの家は教会から近く、一軒家だった。いつものように集合住宅だったら階段を自転車を持ち上げる必要があったが今日は大丈夫だった。家に入るとナターシャは直ぐにクワスをグラスに入れて持って来てくれた。とても、とても嬉しい心遣いだった。手土産一つ持って来てない自分を持て成してくれる。おまけにブルーベリーのようなベリーを小皿に沢山持って来てくれた。俺は無心に食べた。バナナやりんごは食べていたが、それ以外として久しぶりに食べる果物だった。それに気付いたナターシャは、一粒もなくなった小皿にまた沢山のベリーを持って来てくれた。
そしてインターネットを使えるように準備してくれた。ウファは都会だが、家にはDSLが無い。携帯電話を使ってインターネットに接続する必要があった。メールをチェックして、地図を確認していると9時位にイルヤが仕事から戻ってきた。家はナターシャの祖母の家で、イルヤとナターシャが同居している事が分かった。祖母は先に食事を済ませていたので、我々3人で食事をした。祖母もナターシャのように色々と気を使ってくれて、あれもこれも、と色々な物を出してくれた。蜂蜜はこの地方の特産との事で、2種類持って来てくれた。祖母は俺と目を合わせないようにしているので気になったが優しい老人だった。食事は質素であっても歓迎されている事が明らかだったのでとても楽しいものだった。
食事の後は、イルヤと一緒にバーニャに入った。シャワーを浴びれるとは思っていなかったのでこれも嬉しかった。そしてバーニャでイルヤと話が出来たので良かった。バーニャから出ると、ナターシャは紅茶を入れてくれた。イルヤは幸せ者だ、こんな気の優しい奥さんを貰って。
寝る前にまたインターネットをやらせて貰って、Picasa に写真をアップロードした。
先の警官の一件の事が無かったら、イルヤの家族に親切にしてもらってどんなに嬉しい一日だった事か。ウファがどんな素晴らしい思い出の街になったか。たった二人の警官の悪事が俺の旅行の思い出の一幕を作ることになってしまった。
0 件のコメント:
コメントを投稿