2008年7月19日 (84日目)ノジンスク、M7 750Km




朝は7時前に起きる。そして日記を書いているとIrena が起きてきてコンピュータを使わせて貰えた。モスクワで泊めて貰える家を探すのと、メールの返事を書いた。朝食には以前にも食べたことがあるお粥のようなものを頂いた。外は小雨。でも、もう一日の猶予も無いので雨でも何でも進まないといけない。只、モスクワの泊まる場所を探す必要があったので、10時半位までメールの返事を待った。しかし誰からも泊まっても良いとの返事は無かった。出発の準備をすると11次位になってしまった。アンチョンに地図を見せて貰って、幹線のM7 への戻り方を教えて貰った。イリーナは一度どこかに外出したが戻ってきた後で一緒に昨晩自転車入れた車庫に行く。イリーナは俺が道を間違わないように夕べ走ってきた大きな通りまで一緒に来てくれてそこで分かれた。急いでいたので彼らの写真を撮るのを忘れてしまった。失敗してしまった。



走り出すと街の中は今朝の雨のためか道路が濡れていたが大した事は無かったのでレインギアは着ないで走る。街を出てM-7 に出るとその後は快調に走れた。街の中は交通量の多いし、道を間違えないように気を遣うので郊外を走るのは楽だ。それにウラジミールはちょっとした都会なので郊外の道路は路肩が広く走りやすかった。当分の間、登り下りが続いたが追い風だったので距離を稼げた。途中の村で昨日と同じヨーグルトを買う。20ルーブルと昨日よりも3ルーブル高かった。それを飲んでいる時に近くに止めてあった他人の自転車を見ると何処かで買い物をしてきたように見えた。きっと別のお店があるのだろうかと思って見ていたら2件隣もお店だった。M-7 から入り込んでいたのにこんな所にお店が並んでいるとは驚いた。2件目の店にはバナナがあったので5本買う。18位ルーブル。シベリアから比べると、暖かくなったせいもあるるだろうが、バナナの値段は下がる一方だった。途中でロシア製で、フロントのサスペンションがリーフスプリング、そして音の煩いエンジンのよく見る小型トラックとトレーラーの事故を見る。以前から思っていたのだが、事故を起こしたロシア製の小型トラックの運転手は特にマナーが悪い。事故の相手のトレーラーはジャックナイフしていて、登り坂の路肩に落ちてしまっていた。この朝の事故とは別に夕方にも事故を見たが 、これにもロシア製の同じトラックが絡んでいた。その型のトラックの数は多いのだろうが、トラックをサンダルで運転する人達なので基本的になってない。

別の所では右折するインターチェンジがあり、右側のレーンで真ん中を走っていて、後ろから車が来るか見て見たらルノーの新型のトラック(トラクター)が来たので右に除けようと思ったら、運転手は手で先に行って、と合図している。俺は嬉しくて手を何度も上げて礼を伝えるとそ のトラックの運転手はクラクションで答えたくれたのでもう一度手を上げて答えた。こんな親切なドライバーも居るのだ。何度手を上げたか分からなかったが本当に有難かった。



昼食にはトラックが沢山停まっていたカフェに寄って玉子焼き、キャベツのサラダ、マカロニ、ジュースなどを130ルーブル位で食べる。食事の後、洗面所の水を水筒に入れて走り出す。比較的に平坦な道が多かったのと、追い風が続いたので良く進む。只、いつもの夕立が来て、一つ目は見送るというか避けられたが、二つ目は雨宿りの為に雨を待ったが、一向に降る気配が無いので走り出すと途端に雨が降り出した。レインジャケットと靴にビニールを履いて走る。雨の中をとにかく走る。トラックの一部は容赦なく俺の直ぐ左横を走り抜けて行くが、水溜りなどでは大きく左に除けてくれるドライバーも沢山居て有難かった。雨は直に上がったがレインギアを着けたまま走る。M-7 はNoginsk の街への道が分かれた。標識どおりに進んだら今回はバイパスではなくて本線だった。

21時位で少し暗くなり始めたのと、体力も落ちているので何処かで夕食を取れる、そして泊まれる場所を探したが中々見つからない。すると道路工事の為の車線変更があり、工事用車両と小屋が見えた。そこに二人が立っていたのでテントを張りたいと、伝えるが直ぐに良い返事は無かった。駄目で元々と思って小屋を指差してあの中に泊めて欲しいとメモ帳の一ページを見せると、その二人のうちの一人は小屋に行き暫くして戻ってきた。すると運良く泊まっても良いとの返事だった。自転車を中央分離帯のガードレールの上まで3人で持ち上げて小屋に行くと、寄宿舎としての小屋と、工事用道具を保管している小屋があり、自転車は工事道具の小屋に保管して貰えた。



寄宿舎の小屋に入ると2段ベッドが両側に二つ、そして正面に1段のベッドが一つ、普通だったら5人が泊まれる6畳間位の小屋だった。小屋の中には実際は4人が寝泊りしていて、殆どがウズベキスタンから来ているようだった。日本だったら出稼ぎとして扱われるのかも知れないが、実際の事は分からない。移住しているのかも知れない。小屋の中ではプローフのような米の料理とパンや紅茶を頂いた。有難かった。自分のスウェットパンツは夕立の雨でずぶ濡れ。小屋に入る先の二人のうちの一人が俺でも着れる大きなジーンズを貸してくれた。丈は短かったが濡れているスウェットパンツよりも100倍良かった。俺は腹が減ったとは言ってなかったが、残り物であったとしても夕食を用意してくれたり、空いていた一番大きなベッドを貸してくれたりと、俺がずぶ濡れで空腹で疲れているという状態であるか直ぐに感じ取れて貰えたので嬉しかった。食事の後は俺が撮った写真をみんなに見て貰い、静かに更ける夜を空腹ではなく屋根の下でそれもベッドで寝る事が出来た。 明日はモスクワだ。恐らく30キロ程度の距離だろう。昨晩と今朝イリーナの家でモスクワで泊まれる場所は無いだろうかと何人かにメールを送ってあったのだが、20時くらいにモスクワのグレゴリーから泊まっても良い、とのSMS が届いたので、寝床の心配は無用だ。待ちに待った赤の広場が直ぐそこだ。9千キロ離れたウラジオストクを発って約80日。途中1500キロ位は電車だったが、良く走ったものだ。雨が降っても嵐が来ても間違いなく明日中にはモスクワだ。沢山の親切に支えられてよく此処まで来たものだ。

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