2008年7月23日 (88日目)M9, 157Km


朝は7時位に起きて準備を始めるが8時を過ぎてしまった。他の部屋で寝ているゴーシェを起こしてお礼を告げて別れる。自転車に乗り出すと8時45分を回ってしまっていた。

モスクワの道は簡単なようで複雑だった。環状線の道路は片側だけで6車線ありおまけに中央分離帯がある。何度か道を聞いて自分が進むべき道を見つけられたが、途中から自動車専用道路になってしまった。道路の標識が普通は青色なのに緑色になってしまい、M-9 の標識の他に小さな絵が付いている。自動車専用という意味だろう。しかし来た道を戻って普通の道路に出たところで、他のルートは全く分からない。危険は承知でそのまま走り続ける。途中で何台かの乗用車はクラクションを鳴らして過ぎていく。危険を教えてくれたのか。


  

更に進むと綺麗な新しい赤い橋を渡る。橋の上には歩道も用意されていたが、幅が狭すぎるので、自転車で歩道を走ることは出来なかった。橋の次はトンネルが待っていた。もう後戻りできない。トンネルは山の中を行くものではなく、川の下をもぐるものだった。橋を作るのよりもトンネルの方が良かったのだろうか。

トンネルを進むと壁には幾つもの監視用カメラが見えた。でも、最初は下り坂だったので勢いを付けて下った。途中で何台もの乗用車が通り抜けていく。トンネルの先方が明るくなり出口が近づいたのが分かり、全力を振り絞り走る。もしかしたらトンネルの監視室から警察か誰かを呼んでいて出口では誰かが待っているかもしれない。出来るものなら、その誰かが到着する前に走り抜けてしまいたかった。

案の定、トンネルを抜けて先に進むと誰も居なく、何事も無かった。取り越し苦労だったのか、気の狂った旅人を許してくれたのか。恐らく後者であろう。その後も何人もの警官やパトカーを見たが何も起こらなかった。こんな時にはこの国の人のいい加減な所に感謝する。日本やアメリカでこんな事をしたら只では済まないだろう。


  

風は殆ど無く距離を稼げた。しかし食事をとりたくてもカフェが中央分離帯の向こう側だったり、何とも入りにくそうだったりと、思うようにいかなかった。正午くらいにある店で買ったミルクや、その先にあった別の店で買ったパンやケフィールを昼食にした。

夕方17時位にカフェを見つけたので夕食とする。KMマーカーはもう直ぐ150キロになろうとしていた。ロシアのビザが4日後に切れるので一時も無駄に出来ない。ひたすらと走ったのだが思いもよらぬ早さだった。カフェでは魚、マカロニとジュースを注文して食べる。食べた後は日記を書いている。

モスクワ近郊に比べるとこの辺の道は狭くなり、片側1車線になってしまった。そしてカフェやАЗС(ガスステーション)はモスクワ近郊には沢山あったが、いつの間にか少なくなってしまった。今晩はどんな所で寝るのだろうか。とりあえず未だ20時なのでもう少し走ろう。

しかし走って見ると少し暗くなり車の数も減りだした。もしどこかの村に入れるとしたら人が外に出ている時間内の方が良いと思い、一つの村を過ぎてから泊まれる所を探した。モスクワからラトビアまではM-9 の幹線道路を利用しているわけだが、M-9 から少し離れた場所に木材や建築材料を売っていると思われる場所と骨組みだけの建物を見つけたのでその村に進む事にした。すると運良く数人がその骨組みだけの建物の前で食事をしているのを見つけた。村に進む道からその人たちの所へ行って話しかけてみると、建築の作業員で4人がウズベキスタンから来ていて、他の3人はロシア人だった。

  

俺が骨組みだけの建物の近くでテントを張りたいと切り出す前にロシア人の一人が夕食は未だですか、と聞いてきた。夕方に食事を取ったが腹は減っていると言うと残り物のプローフを分けて貰えた。そしてコーヒーやジュースなども頂いた。俺の今までの旅の話をすると、いつの間にか今晩はここの泊まれば良いという事になった。そしてロシア人のボスと思われる人は、明日ラトビアの首都リーガに車で行くので一緒に行くか、と聞いてくる。実に世の中は不思議だ。不思議なことが起こるものだ。どうしてこのタイミングでこんな質問が出てくるのか。ビザの期間内に出国する事は願っているが、出来れば自転車で走り切りたい。返事は明日で良いと言ってくれた。

ロシア人3人は暗くなる前に早々に帰って行った。そして残されたウズベキスタン人4人と自分は星空の下で話を続けた。そしてその内の一人は歌を歌ってくれた。自分で伴奏しながら上手だった。どんな歌詞だったのか全く分からないが、何となく友達が遠くから来た、というような受け止められた。歌を歌った貰えるのはこれが二度目だった。シベリアのイルクーツクの西のあるカフェでも歌を歌ってくれた人が居て、その人も自分から進んで歌を披露するだけあって上手だった。

コーヒーを何杯も頂き、小さな寄宿舎の中に泊まれる事になった。中には3つのベッドがあり、俺は床に寝袋を敷いて寝れば良いと思ったら、2番目に若い人が自分のベッドで寝てください、と言う。その若い人はベッドがある部屋ではなく、工具が保管されている部屋の中のソファで寝ると言う。俺がそこに寝かせて貰う、と言ったが聞き入れて貰えず、好意に甘える事にする。何ともありがたい事だ。

自動車専用のトンネルを抜け、自動車にクラクションを鳴らされて、モスクワの大都会を無事に抜けられた。あと残されたのは3日間。星空が明日の天気を約束してくれている。

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