昨日のSMS では、チュメイン(チュメニ)で泊めてくれるリエナは仕事の都合上、午後3時半までに来るか、午後9時半以降に来て欲しいとの事だった。夕べは長い時間走ったので寝るのが遅くなってしまったが、朝の5時半に起きた。カフェに居た客は、朝方になって俺がカフェの裏でテントを張っていることに気付き、日本から来た者はここに寝てしまった、というような事を立小便をしながら言っていた。でも、用が済むと皆家路に着いたようだった。夜の暗い時間は短いので、空は明るくなりかけていた。
5時半くらいに起きる。日はもう上がっている。走り出すまでに片付けの時間が必要なのか計ったら、寝袋、テント、空気が入ったマットレス、蚊除け、自転車のフロントバッグ等をきまった場所に収めるまで45分掛かった。素早くやったつもりだったが、いつも1時間くらい掛かっているのでその時間に間違いない。たった、数点の荷物を片付けるのにこんなに時間が掛かるのだった。何とかこの時間を短く出来たら良いが、テントを張ったら難しいだろう。
暫くすると、テントを張ったのは村の外れの最後のカフェだと思っていたが、別のカフェを見つける。夕べは暗かったので様子が分からなかったのだ。カフェの駐車場にはトラックが何台も止まっていた。只、カフェは始業前の清掃中だった。でも、サハリンから来たというマネージャは紅茶だけだったら出してくれるとの事だった。走り出して間もないので、休む必要は無かったが、その人の好意に甘える。掃除中の女性の不機嫌そうな声が奥から聞こえる。マネージャは別の女性を連れてきて、紅茶だけではなく朝食も作るように伝えてくれた。そしてマネージャはカフェの奥のキッチンを案内してくれ、俺は手と顔を洗うことが出来た。いつもの玉子焼き、ボルシチ、パン等を朝食にする。
そして食事の後、カフェを出る前に5リットルの水を40ルーブルで買う。青色の自転車のフレームに取り付けられている二つのボトルと、前輪の横にあるパニアの中に入れてある水のボトルに5リットルの水を分けて入れた。
準備を終えて走り出すと7時を過ぎてしまった。今日でロシアのビザは丁度残り一ヶ月になった。
シベリアの西の玄関、チュメイン(チュメニ)に通じるP402 は道幅が広かったが、綺麗な走りやすい区間もあれば、そうでない区間もやはりあった。午前中の体力がある時間は道の程度は気にならないが、午後は距離が延びない。10時くらいから吹き出す風の影響もあるのだろう。
前輪のショックアブソーバが欲しい。2ヶ月もの間を良く走ってきたものだ。悪路のお陰で手の指の痺れが治まらない。それから左足の指も痺れているが、これは若しかしたらペダルの中心が背足(支点)からずれてしまっているのが問題かもしれない。ペダルクリップは自転車を購入した時のものなので、古いスタイルであったが俺は好きだ。何しろスニーカーでもペダルを漕げるからだ。でも、20年以上の前のスニーカーと今のスニーカーは造りが違い、足のサイズは同じでも靴の外側は大きくなっているので、ペダルの中心と背足が一致せず、つま先でペダルを漕いでいることになっているので、これが足の指先の痺れの原因だと思う。でも、今は何も出来ない。チュメインで自転車屋を探しても、俺の気に入ったペダルクリップがあるかどうか分からない。無駄な時間を過ごすよりも先に進みたい。でも、若しかしたらロシアを出て、道路がよくなったら、手足の痺れもひけるかも知れない。
後輪のタイヤはいつの間にか山がなくなって磨り減っていた。以前、砂の道路を走ると滑っていたので変だとは思っていた。前輪はまだ当分大丈夫だ。
暫く走り、次の町に入る。店で牛乳、ピロシキ、バナナ等を買う。牛乳は冷えていて美味しかった。朝の早い段階で90キロを走ってしまったのでチュメインのサインが出た時はホッとした。沢山の車のディーラーが並んだ道を進む。そして道を歩く人と止めて、自分が正しい道を進んで居るのか確認した。発音できないので、SMS で送られてきた文字を写したメモ帳を見せると、真っ直ぐに進んだら良い、と教えてくれた。そして Respubliky と Kholodilnaya の交差点に向う。
何度も何度も道を歩く人に場所を確認しながら進む。するとある若い学生風の二人は、英語で道を教えてくれた。只、真っ直ぐに進めば良かったのだが、どれくらいの距離なのか想像できたのでよかった。それを聞いていた自転車に乗った若い女性は、自分もその方角に行く、と言ってくれたので、一緒に行ってくれるかと思ったら、素早く走り去ってしまった。でも、リエナと逢う約束をした交差点には午後1時半に着けた。早く着けそうな気はしていたが、こんな都会でこんなに簡単に約束の場所が見つかるとは想像できなかったので良かった。リエナには到着したことをSMS で送り、約束の時間を待った。やれやれだ。
午後3時半に会う約束なので、それまで近くの公園で休む。ベンチはあるが、水道が無い。比較的大きな公園だったが、どこにも無い。トイレも見あたらない。そして日陰には蚊が多かった。公園で涼んでいる他の人は蚊に慣れてしまっているのか、気にしてないようだった。
リエナは約束どおりに3時半に来てくれた。彼女はその交差点の近くに住んでいて、俺を直ぐに連れて行ってくれた。ケメロボを出る前に、彼女のプロファイルをCouchSurfing で確認していたのだが、彼女はカナダのオタワで生まれで、英語とフランス語が話せ、このチュメインでは英語をある企業で教えているとの事だった。オムスクのターニャと同じだ。
彼女のアパートは建物は他と同じように古いが中は綺麗になっていた。チュメインに来てまだ一ヶ月との事で、8月に契約が切れるまでチュメインに居るが、その後は分からないと言っていた。以前、住んでいたチェコのプラハでは英語とフランス語を教えていたそうだ。自宅にはインターネットが無かった。でも、親切にどこへ行けばインターネットカフェがあるか教えて貰えた。そしてリエナは次の仕事があったので、直ぐに出かけて行った。
俺は先ず、シャワーを浴びさせて貰った。シャワーを浴びると、まるで生き返るようだった。洗濯機がバスルームにあったので、洗濯もさせてもらう。使い方を教えて貰ったが、最初のスタートの部分だけ。洗濯が終わっても取り出す手順を教えて貰ってなかったので、洗濯機のドアがロックされていて干すことが出来なかった。仕方ないのでそのままにして、インターネットと買い物の為に外出する。合鍵が無いので、一度外出するとリエナが戻るまで入れないので、5時くらいになるのを待って出かけた。
先ずはインターネットカフェに行った。英語のメールは読めたが、恵子から日本語のメールもあったので、それも読みたかったが、使ったコンピュータは日本語を表示できず読めなかった。
ウイルスとスパイウエア対策の為に、Windows を再起動すると先の設定は全て消去され、また新しい環境になってしまうので、日本語をWindows に設定することは出来なかった。それから写真もうまくアップロード出来なかった。仕方ないので、後で自分のラップトップを持ってきて、接続させて貰うことにした。一時間くらいインターネットして、63ルーブル支払った。インターネットカフェの中には10台くらいのコンピュータが置いてあり、高校生位の年代の数人が居た。
スーパーマーケットは歩いて10分くらいの距離だった。大きな建物の中にあり、アメリカの大型なショッピングモールと負けず劣らずの大きさだ。リエナ曰くこの町は石油で潤う町で、富裕層の一部は特に裕福だと言っていた。モールの中には様々な店が入っていたが、はやはり婦人服が中心だった。当面の食料を買って、400ルーブル位をVisaカードで支払うことが出来た。リエナにはコーヒーとクッキーを買った。ロシアの夏の飲み物、クワスも買ってみた。フードコートに行ってみると、食べたいものが見つからないのと、値段が高いので、食事をそこで食べるのをやめた。
そしてリエナのアパート近くに戻る。しかし、街角のキオスクは全て閉まっていて、何も買えない。先にインターネットカフェに行った際に、その手前に小さなスーパーマーケットがあったのでそこに行ってピロシキのような菓子パンのようなものと飲み物などを買う。そしてさっき大きなスーパーで買った食料が夕食になった。
夜の10時半にリエナが戻ってきたので、アパートに戻り、俺は直ぐにラップトップを持ってインターネットカフェに行った。しかし、閉まっていた。インターネットカフェのマネージャのセルゲイに聞いた時は夜12時まで営業しているとの事だったが、閉まっていた。夜の8時にいつも閉まるので、リエナは俺が聞き間違い下のではないかと思ったようだ。8時と12時を間違える訳ないと思ったが仕方ない。今晩は、ロシア対スペインのサッカーの試合があるので、セルゲイは帰ってしまったのか、とも思った。仕方ないので、明朝もう一度行くことにした。
先に買ったクワスをリエナに見せると、聞いたことはあるが飲んだことは無いと言う。ヨーロッパの人達には不評な事を知っていたので、そう伝えるとリエナは遠慮しておく、と笑った。俺は特別好きでは無かったが、道端によく捨てられている空きボトルと同じレベルの物が売られていたので、それを飲んでみたかった。悪くない。でも、リエナは俺の顔を見て、やっぱりやめておく、と言う。結局一人で2リットル位を全て飲むことになった。しかし、都会の夜は暑かったので好都合だった。寝室一つ、キッチン、バスルームと、小さなアパートだったので、キッチンにマットレスを敷いて寝る。
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