2008年6月23日 (58日目) P402、192 Km


いつものよう昨晩も寝袋に入った途端に寝てしまったようだ。幹線道路から外れていて、街灯も無い静かな村だった。起きてみると7時だった。テントを片付ける手間が掛からないので早く出られた。しかし、昨晩の青年はもう仕事に出かけてしまったようだった。理由が分からない。どうしてそんなに早く出かけなくてはならないのか。俺は礼を言いたかった。礼が言えずに寂しかったのと、日本人の俺に優しくしてくれたので別れの一言ぐらい言って出かけて欲しかった。仕方ない。お互いに名前も聞く事が無かった。村の名前さえも分からない。唯一確かなのは、オムスクからチュメインに向う幹線道路の脇にある小さい村にも、親切な青年が居たと言う事だけだった。



家を出る。近くでは婦人が3人立ち話をしている。昨晩、泊めてくれた青年かその奥さんの母親がその中に居た。「スパシーバ・バリショーエ」とだけ言って別れた。




P402 の幹線に出ると、朝から向かい風が強かった。9時くらいには次の村があったので、バナナでもあれば買いたかった。道を右に曲がり村への道を進むと、村の中心は更に右に曲がっていて、そのまま進むと逆行してしまうので諦めた。

カフェが見えたので朝食を取る。いつものメニューだ。俺の食べ物が出てきた後で、店の電気は消えて停電になってしまった。俺の後に注文した人の食事は出てこない。俺は構わず食べた。どうして停電になったのか不思議だった。落雷とかなら分かるが、外は快晴だ。これが先進国との違いなのであろうか。結局、食べ終わるまでに電気は復旧しなかった。こんな時、冷凍食品はどうなるのか気になった。


カフェを出て走る。風が強く距離は延びない。出来れば3日後の木曜日にはチュメインに行きたいがどうなるか。昼前にある村を通り、バスのターミナルに併設された店で、バナナ、ピロシキ、ラーメン等を買う。牛乳も買いたかったが無かった。でも、牛乳は無いがこれならあると進められたものを22ルーブルで買う。最初は脂肪分の無い牛乳かと思った。でも実際は非常に酸味のある飲み物だった。ケフィールに近い飲み物だった。



その後、カフェがあったので早めの昼食とする。ピロシキをさっき食べたばかりだが、構わず入った。玉子焼きは作れないと言うが、魚はあるとのことで、魚のフライを頼んだ。恐らく既に油で揚げられたものを冷凍していて、それを電子レンジで戻されたものだ。仕方ない。100ルーブルで食べられるのだから文句は言えない。それに、今まで俺が食べたカフェの料理の殆どは電子レンジで暖められたものだろうから、今更驚くことでは無かった。マカロニも、スープも、安いから仕方ない。

午後は暑くなり、走り辛かった。風の為か疲れてしまい、距離は全然延びない。19時くらいに見つけたカフェで夕食とする。カフェの中で携帯電話の課金をする。MTC のSIMカードに100ルーブル追加した。でも、残高を確認したら、93ルーブルしかない。理由は分からない。


食事を終えて走るが、疲れてしまっていて走れない。ある村が見えてきたので、その村への道を進む。そして家の煙突から煙が上がっている家の前に人影が見えたので、その家に向う。すると家の前に居たのは老人で、泊めて欲しい旨を書いたメモを見せたら、二つ返事でOK してくれた。自分が幸運すぎて変な気持さえもした。家の造りは昨晩泊めて貰った家とは違って綺麗ではなかったが、屋根の下に泊まれるのが嬉しい。


老人は俺の自転車を屋根の下に置くように教えてくれて、家の中に通してくれた。直ぐにウォッカが出てきた。自家製のウォッカだ。危ないとも思ったが、老人は強く勧めるので頂く。強い酒だ。すると同じ敷地内で住む息子さんの奥さんと思われる50歳くらいの婦人が、ポテトを炒めた料理を持ってきてくれた。夕食は食べて間もなかったが、もの凄く美味しかった。どうしてポテトだけでこんなに美味しく作れるのか不思議だった。そして暫くすると、その女性は次にキュウリのサラダを持って来てくれた。老人が何と俺の事を紹介したのか分からない。でも、色々言いつけてくれた事に違いなさそうだ。俺が老人の酒の相手をしてないのを分かっているようだった。

外で歯磨きをしていると、その女性はバーニャに入ったら良いと言う。嘘のようだった。俺は昨晩、バーニャに入れて貰った。そして、この村でも同じように見ず知らずの俺にバーニャを勧める人が此処にも居た。婦人はタオルまで貸してくれた。お湯を浴びたら、強く吹く風の事など一切を忘れることが出来た。婦人に礼を言って、老人の元へ戻った。当然、老人は待ってましたと、しきりにウォッカを勧めてくる。しかし、その老人の姉か奥さんか分からないが老婦人が現れ、俺を寝かせない、というような事を言ってくれたようで、俺は空いていたベッドに横になれた。俺が酒を飲めたらロシア語が分からなくても相手をしてあげられたが仕方ない。家の中には糸を紡ぐ手漕ぎの機械があった。年代ものだ。どう見ても50年以上も昔からあるような代物だった。

これで二日連続して屋根の下に泊まれ、二日連続してバーニャに入れた。とてもラッキーだ。もし、老人が外に居なかったら俺は老人と会うことは無かった。もし俺が夕食をカフェで食べて居なかったら、老人とは会わなかったかも知れない。風が無かったらもっと先に進めて、この村に入らずこの老人に会ってないかも知れない。全てが偶然の連続だ。全てが良い。

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