2008年6月25日 (60日目) P402、94 Km


朝は5時半くらいに起きて、静かに準備を始めるとサーシャ(泊めてくれた老人)を起こしてしまった。サーシャは直ぐにマカロニを温めてくれたので、それを頂いて6時半くらいに出る。夕べの話では、トラックを運転している息子が戻ってくるような事を言っていたと思ったが、帰ってこなかったようだ。


昨日もそうだったが、朝は冷えていた。朝霧が道路を隠すように低く広がっている。俺が一番好きな時間だ。風がなく、寒いくらいだが、全ての動植物が目を覚ますような瞬間が好きだ。


今日は170キロ位走らないといけないので、早く出た。そしてチュメインのリエナにSMS を送って、明晩泊めて欲しいと伝えるとOK との返事が直ぐに来た。朝食は9時位に見つけたカフェで食べる。2階建てで建物は立派だったが、料理が盛られた皿はプラスティックだったので、残念だった。そしてセルスサーブで、出来上がった料理は自分で取りに行く必要があった。おまけに玉子焼きも作ってくれなかった。メニューにないのだから仕方ないが、ピロシキも殆ど残ってなく、外見とは違うお粗末なカフェだった。

自転車を見守る必要があったので、入り口に近いベンチに座って、自転車を見下ろすようにしながら食べた。しかし、プラスティックの皿は味気ない。ピロシキ、サリャンカ、紅茶と少な目の朝食となった。


道は相変わらずだが、上り下りが少しあった。そして暑かった事もあり、俺は殆どの水を飲み干してしまっていた。そして、道路脇に停められたトラック数台を横に通り過ぎた。ドライバは何か飲み物を飲んでいた。俺はまだ水が少し残っていたが、この先どれくらいの距離に村があるか分からないので、もしかしたら水を貰えないかと直ぐに引き返した。

ドライバは俺を歓迎してくれた。水が欲しけりゃやるよ、でも紅茶がいいかい、それともコーヒー?と、いうような事を言ってくれた。みんな陽気な人達だったので、嬉しかった。水をボトルに一本分入れて貰い、コーヒーを一杯頂いた。俺は先を急ぐ必要があったので、直ぐに発つ。

暫くするとドライバ全員が、俺を追い越すときにクラクションを軽く鳴らして通り過ぎて行った。俺はクラクションが鳴らされる度に、右手を大きく挙げた。俺にはそんなクラクションが走る勇気を与えてくれるようで嬉しい。大型トレーラーなので、俺が見える位の距離になったら、俺の姿はバックミラーに小さく写り、俺が手を挙げているか分からないだろうといつも思うのだが、手を挙げずには居られなかった。


シベリアではモンシロチョウのような白い蝶や蜜蜂が纏わり付いていたが、この辺の蜂は全然違う。黒く大きくて自転車に乗っている俺を刺そうとしている。追い払うのが厄介だった。トラックが通り過ぎると風でその蜂は俺に近づけないのだが、風がなくなると20匹くらいが纏めてやってくる。昨日の夕食のカフェでは、若者が俺に虫の事を聞いていたので、この事だったのかとやっと気付いた。


朝は無風に近かったが、午後は向かい風になってしまい、いつものように午後はペースが落ちてしまう。甘いものを食べたくなり、ある村に入ってお店を見つける。ピロシキみたいに揚げたパンで三角のものがあり、中には魚が少し入っていた。35ルーブル。そしてチーズが入ったピザみたいなものも同じ35ルーブルだった。ジュース、バナナ6本、水2リットル、安全ピン等で200ルーブル位を支払う。本当は牛乳を買いたかったのだが無かった。そして、安全ピンはまとめて売っているようで、俺が一つ欲しいというと、組になっている中から一つ取り出してくれた。多分、この分は只にしてくれたのだと思う。このお店の中年の女性は、俺があれこれ時間がかかっても、嫌な顔一つしないで応対してくれた。他のお客と同じように扱われた事が嬉しかった。

お店で買った物が昼食になった。店の前が駐車場で、腰掛けられるような所はないので立ちながら食べた。店には小さな女の子が二人、アイスクリームを買って出て行く。この店に来る前に、実は他の店にも入ったのだったが、そこは営業時間なのに閉まっていた。この店の向かいには、プロパンを売るガソリンステーションがある。P402 の幹線からは家が沢山見えていたので、それなりの村だと思ったが、結構の大きさなのかもしれない。道歩くブロンドの20歳位の女性を見つける。髪の毛は金色というよりも、白に近い本当のブロンドだ。こんな田舎にもこんな人もいるのだった。


チュメインまで100キロを切った段階でもう午後9時を過ぎていたので、線路の丘を越えたところにあったトラックの修理工場の近くでテントを張りたかったが、断られた。敷地には沢山のトラックが止めてあった。そして守衛がいたので、期待したのだが駄目だった。でも、守衛の人に水が欲しいと言うと事務所の中に入れてくれて、水のみ場を案内してくれた。顔もついでに洗わせてもらった。

守衛は、隣の建物で聞いてみたらと教えてくれたので、その通りにしたが、呼び鈴の返事は無かった。そして、俺はすがる気持で守衛に戻って、誰も居ない、と伝えると、一緒にその建物の前まで一緒に行ってくれた。さっき俺が建物の呼び鈴を押しても誰も出てこなかった。そして守衛が押して誰も出てこなかった。でも守衛は、大声で叫ぶと2階の窓から老婆が顔を出してくれた。守衛は俺が旅行者で、泊まる場所を探していると伝えてくれたのだと思うが、老婆は軽く駄目だと言った。もう辺りは暗く、もう走る元気も無い。俺は守衛に礼を言って、そこを離れるが、その後ろにも何かの修理工場のような建物が見えたので、そこに行く。子供が6人くらい遊んでいる。アルメニア人だった。テントを張りたいと聞くがあまり良い返事ではない。でも、その中の10歳くらいの男の子は、英語を勉強していると、家からテキストを持ってきて、色々話しかけてきた。それから20分くらい相手をしたのだろうか、大人が外に出てきた。俺はいつものメモを見せる。するとその中の中年の男の人は、待って欲しい、と言ってどこかに行ってしまった。待っていると、他の中年の男の人も一緒に戻って来たが、答えはこの辺では駄目だという。無駄な時間を費やしてしまった。でも、仕方ない。先に進むことにする。

すると10キロ位で別の町が出てきた。ガソリンスタンド、カフェ、トラックなどの修理工場と、結構な町だった。カフェが幾つもあったので、全てを見たが、どれも気が進まない。道歩く若いカップルに泊まる場所はあるかと聞くと、ホテルがあると言う。オムスクの東で会ったスイス人のサイクリストは、ウラルでは200ルーブル位(約8ドル)で泊まれるホテルが幾つかあった、というので俺は果たしてそんなホテルが本当にあるのか確かめたかった。



でも、案の定一泊70ドルとの事だった。部屋代をドルで伝えて来たと言う事は、ロシア人とそれ以外の料金が違うのだろうか。案内してくれたカップルには悪いことをした。ホテルの中に入って値段や空き部屋を聞いてきてくれたのに俺は泊まらなかった。ホテルはある敷地内にあったので、その敷地を歩いて一緒に出た。丁寧に礼をカップルに言って別れる。親切なカップルだった。

P402 の幹線道路上で、一番西に位置するカフェにはフェンスがあったので、そこの入りテントを張りたいと言うとOK してくれた。カフェでは、いつものメニューを食べる。いつものように酔っ払いが寄って来る。年配の恰幅のある人だった。ウォッカを飲めとしきりに勧められる。ウェートレスの様子を伺っていると、その人の指図で物事が動いていたので、経営者のようだった。注文してない物等を出してくれたので、ウォッカを一口頂いた。一口飲んだら収まったようだった。

カフェの中には個室があって、カフェの外側には24時間営業と書いてあったので、その部屋の中に寝ても構わないかとその人に聞いたが、それは駄目だった。すると個室に同席していた人は俺に1000ルーブル(約40ドル)出して、これでホテルに泊まりなさいと言ってくれた。でも、俺は既に70ドルと料金を聞いていて、不足分を出しても俺は朝早く出てしまうので、俺にはホテルの部屋は不要だったので、ありがたく断った。

食事の後は、先の酔っ払いがウェートレスに俺にコーヒーを出すように伝えてくれて、それを頂いた。大した金額ではないが、いつものように旅人の俺を持て成してくれる人がここにも居た。12時を回ってしまった。カフェの裏にテントを張って寝る。今日もよく走った。

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