2008年5月29日 (33日目)M53マーカー:384Km


夕べは早く寝たのだがテントを叩く音で起こされた。もう朝なのかと思ったら未だ暗く、小屋でビールを一杯勧めてくれた年配の男の人だった。酒を飲もうという誘いだった。ありがとう、と言った後で断ってまた直ぐに寝る。

朝は7時に目が覚めるが寒い。テントの中は10度位だが外は冷たかった。そしてテントの天井のフライには霜が付いていた。やはり5月末とは言えここはシベリアだ。もう直ぐ6月で短そうな夏も直ぐそこなのに朝晩は冷える。準備を終えて走り出すと8時半くらいになった。しかし不思議な事が起こった。風が南から吹いている。ラトビアまで風は向かい風だと思っていたが、やはり気圧によって南から吹くことがあったのだ。高気圧が通り過ぎたのか、低気圧の始まりと言う事だろう。



カフェは暫く無かった。やっと11時過ぎに見つける。600メートル先にカフェあり、との看板があった。しかし、そこには素っ気無い工事中の建物に「入り口」とだけサインが書かれていた。建物の奥を見てみると確かに入り口のドアがあり、開けてみると小奇麗なカフェだった。いつものボルシチ、玉子焼き、ご飯、紅茶で112ルーブル支払う。只、食事の前に手を洗ったのだが、洗面所の壁に取り付けられた小さな水のタンクには上から下が見えるようになっていて、その水の上にはボウフラの死骸が浮いていた。川の水を汲んできたのか、溜まり水なのかと一瞬思ったが気にはならなかった。

カフェの中は俺一人だったが、内装は繁盛していると思われる装いだった。食後、少しゆっくり休みたかったが、風向きが変わる前に少しでも先に進まねばと思いカフェを出る。カフェを出てみると未だ南風が吹いている。そして風は冷たくなかった。

旅行を始めて1ヶ月が過ぎたが、今まで蜜蜂を見たことが無かったと思うが、今日は何度も見た。昨日までの冷たい北風の為に昆虫を見ることが無かったのか、暖かくなったので皆一斉に出てきたのだろうか。今日の風は向きが時々変わった。風向きが変わったのか道の方角が変わっただけなのか分からない。正確分からないが、西風の時もあったと思う。そうだとすると高気圧の中を素早く通り過ぎてしまった事になるが、結局今日一日は暖かかった。午後は、半そでのTシャツ一枚で走りとおした。

途中の村で、一部は舗装されてない区間があったが、坂を登ると舗装に戻った。その区間だけ低地だったので水害の為に舗装されたないのだろうか。

しかし、今日まで砂利道を走ってもガラスの破片が沢山落ちている路肩を走ったりしたが、まだパンクが一度も無い。素晴らしいタイヤだ。少し高かったがインターネット上で推薦する人が多かったのでこのタイヤを選んだのだが正解だった。


夕食と言うか遅い昼食だったので、5時過ぎにに見つけたカフェに入った。ここでも客は誰も居なかったので躊躇ったが、この次のカフェがどこにあるか分からないので食事を取ることにした。ボルシチ、プローフ、玉子焼き、紅茶などを注文して135ルーブルを支払う。ボルシチとパンが最初に出てきた。その後に、プローフが来たので玉子焼きは、と聞くと理解できないロシア語の答えが帰ってきた。俺は肉は食べないと伝えると同時に、ボルシチの中に残された肉を見せると、納得したように玉子焼きを出してきてくれた。どうしてこんな結果になるのか理解に苦しむが、でも今思えばロシア語の分からない旅行者は困ったものだと思われたに違いない。申し訳なかったが、玉子焼きを後で出してくださった事には感謝だ。

今日は久しぶりに何人もの人に呼び止められた。一人のドライバは俺を二日前に見たという。一人はモスクワ近くまでトヨタのCarina を陸送する人。ある村では酒を一緒に飲もうと声を掛けられる。どこの国でも酔っ払いは陽気だ。自転車乗るのを止めて、ここに座って飲もうと誘ってくる。ありがたいことだが、笑って手を振って走り去る。

夕方は路肩に止められた車の横で休憩していた3人組に呼び止められる。母親と息子と友人と思われた。その人達からはトマト、キュウリ、大きなパン等を頂いた。もしその人達が近くに住んでいるのであれば、泊めて貰えないかと聞いたのだが、家は近くでは無いと言っていたので、お礼を言って分かれる。

先に進むとM53から少し離れた所にガソリンスタンドとその隣にはカフェがあり、その裏にでもテントを張れないかと一周するが、とても蚊が多く立ち止まっただけで無数の蚊が寄ってくる。それに線路も近かったので、諦めM53に戻りもう少し走る。すると道の南側にカフェが見えたので主人と思われる人にテントをフェンスの中に張りたいと言うとOK だったので、カフェで夕食をもう一度食べる。ボルシチ、ご飯、玉子焼き、キャベツのサラダ、紅茶などで156ルーブル支払う。

カフェの前には修理中のトラックが止まっている。トランスミッションを降ろして、修理を路上でしていている様子だが、部品が足りないのか途中で修理を中断しているように見えた。ふとパリダカのレース中、砂漠でエンジンのヘッドを外したHino のトラックの事を思い出した。どこでも同じだ。修理の必要がったらそうするしかない。


食事を済ませた後、テントを張ろうとしたら、さっきの主人と思われる人は、裏の小屋に泊まれば良いと言ってくれ、その小屋の中にベッドの様な台の上に寝ることが出来た。ロシアのビザの期限があるのでとりあえず急ぐ必要があり、テントを張るのは問題ないが片付けるのに時間が掛かるので嫌だった。だからこんな様に寝床を提供されると例えどんな所でも嬉しかった。

昨日から左手が痺れている。今日は夕べ程ではないが、昨日冷たい向かい風の為に走るのが精一杯でハンドルを握る場所を頻繁に変えなかったのが問題なのだろうか。

膝は相変わらず冷えると痛む。日本を発ってから一ヶ月、状況は変わってないと思う。とりあえずこのままで悪化しなければそれで良いと思う。

もう風呂に4日間入ってない。入りたいのだがどこに行ったらシャワーがあるのか分からない。今晩泊めて貰ったカフェの裏の建物にはバーニャは無いようだ。2重に履いているスウェットパンツは汗臭い。下に履いている黒のNorthface のスウェットパンツは何日も履いたが、日本を発ってから未だ一度も洗ってない。次の大きな都市のクラスノヤルスクに着いたら洗濯したい。

このカフェに居た4人の男の人は、自分がモスクワに向っていると言うと、この町がウラジオストックからモスクワまでの丁度中間だと教えてくれた。とすると、残り4500キロなのかもしれない。今日のように毎日100キロ進めば45日でモスクワだ。これから雨が多くなるはずなのでペースが落ちてしまうだろうけど、何とか50日位ではモスクワに行きたいところだ。天気を運に任せ頑張ろう。

今までに、こんなに風の向きを気にした事は無い。北米アメリカを横断した時は進行方向が東だったので気にならなかったのだろう。生まれ育った群馬県は空っ風が有名で、確かに冬に自転車に乗るのは辛いものがあったが、このシベリアでそんな過去を思い出すとは思わなかった。南の風という歌が無かったかと、ふと思うと松田聖子の歌にあったような気がした。好きでもない曲なのにどうして思い出すのだろう。

今日は沢山の昆虫を見たが、蜂が付きまとうように飛んでいく。まるで「あなたはどこへ行くの?」と話しかけてくれているようだった。そして道路工事の為にゆっくりと走っている大型車両のドライバは通り過ぎるときに軽くクラクションを鳴らして挨拶して行く。笑顔で手を振ったが、こんな事は今回の旅行中に一度も無かった。自転車に乗りながら笑顔になれなかった。冷たく吹く風と闘う自分には笑顔が無かったと思う。昨日までの冷たい風がもう吹かないことを願うばかり。モスクワが待っている。必ず行かなければ。

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