2008年5月25日 (29日目)M53、アンガースク・セルゲイ宅


朝は8時半くらいに起きたと思うが、二人とも寝ていたので静かにしていた。そして9時半くらいに二人が起きて、朝食にパンなどを頂いた。そして10時位に出る。別れる前に僅かだが300ルーブルを支払おうと思ったがエレーナは受け取らなかった。明日の月曜日に銀行に両替に行けば300ルーブルを今支払っても、今日は大丈夫だと思ったのだが要らないと言った。こんな僅かな金額だったら受け取らないほうが良いに決まっているのは分かる。でも少しでも受け取って欲しかった。それからインターネットを出来るように直したからといっても、俺もEメールをやったので、カーチャが買ってきた100ルーブルの券の全額を支払おうと思った。でもエレーナは最初それも要らないと言うが、後に半分を受け取ると言ったので、それでは少なすぎるので100ルーブルを無理やり渡した。



昨日は良い天気だったが、今日は曇っていた。雨が降りそうな気配だった。エレーナは、俺の運も尽きてしまったか等と悪い冗談を言ったが、雨が待っているかと思うと気が重い。イルクーツク(Иркутск)の町を出るのは容易だったが、M53の標識が見えない。北西に向えば良いのは分かっているが、標識を見るまで安心できなかった。一時間ほど町の坂を登ったり下ったりしたら幹線に出たのは良かったが、相変わらず冷たい向かい風が強い。4時半くらいに家族から電話が鳴る。電話の向こう側の長男ルイスに、今日はとても寒いと伝えると、ルイスは暖かいスープを届けられれば良いのに、と言う。思わず涙がこぼれそうになってしまった。恵子は体が一時不調で、血液検査の結果を見たある医者に直ぐに救急病院へ行くように、と留守番電話にメッセージが残っていた事に強い不満を抱いていたようで可哀想だったが、地球の反対側からは何もしてやれない。慰めるのが精一杯だった。でも、最後には頑張るから俺にも頑張って欲しいと言ってくれたので嬉しかった。風が冷たくなければもう少し話したのだが、林の中を吹き抜けていく風はもう直ぐ雪でも降るのではないかと思われうほど冷たかったので、じっとしていられず電話を切って直ぐに走り出す。

暫く走るとM53は分岐点に差し掛かった。左がクラスノヤルスク(Krasnoyask)
、右はアンガースク(Ангарск)に向っていた。どっちにしようか迷ったが右に進むと、M53の標識が見えた。そしてクラスノヤルスクの先のポールの住むノビシビルスク(Новосибирский)までの距離が記されていたので、間違って無いとその時は思った。ところが一向に出てくるはずの町が出てこない。あまりにも寒いのでガスステーションでお茶でも買えたらと思って入ったが、温かいお茶は無かった。仕方ないのでスニーカーというアメリカのブランドのキャラメルをチョコで包んだものを買って食べる。ガスステーションの屋根の下で一休みした後、走り出すがM53の標識が見えない。そしていつの間にか道路は酷い状態になり、とても幹線道路とは思えなかった。



(集中暖房用の温水が通るパイプ、直径は1メートルくらい。多くは発電所からの余熱を利用しているようだ)

そして鉄道の陸橋が見えたが、これを超えると北に向ってしまい、本来進むべきの西には向いそうにないので引き返す。信号が無い交差点の近くで地図を広げていると、少し離れた場所でホンダのバンから降りた婦人が手を振っているのが見えた。俺は神にすがるような気持ちで手を大きく振った。声が届く距離ではなかったので、自転車に跨りながら手を振って、俺は直ぐにそこに行くから待っていて欲しい、と大きく手を振った。近づいてからその婦人にはクラスノヤルスクに行きたいと伝えた。するとその婦人は、俺の自転車を車の中に入れたら良いと言う。分解すれば当然入るが、そのままでは入らない。仕方なく婦人は着いて来なさいと言ってくれる。

きっと1Km 位一緒に走ったと思う。その間、距離が開くと止まって俺のことを待っていてくれたり、他に自動車が走ってない時は、ゆっくりと走ってくれる。そして町に入り、これ以上一緒に走行するのは危険と思って、俺は合図のつもりで手を振るとその婦人は車を止めてくれた。別れる前にクラスノヤルスクへ向う道を書いてもらい、丁寧なお礼を言い別れる。見ず知らずの旅行者の為に時間を掛けて助けてくれる人がここにも居た。俺が住むロサンゼルスでは考えられないことだ。非常にありがたいことだった。

婦人と別れてから大きな交差点で左に行くか直進するか迷った。婦人の書いてくれた地図には書かれてない交差点だった。迷ったあげく直進すると、ある工事中の建物の前に立っていたある男の人が「Chinese(中国人)?」と英語で声を掛けてきた。俺は日本人だと英語で答えると、その人はこのレストランで食べて行きなさい、と言う。英語で食事は私からのプレゼントだからと言う。俺はお金は持っているがこのような高級レストランで食事するお金は無い、と伝えたかったが俺の英語は伝わらなかった。何度も何度もプレゼントだと同じ事を繰り返すので、甘えてレストランに入ることにした。日は落ちてなかったが、食事の後にテントを張る場所を探すのは苦労するかと思ったが、まあ何とかなるかとも思った。


(セルゲイと職員) (右の写真、厨房に居たリタ)

その男の人の名はセルゲイ。この中華レストランの経営者だと直ぐに分かった。あまりにも好意的だったので、何か嫌な事が起きては困ると思い、レストランの塀の内側に置いた自転車の事が気になった。すると女性の職員は、自転車を裏に移動しましょうと言うので、そのとおりに道から見えないところに移動できて少し気が楽になった。そんな俺の気持ちをセルゲイは悟ってか、携帯電話で誰かと英語で話し始めた。そして俺に電話を渡してきたので受け取って電話に出ると、電話からは日本語が聞こえた。大阪に住むセルゲイの知人、木村さんだった。

木村さんはセルゲイはとても良い人で安心できる人だと言う。そしてセルゲイが言うように食事をご馳走になったらいいと言う。それから木村さんは俺のことを気遣ってくれて、今晩泊まる所が決まってないのだったら、セルゲイの家に泊まったら良いと言う。セルゲイがそんな事を言うか分からないでしょう、と俺は言いたかったが木村さんは俺に、アンガースクに居る間は何でもしてもらったら良いと言ってくれた。木村さんとセルゲイは親友なのだろう。木村さんとの会話の後で、電話をセルゲイに渡すと二人の会話はあっというまに終わってしまった。何が起こっているのか分からない。どうして見ず知らずの人にこんな親切が出来るのだろう。いつものことだが、これは運が良いだけではない。運が良くて親切な人ばかりに出会っているのではない、と思う。何かある。でもそれが何かは俺には分からない。

レストランの若いウエイトレスは英語が分からないので、厨房から中国系と思われる婦人が出てきて、何を食べたいですかと英語で質問してきた。俺は肉が食べれないので肉以外の物だったら何でも構いませんと伝えると、中国語とロシア語で書かれたメニューを指差して数品を持ってきますとの事だった。その婦人はマネージャで、名前をリタと言った。最初にサラダと魚のスープを頂いた。飲み物としてグレープフルーツジュースを頂いた。それは久しぶりの味だった。酒以外では一番値の張るジュースだったかも知れない。


(レストランの中、左端の黒い服を着るのはセルゲイの娘マーシャ)

それから魚の入った主菜の皿が二皿出てきた。早い時間だったのでレストランには俺の以外居なかったが、食べ始めると数組の客が入ってきて、どの人も東洋人の俺に直ぐに気付いた。だが、その後の対応が以前と違った。今まで幹線道路沿いのカフェに俺が入ると、誰もが歓迎しているようには見えなかった。どちらかと言うと厄介なものを見るような目つきだった。隣のイルクーツク程の都会ではないが、この辺では東洋人を見かける事が珍しい事では無いのかとも思った。でもこのレストランの客は、明らかに場違いな服装をしている俺に対して、まるで俺が座っていることが何か嬉しいように思われた。そしてその人達の目は、先方から俺に挨拶をしてくるのではと思われるくらい優しいものだった。いずれにせよ、居心地は良かった。セルゲイが何と若いウエイトレスに伝えたか分からないが最高の歓迎をを受けた。

食事が終わると、セルゲイはまた電話を渡してきて、電話に出ると今度は日本に滞在中のセルゲイの奥さんが電話相手だった。セルゲイよりも英語が出来て、奥さんは今日は自分達の家の一つに泊まって下さいと言ってくれた。木村さんとセルゲイの奥さんと話が付いていたのだな思った。俺の自転車はレストランの中の奥の事務所の隣に入れて、洗面用具と着替えを持ってレストランを後にした。セルゲイは右ハンドルの三菱のパジェロの高級車に乗っていた。装備が整っているので日本でも相当な値打ちのある車だろうと思った。そして途中セルゲイはお店に寄って石鹸やら水やらを買ってきた。そこからセルゲイの家は遠くなかった。団地のようなところの中だった。普段であれば車であちこち連れて回られても東西感覚はあるのだが、暗闇の中でその上に右折左折と繰り返されたので自分の自転車のあるレストランの方角を失った。地図上ではアンガースクはそれ程大きくなかったが、自分にはイルクーツク以上に大きく感じられた。

セルゲイは自分を自宅に案内してくれると、さっき買ったばかりの水や石鹸を使って下さい、と言ってくれた。そして明朝は9時に迎えに来るからと言い残してどこかへ行ってしまった。多分、仕事に戻ったのであろうが、俺には理解できなかった。例え俺の自転車がレストランに残されていると言っても、値打ちのある物ではない。それに引き換え家の中は高級な家具や電気製品が沢山ある。人はどうしてこんなに俺を信用してくれるのか。どうしてこんなに親切にしてくれるのか。ありがたいことだった。

シャワーを浴びてから、洗濯できる物を洗って、ソファでテレビを見ていたら何時の間にか寝てしまった。11時くらいに大きなベッドに移り寝る。

春は間近なはずだ。しかしまだ寒い。こんなシベリアを自転車で進むのは楽ではない。しかし、沢山の人に親切にされると寒さなど感じる暇は無い。

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