夕べは特別に静かだった。民家が回りに少ない上に、天気も良かったのだろう。寝かせてもらった部屋はとても温かく、T シャツと毛布だけで寝られた。
ウラジオストックからキーロフスキーの町まで320キロの距離を5日間掛けて走った。一日はウスリースクで休んだので、平均すると一日80キロ走った事になる。
朝、セルゲイは朝食を食べなかった。俺は、夕べの残りのサラダとパン、そしてコーヒーなどを頂いた。8時半くらいになって、出発する。曇り空だったが、雨は降ってなかった。
セルゲイの車に自転車を乗せてもらい、M60の幹線に出たところで降ろしてもらった。セルゲイの家から自転車にのっても良かったが、夕べから降ろしてないので、セルゲイの好意に甘えた。
ある村の外れで、自転車を降りて押している青年を見つける。少年の自転車のクランクのネジが緩んでいた。俺の自転車の右前のパニアに入れてある工具を出して、ネジを締めてあげた。でも、ネジは締まっても完全に直らなかったが仕方ない。すると、バスが一台止まった。乗客の婦人一人を降ろすと、何故か運転手も降りてきた。そして色々は事を言っているが俺には分からない。ロシア語の会話集を見せて、何とか会話が出来たが、会話自体よりも、彼らはその会話集にとても興味を示し、本のあちこちを開いて眺めていた。
婦人はどこかへ歩いて行き、バスも立ち去った。俺は少年にこの辺に店が無いかと聞くと、この先にあると言う。俺は別れて先に進もうとしたら、少年は反対側から来たのに、俺と一緒の方向に進む。俺に店まで案内したいのだった。でも、俺は店に入るまで少年の本当の目的を知らなかった。感じ取れなかった。
俺はバナナ等とお菓子を買うと、少年は店番の婦人に何かを話していた。何を話したのか分からない。でも何故か俺にはこの少年は店の人に俺への請求を水増しして、その分を自分の買い物に割り当てるようにして欲しい、というようなことを言ったのではないかと聞こえた。そして店番の婦人はそれを一蹴したように思えた。(今、思うと、俺は人々に親切にされてここまでこれたのに、どうしてこんな事を思ったのだろう。自己嫌悪になってしまう。)
婦人はそろばんを弾いて、俺はそのとおりに支払った。店を出ると、少年はお金を欲しいと言って来た。最初は何を言っているのか分からなかったが、財布からお金を出す仕草から分かった。少年は全くお金を持ってなかった。俺はお金をあげずに、お菓子を分けて与えた。不満そうだったが仕方ない。お金が煙草か酒に替わるかと思ったからだ。
途中、何組かの若者に止められて話をする。皆、ローカルの人とは思えなかった。どちらかと言うと運転に疲れたし、自転車に乗る変わり者が居るから、止めてみようという感じだった。でも、俺はどんな理由でも停められて話掛けられることが嬉しかった。天気の優れない時には、一瞬の会話で気分が優れるのだった。
(右上:女性二人に囲まれた黒いジャケットのセルゲイとは、一週間後にハバロフスクで再会するのだった)
道路は相変わらずの登り下りが一日中続いて、相当な距離を走ったと思った。そして、あるマガジン(店)で食べ物を買って、その店の店員にこの辺でテントを張れないかと聞いた。店員は英語が分からなかったが、後から入ってきた若い女性が流暢な英語を話したので、その人に聞くと、店内に居た少年二人が俺の事を案内するから付いていくように、との事だった。
店の外にでると、その少年はさよならと言わんばかりに手を振って立ち去ろうとした。俺は慌てて、英語で呼び止めると、最初は面倒そうだったが、諦めて付いて来て、というような仕草だったので、後を付いていった。
M60を挟んで道の反対側に行くと、立ち入り禁止と書かれているような標識があったが、少年はそんなものは気にもせず、鎖をくぐってその土地に入っていってしまった。俺もそれに倣って進む。そして松の木の下に案内してもらい、俺もそこだったらテントを張っても問題なさそうだったので礼を言う。彼らと別れる前には写真を撮る。
まだ暗闇になるまで時間があったので、ベンチに座っていると、自動車にのった青年が現れた。青年は名はアレクサンダーと言った。自転車を建物の横に移動して、M60の道路から見て建物の裏側に移動した。
すると俺は初めてそこが空港だと言う事が分かった。滑走路は舗装されてなく、複葉機が何機か見える。そして風を知らせる旗は何と日本語のリポビタンの旗だった。誰がこの田舎の空港に持ってきたのか。誰かがこのダリネレチェンスクにこの地に。俺には不思議で仕方なかった。
(左上:左がキャプテンと思われる、右の白っぽいジャケットがアレクサンダー)
(オレンジのジャケットの人は実に陽気で、英単語を並べて色々話しかけてくれた)
(オレンジのジャケットの人は実に陽気で、英単語を並べて色々話しかけてくれた)
暫くするとアレクサンダーの仲間が数人集まり皆と話をする。そしてアレクサンダーは、その空港の建物の中に案内してくれた。そして直ぐにその建物の責任者ともキャプテンとも思われる人を紹介してくれた。身なりの整った、規律正しい軍人のような人だった。建物に入ると、アレクサンダーはお茶を入れてくれた。そしてキャプテンと思われる人は建物の中に自転車を入れた方が良いと言ってくれて、俺は自転車を階段の脇に置いた。屋外にテントを張っているが、自転車はその隣に置くつもりだったので、そこよりも断然安全だ。
そしてキャプテンと思われる人は、建物の中に格納された器材を見せてくれた。どうやらこの人達は森林警備隊と思われ、そのために屋外には複葉機があるのだろう。全ての器材はダッフルバッグに収められていて、何時でも出動できるように整っていた。そしてそれらの中にはパラシュートやボートも含まれていた。
このダリネレチェンスクは極東地方の真ん中くらいであるが、何故かサハリンへ出動した時の写真を見せてもらった。複葉機で海を越えてサハリンまで飛ぶとしたら、何回か給油しないと行けないような距離だと思う。
それから体力を鍛えるトレーニングルームも見せてもらった。お茶を飲み終わると、他のある職員と思われる人がビールを勧めてくれたので、一口頂いた。ビールの味はともかく、見ず知らずの俺を仲間の一人として扱ってくれ、職員の休憩室に入れて貰えた事がとても嬉しかった。9時半くらいになり、外は暗くなっていたのでテントに戻って寝る。
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