夕べ話をしていて、俺の膝の痛みを気遣ってくれたリタは家にあった塗り薬を出してくれて、俺は膝に塗って寝たのだったが、明晩も泊まったらと言ってくれたので甘える事にしたので、今日は休息の日となった。
今朝起きてみるとコンスタンティンは仕事に向うところで、リタも直に仕事に向った。残ったリタの娘さんのアリーナと俺は、アリーナが通った音楽学校に向う。
どうやら音楽学校の建物は普通の中学の校舎とは全く別のようだった。ロシアの学校がどんな仕組みになっているのか分からない。その建物の中にはまるでアメリカの大学のように、ピアノの先生の教室、バイオリンの先生の教室、等と先生別に別れていた。
(左上:音楽教室の建物の入り口に掲げられた看板)
(右上:音楽の教師陣と、右端がリタの娘さんアリーナ)
(右上:音楽の教師陣と、右端がリタの娘さんアリーナ)
生徒はどうみても10代前半だ。これがロシア風の英才教育なのかと思った。その建物には10数個の小部屋があって、日本の中学のように全員が一つの音楽教室に集まって同じものを習うものとは全く種の異なるものだ。恐らくマンツーマンの教育だ。先生方は全員が女性だった。音楽学校を後にしたが、今日の夕方に演奏会があるというので戻ってくる、とアリーナは言う。
そしてリタの事務所に行くと、地元テレビ局のインタビューがあるというので、それを待つ間俺はリタの事務所のコンピュータを借りてEメールを確認した。インタビューにはインタビューワーとカメラマンが来た。ウスリースクの時と同じだ。インタビューでは、今までロシアで受けて質問と同じような質問だった。リタとアリーナが通訳になってくれた。
その後、リタとアリーナと3人で別の学校に行く。演劇の学校だった。そこの先生(演劇学校の校長?)は数年前に富山まで行ったことがあり、その時の記念の盾や新聞記事などを見せてくれた。この時に俺は初めて「プーシキン」というロシアを代表する詩人の名前を耳にする。その先生は、冗談のように「プーシキンを知らずによくロシアに来れた!」というような事を言っていた。「ロシアを自転車で横断しようとしている男にそんな教養があると思うか」と俺は言いたかった。
(左上:演劇学校の校長?、リタ、見習い教師?、リタの長女・アリーナ)
先生の部屋を出ると、舞台のある小さな劇場に案内され、そこでは中学生位の子供が練習をしていた。俺が部屋に入るなり、全員が不意の来客に驚き練習が止まる。先の校長と思われる先生が俺の事を紹介してくれて、皆並んで記念撮影をさせて貰った。演劇の先生は背が低く生徒と同じ位だった。圧倒的に女子が多く、殆どの子供が痩せている。そして先生の指示で練習と思われる寸劇を演じてくれた。言葉が分からないのが残念だが、みな熱心に演じてくれた。
その次に英語のクラスに入る。俺からスピーチを申し出たわけではないが、事前にリタが学校の先生に連絡していて、英語を習う事の大事さを子供に伝えて欲しいとの事だった。英語の先生は俺を紹介してくれて、15分位だっただろうか英語でスピーチをした。先ずはどうして自転車に乗って旅行しているか、誰もが興味ありそうな話題にした。普段のスピーチだったら恥をかかない様に内容を十分に吟味するところであるが、聞き手は子供だったので、思いつくように話をした。
生徒一人一人の目を見ながら話すと、ベルが鳴ってあっという間に授業の時間が終わってしまった。でも誰一人として席を立とうとする生徒は居なかったので嬉しかった。俺の話に全員が聞き入ってくれていた。礼儀正しい優秀な生徒の集まりなのか、俺の話が面白かったのか分からないが、英語の勉強が如何に大事かと言う事は伝わったと思う。ここでも記念写真を撮らせて貰った。
(追記:後で分かったのだが、左上の写真の中でピンクの服を着たメガネの女の子の姉二人に、この数日後に向うハバロフスクで大変お世話になる。)
その後は工作のクラスを覗かせてもらうと、小さい子のクラスでは、先生が折り紙を見せてくれた。子供の作った折り紙も、先生が作った折り紙も見事な物が沢山あった。折り紙の教室の後は、絵画の教室に行く。ここも人数が少ない。どうなカリキュラムになっているのか不思議だ。
アリーナはその後、この町ルチェゴルスクの中央に位置する劇場に連れて行ってくれた。そこではアリーナと同級生達が演劇の練習をしていた。舞台の真ん前で練習の様子を見ていたが、迂闊にも居眠りしてしまった。アリーナは途中で、家に帰って休みましょう、と言ってくれ、我々は家に歩いて戻った。音楽学校も他の学校も全てが歩いて行けるほどの距離だった。
(左上:アリーナ、リタ、絵画クラスの生徒3人) (右上:劇場前に立つアリーナ)
家で少し昼寝をさせて貰った。気が付くとアリーナの友人が遊びに来ていた。そして3人で演奏会の為に音楽学校の行くのだったが、途中でサンボと呼ばれる柔道に似た運動をしている道場によって練習を見せてもらった。サンボは柔道とレスリングのようなものだった。前プーチン大統領は柔道の有段者ということもあって、この手のスポーツが盛んなのだろう。
(左上:左端の女性がサンボの教師)
サンボの道場を後にして、アリーナとその友人と俺の3人は演奏会の会場に急いだ。音楽学校の建物に入って、昨日も入れてもらった大き目の部屋に入ると、中には150人位の人が演奏会が始まるのを待っていた。我々3人の席は用意されていたので、そこに並んで座った。前列から2列目だった。
(左上:深い赤い色のドレスを着た音楽学校の校長?の司会で演奏会が始まる)
昨日会った女性の先生は、挨拶して演奏会の司会を務める。合唱団から始まって、その後、アコーディオンのようなバイヤンのような楽器の演奏が続く。そして、町の長老と思われる男性が貴賓として紹介され挨拶をする。長老が席に着くと、ここで不思議な事が起こった。
(左上:町の長老の挨拶の後、俺が紹介された)
司会の先生は、俺の名前を呼んだ。何が起こっているのか分からない。どうして俺の名前が出るのか。アリーナは小声で「あなたはお客様です」と教えてくれる。驚いて席を立ってお辞儀をする。何とも嬉しい瞬間だった。
今回の演奏会の出演者の一人と思われる可愛い10歳くらいの女の子からギフトも受け取った。俺は町の長老の次に紹介され、まるで貴賓のように招待された。道理で我々の席が確保されていて、前から2列目の席だったのだ。英語で「演奏会に招待して頂き光栄です」と一言挨拶した。俺の後にも沢山の貴賓が紹介され、2番目という順序からして、俺への敬意が感じられた。リタの計らいであろうがとしても嬉しい事だった。
演奏会は、独奏や少数人のグループと色々な演奏があった。今までに見た事の無いような楽器も幾つか登場した。恐らくロシア独特も楽器なのであろう。(追記:アコーディオンのような楽器はバイヤンだったようだ)
演奏会は2時間位続いた。俺はアリーナに演奏会の前に、俺の知っているロシア民謡を演奏して貰えないかと聞いてみたが、それは難しいだろう、との事だった。アメリカだったらリクエストをしていたかも知れないが、ここロシアだ。
ロシアをサイクリングしてまだ一週間だが俺のロシア人の印象は様々で、運転のマナーの悪さからすれば無礼で行儀悪く思える。しかし、泊めて下さった方々の行動や言動は実に礼儀正しく親切な人ばかりだった。そんな人達の事を考えると、演奏会の流れを変えるのは無礼と思い、リクエストするのは留まった。そして、俺の知っているロシア民謡の一曲でも演奏されるかと願ったが、残念ながら無かった。それは残念な事であったが、演奏会が終わって、何人かの英語が出来る人が寄って来て話ができた事は嬉しかった。音楽学校の建物の外に出ると、ある婦人から娘さんと一緒に写真を、と頼まれる。俺の事を有名人と勘違いしているようであったが、これも嬉しい事であった。
音楽学校を出て、アリーナと友人と俺はアリーナの家に戻る。リタとコンスタンティンが戻り、みんなで食事を頂いた。何とも良い一日だったか。とても良い休日だった。
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