2008年5月23日 (27日目)イルクーツク・エレーナ宅


俺は誰かがバスをノックする前に目が覚めていた。昨晩はバスの座席のクッションは簡単に移動してしまい、寝ている間に何度も目が覚めてしまった。只、テントの中で寝るより遥かに暖かく寝心地も良かった。バスをノックする音で、ポールと初老のドライバが目を覚ます。外に出てみると朝日が昇ったところだった。

俺は自分の自転車がポールのトラックの荷台に残っているか気になって仕方なかったので、真っ先に確認すると何事も無かくホッとする。他のバスのドライバはコーヒーを沸かしたりしていて、ポールが誰かから貰ったコーヒーを少し飲ませて貰った。




そして、それぞれエンジンを暖めて、昨日のようにバスは快調に飛ばす。俺はポールのトラックに乗せて貰い、ポールは先頭を走った。途中バイカル湖の西側でポールはトラックを止めて燃料を補給する。その間、俺は店の中でピロシキとドーナッツのようなものを朝食にと買ってトラックに戻る。ポールも食べるかと思って買ったのだが、ポールは要らないという。




それから暫く走って、小さな村のカフェの前に仲間のバスに並んでポールはトラックを止めた。朝食の為に止まったと思ったのだが、15分くらい止まっただけで、また走り出してしまった。ポールは今度は一番後ろに付いて走った。途中、一部舗装されてない部分があった。それから外は意外と寒いようで風花が舞っている所もあった。要は、バイカル湖の東側も西側も未だ冬と言う事だ。


イルクーツクまで10キロとの標識が見える。そして隣接した町並みが続いた。そして丘の上に並んだ団地の様な建物が見えたので、ポールに自分はこの辺で降りて自転車に乗ると伝えると、直ぐに止まって降ろしてくれた。ありがとう。ポールはノボシビルスクに来たら電話してくれ、と言ってくれた。泊めてくれるような事を言っていたので、着いたら電話してみようと思う。

ポールのトラックを降りてからエレーナに家はどの辺なのかSMS で聞く。返事を待つ間、汚れた自転車を掃除することにした。特に風で雨とチェーンが砂まみれで酷く汚れていた。一時間以上エレーナから返事がないので電話してみると、地図を買ってから近くの人に道を聞いて欲しいとの事だった。何人かの人に住所を尋ねると親切に教えてくれる人も居れば、あっち、と指差すだけの人も居た。バス停の近くのキオスクで地図を買うと200ルーブルだった。1日しか必要の無い地図だったが仕方ない。そしてその地図を広げてみていると、若いカップルが近づいてきて、親切に道順を教えてくれた。この時も英語を話すのは女性だった。若い男性は道が分かるが英語が話せない。若い女性は道が分からないので、二人は一生懸命に説明してくれた。その後、道を何度も何度も確認しながら進む。

そしてエレーナが住むアパートが見つかった。5階建ての建物の最上階だった。エレベータは無い。一度、自転車をそこまで持ち上げて、間違っていたら嫌なのでエレーナに電話したら、電話の残高がなくなってしまった。でも、ラッキーなことに近くの店で電話会社MTS の150ルーブル券を買うことが出来た。そしてエレーナに電話すると、確かに最上階だと確認できた。電話の後、階段を自転車と一緒に登って今晩泊めて貰う家に着いた。




家にはエレーナの娘、カーチャさんが一人留守番をしていた。家に入ると直ぐに紅茶を入れてくれた。そしてシャワーも浴びせてもらった。そしてカーチャには友人が遊びに来て、俺も一緒にクッキーやパンを頂いた。その後、二人は遊びに出かけ、俺は日記を書くことにした。暫くしてカーチャが戻ってくるjavascript:void(0)と、夕食に卵焼きなどを作ってくれた。その後、エレーナから電話があり、家に戻るのが少し遅れるので、カーチャと一緒に自分が泊まっている間の食料を買って来たらという事だった。昼過ぎにMTSのカードを買った店の向かいで、パスタや卵を買った。バイカル湖畔で買った魚の燻製は不評だった。エレーナ曰くこれらの魚は酒の肴として食べるものだと言っていた。その言葉に、エレーナは酒を飲まないのかと感じられた。ロシア人男性には酒飲みが多いが、女性は自分から飲みたくない、と思われる人が多かった。


ふと思うと、今日でアメリカを発って一ヶ月になる。実に色々な事があった。あと5ヶ月もしないうちにポルトガルだ。ロシアのビザはあと2ヶ月なので、それまでロシアを出ないといけない。頑張ろう。

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