午後3時くらいに成田空港に着陸する。天気は良くなかった。そして機内のアナウンスは、天候のために離陸出来ない飛行機が留まっているので20分くらい待機するとこの事だったが、実際にはそれよりも早く降機できた。
移民局の審査は簡単で、その後は通関のために自分の荷物、自転車の袋を待つ。同じ飛行機で到着した他の客は荷物をターンテーブルから拾い上げていたが、自分の自転車は永い事出てこなかった。暫くすると係員がカートに自分の自転車の袋を乗せて持ってきてくれた。
自転車のハンドルと同じ幅の比較的小さなバッグは機内に持ち込んだ。自転車は前後車輪を外してキャンバス地の大きな袋に、他の荷物はダンボール1箱に詰めてチェックインの際に預けていた。全ての荷物が整い、通関の列に進む。通関の職員には荷物は自転車かと聞かれ、そのとおりだと答えると、それ以上の質問は無く、簡単に通関が終わり一般人の待つ通路に出られた。
通路に出てみると、自転車をカートに乗せて運んできてくれた係員が居たので自分の荷物を宅配便で送りたいのだけど何処で扱っているか質問をする。すると初老の係員は、このビルの反対側だと教えてくれた。カートに自転車と大きな段ボール箱を乗せ、宅配業者が並ぶ窓口に近づくと、ヤマト運輸の係員が先方から近づいて来た。自分の自転車を宅配便で送りたいと伝えると、日本を出国の際にヤマト運輸を利用したかと聞かれた。しかしその職員は俺の返事を待つ前に、他の業者、佐川さんに当たって下さいと自分で言った。都合の良い仕事しかしないのはこの世の常なのか。日本もアメリカも同じだと思った。
ロスを発つ前に自転車の運送方法はインターネットで調べていた。本来は東京から富山の高岡までの夜行バスに荷物として預けようとしたのだが、どこのバス会社も輪行自転車は預かってくれなかった。仕方ないので宅配便を探すとANA のウエブサイトに自転車の大きさの荷物でも扱うとの事だった。そして佐川急便の窓口では自転車を快く受け取ってくれた。佐川急便はANA の代理店だったのだ。
自転車だけを送って、大きな段ボール箱は自分で運ぼうと思ったが、足でまといになるのは分かっていたので段ボール箱も送ることにした。
荷物を預けると身軽になった。そしてJRの緑の窓口に行き、東京駅までの切符を買い、直ぐに電車に乗り込んだ。しかし、席に付いてから従兄弟の留美ちゃんと会う約束事をプリントした紙を佐川急便のカウンターに置いてきてしまった事に気付く。荷物を電車の棚から降ろして、電車を直ぐに降りた。でも、次の東京駅行きの電車はきっと30分後だと思ったので、仕方なくまた電車に戻った。彼女の電話番号が分からない。待ち合わせ場所も覚えてない。
しかし、幸運にも座った席の向かいの席の男性に携帯電話を借りることが出来た。電話を電車の中でしている人は居ない。しかし、俺は待ち合わせの時間に遅れるのは確実で、少なくとも待ち合わせ場所の確認だけでもしたかった。携帯を借りるが、どのボタンを押したら電話できるのか電話の仕方が分からない。仕方ないので、男性に佐川急便のカウンターで引き換えに貰った紙を見せて電話して頂いた。そして成田空港のカウンターには未だ俺の忘れた紙が残っていたので、その中の待ち合わせ場所を教えてもらい、その紙は荷物と一緒に送ってもらう事にした。
そして東京駅に降りて、待ち合わせ場所の銀の鈴に向う。30年も前は東京駅の出口くらいどこが何か分かったが、しかしもう何も分からない。方向感覚だけは自信があるが、建物の中ではどこが何か皆目見当が付かない。東京駅は俺にとってニューヨークのセントラルステーションのように何も分からなかった。制服を着た駅員に銀の鈴の場所を聞くと、駅員も正確には答えられず手帳を取り出して、丁寧に教えて貰えた。
予定よりも30分遅れて留美ちゃんに会うことが出来た。遅れて申し訳なかったが、微笑んでくれた。勤めと勉強と忙しい日課の中、俺の門出を祝う為に時間を割いてくれて嬉しかった。大丸デパートの12階にレストランが沢山ある、と言うのでそこの京風レストランに入る。叔母と留美ちゃんの弟、泰君が合流する。叔母には中学を卒業して工専に入った時からずっとお世話になっていたので、叔母と言うよりも姉に近い存在だった。この旅を生きて帰ってこれたら良いが、もしかしたら叔母に会うのは最後かも知れないと思うと会えて本当に嬉しかった。留美ちゃんは新しく始まる講座の件で、ミーティングがあるようでまた戻ると言って去ってしまった。
食事の後は、泰君の案内で本屋を探す。俺は3ヶ月をロシアで過ごすのにロシア語の勉強を何もしてない。おまけにドイツ語もフランス語も分からない。会話集の本が欲しかった。昔だったら八重洲口の出口にあった本屋も、今の俺には見つけられなかった。何件か小さな本屋を当たったが、JTBの出版する六ヶ国語会話集は見つけられなかった。仕方ないのでロシア語だけの会話集を買う。
俺が利用する夜行バスの出発時間の23時には未だ時間があったので、地下街のコーヒーショップで休む。俺は叔母達に会えれば良かったのだが、バスを見送ってくれると言う。幸いにも泰君が車を運転して叔母を連れて来てくれたので、叔母には特別大きな負担では無いだろうと願った。暫くすると留美ちゃんも戻って来てくれて、叔母の健康の事や、親戚の話を聞く。
22時を回り、夜行バスの集合場所に向う。最初、幾つかのバスが停まっていたが、どれも俺の予約したバスではない。泰君はあちこちを探してくれて、角を回ったところにホットドッグというバス会社の係員らしき人を見つけてくれた。係員にはプリントされた紙を見せることになっていたが、そんな紙は無い。成田空港の佐川急便のカウンターに忘れてきた。でも、係員は結構です、と俺の名前だけを聞いて受け付けてくれた。
叔母達に別れの時間が来た。俺は、俺の不安そうな顔を微塵も見せたくなかった。本当なら、もう会えなくなるかも知れないので、横浜に住んだ5年間、叔母には色々と御世話になった事を伝えたかったが、言ったら涙がこぼれそうで、結局何も言えなかった。只、見送りに来てくれてありがとう、と伝えた。バスが出て3人に手を振る。3人が見えなくなる頃、俺の涙は止まらなかった。ロスから成田までの飛行機の中でも涙がよくこぼれた。どうして俺はこんなにナイーブになってしまったのか。自分の望みどおりの旅に発つのに何が悲しいのか分からない。何としてでも生きて帰ってこないといけない。叔母にありがとうと伝える必要が俺にはある。
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