2008年5月15日 (19日目)チタ ( Чита́ )、セルゲイ宅


目が覚めると外は靄がかかっている。寒いシベリアの大地は日を浴びて息を吐いているように見える。恐らく外は5度以下だろう。

夕べ、セルゲイと父親は途中の駅で降りていった。電話番号を貰っている。セルゲイはしきりに自宅に寄って行け、と言っていたがチタで俺が電車をおりたら逆戻りしないといけないので無理な事だった。そしてセルゲイは俺のオレンジ色のジャケットが特に気に入ったようで、動物の毛の付いた上等そうな帽子と交換してくれと言う。この帽子だったらどんな寒くても大丈夫、ってな事を言っていたと思う。しかし、俺には帽子は不要で、ジャケットが無くなったらそれは問題だった。

執拗に迫られたが、オレンジ色のジャケットは道路上で目立つので、俺にはこれが必要なんだと身振り手振りで伝えると、最後は諦めてくれた。値段からしたら恐らく10倍位の差があったと思う。セルゲイも父親も高価そうな毛皮のジャケットを着ていたが、こんな派手な色のジャケットを見たことが無かったのかも知れない。

セルゲイたちが降りた駅はどこか分からない。外は真っ暗闇だった。父親は恐らく工事関係の仕事をしているのだと思った。ロシア製のトラック会社カマズ(КАМАЗ)の事を話したら、あんなトラックはトラックでは無い、っていうような事を言っていた。カマズの品質が一般人にも知れ渡っているとは思えないので、俺は勝手に工事関係の仕事に付いているのではないかと思った。

カマズのトラックは確かに故障が多いように思える。幹線道路脇に止められたトラックの多くがカマズだった。でも、輸入されたトラックの数と比べるとカマズのトラックは遥かに多いはずなので、何とも言えない。それにパリダカールのレースではトラック部門で何回も優勝しているそうだ。(追記:後日、カマズの本社のある都市ナベレジヌイェ・チェルヌイ、Набережные Челныを通る。場所はウファとカザンの中間。)

とにかく不思議な親子だった。ハバロフスクとチタの区間はその昔流刑に処された犯罪者が多く住んでいた土地だそうで、どうしてこんな裕福そうに見える親子がそんな所に住んでいるのか。もしかしたら道路工事業を営んでいるのか、と想像は膨らんだ。昨晩のセルゲイの父親は酷く酔っていたが、電車を降りる時には凛々しい紳士に戻っていて、力強い握手をして別れた。

その後、俺は電車に揺られるままに寝る。それから数時間寝てしまったのだと思う。そろそろ電車を降りる時間かと思って身支度を終えると、それから未だ2時間もある事が分かり、何もする事がなくなってしまった。女性の車掌は、俺が何度も時刻表を見に行ったから気付いたようで、「降りる駅になったら教えるから待ってて下さい」というような事を言ってくれた。笑顔を見せなかった彼女だったが、こんな些細な事で急に優しい女性に思えてしまった。


(右上:俺の乗った9号車の車掌の二人、昼夜交代の勤務のようだ)

俺はこれで電車の中で二晩を過ごしたことになる。下車まで時間が余ってしまったので、となりのセクションで座っていたら、ハバロフスクに着くまでに何回も受けた同じ質問をその人達からも受けた。そしてこの人達は皆モスクワに行くなら、このまま電車で行けば良い、というような事を言っている。どうして自転車に乗るんだ? 日本のマシーナ(машина、エンジン、自動車)は優秀なんだから、マシーナで行ったほうが良いんじゃないか、ってな事を言っていたのだと思う。

線路は山間部を進む。そして高度が少し下がったのか、家々の庭にある暖房用に蓄えられた薪が少なくなってきたのが分かった。若しかしたら街に近いので集中温水が張り巡らされているのかもしれないと思ったが、いつもの大きなパイプが見当たらない。

今は軍事基地の横を通ったところだ。その昔、外人の乗った列車だったらカーテンがそんな光景を遮っていたに違いない所だ。兵器車両が沢山見えた。そして、その直後にロシアで初めてハウス栽培用のビニールの被せられたものを見つけた。



そして電車は暫く進む。住宅が沢山見えてきた頃には電車は徐行を始めた。俺が下車するチタの街に入った。電車がチタの駅で直ぐに出てしまうとは思わなかったが、俺は自転車を一番上の棚から下ろし、ベッドとしてそしてソファとして座っていた下からパニアの全てを取り出した。

アパートのような集合住宅も、集中温水のパイプも見え出した。そして車掌は俺の事を忘れずに居てくれた。俺が準備万端なのを見て、一言「次ですよ」と言ってくれたのだと思う。


(右上:左に座る老人とはハバロフスクから二日間一緒だった。)

チタ(Чита)では結構な数の人が降りたと思う。俺は荷物が多いので、何回も乗り降りを覚悟していたら、自分の向かいに座っていた老人が手伝ってくれた。最後に老人の名前をノートに書いて貰ったが読めず、聞いた名前もうまく復唱できず大変な失礼をしてしまった。

電車を降りた横で自転車を組み立て始める。電車は俺が降りてからも20分くらい停車して居たが、静かにホームを出て行った。列車の中にその老人が俺の事を見ていたのが分かったので大きく手を振る。夜の女性の車掌に代わって別の車掌も手を振ってくれていた。朝晩の挨拶さえまともに出来なかったが、何も問題が無かったのは彼女達のお陰だ。二日間ありがとう。

自転車は1時間ほどで組み終えた。途中でセルゲイに電話してみると繋がったので、自分がチタの駅に着いた事を伝えると、午後6時に駅の前の噴水の所で待ち合わせする事になった。横で電話を聞いていたモンゴル人と思われる人は、着いて来なさい、と言うので付いていくと、そこは駅の正面で噴水があった。俺とセルゲイの会話を理解していたのだった。俺にはこんな些細な事が泪が出るほど嬉しかった。

(左上:チタの駅前、噴水前)

セルゲイとは CouchSurfing.com を通して知り合った。ウラジオストックのエフジェニア、ハバロフスクのユーリヤ達と同じメンバーだ。俺はロスを発つ前にセルゲイとは何度かメールでやり取りをした。俺はロシアでキャンプで夜を明かす事がどんな事なのか、そしてキャンプ用のストーブの燃料として何が適切か等とアドバイスを貰っていた。

午前11時半位だっただろうか、近くに居た学生を捕まえて英語で話をすると、鉄道関係の高校生だと分かった。学校の門の守衛に、自転車を学校の敷地内に入れても良いかと聞くと、最初は駄目だと言っていたが、俺が粘ったわけでも無いのに何故か入りなさい、というような感じになったので、俺は敷地内に入れてもらえて、休憩時間に集まった学生に英語で語りかけた。

男子生徒は引っ込み思案ぎみに俺を避けていたが、女子生徒は実に積極的というか沢山集まってきて、「名前は? どこから? どこへ行くの?」といった質問に加え、中にはいきなり「わたしはあなたが好きです!」なんて言い出す女子高生も居た。俺の事をからかっている。でも英語が分かってないのか、ロシア語を英訳したらそんな極端な言葉になるのか、俺にはさっぱり分からない。

生徒に俺は英語のクラスでスピーチしたい、と伝えたと思った。生徒の数人が校舎に戻り、女性の先生が校舎から出てきた。金髪の恰幅の良い英語の先生だった。最初、俺はこの先生と話をしたら教室に行って英語の勉強の大切さをスピーチ出来るのだろう思った。しかし15分もすると「ではさようなら」となってしまった。

いきなりカリキュラムを変えるの無理だったのか、旅行者の俺を教室に入れるのが問題だったのか分からない。クラスルームではなかったのが残念だが、30人くらいの生徒がその先生と俺との会話に生徒は耳を傾けていたのでそれで良しとした。英語が出来ると、俺みたいな旅行者との話が出来る事の楽しさは伝わったと思う。

学校を出る前に生徒にインターネットカフェが近くにあるかと聞くと、500メートルも進むとあると言うのでその方向に行ってみたが、見つけることは出来なかった。

俺はインターネットカフェで時間が潰せたらと思ったが、諦めて駅に戻る。途中、出店でピロシキを買って昼食とした。駅の外は風が冷たくとてもそこで待てる状態ではなかったので、近くの別の建物に入って約束の時間が来るのを待った。

自転車をその建物の中に入れたが、特に誰も文句を言う人は居ない。そして沢山の椅子があって、それはそこでロシア語会話集を見たり、地球の歩き方のロシア編を読んだりしたが、長続きはしなかった。二日間の列車の旅に疲れていたわけではないのに、何故か何もする気にならなかった。


(左上:レーニンの銅像) (右上:セルゲイの自宅にて)

チタの街は乾燥していた。風が強く、常に砂埃が舞っていた。そしてここにもレーニンの銅像がある。その広場は特に広かった。

5時まで駅の待合室で待っていて、それからは寒かったがセルゲイを噴水前で待った。セルゲイは6時過ぎに現れ、自宅まで歩いて10分くらいの距離だった。集合住宅の中で、ここでも自転車を持ち上げて階段を登った。

セルゲイは母親と二人で生活していて、母親は病気という理由で一晩だけだったら問題ないだろうと俺を泊める約束をしてくれた。

夕飯の前にインターネットを使わせてもらい、メールを幾つか返信して、セルゲイが作ってくれた夕飯の後は、溜まっていた写真のアップロードを行った。セルゲイはコンピュータの仕事をしているとの事だったが、給料は月に400ドル位だと言っていた。安すぎる。でも、地方都市のチタでは平均的な給料だと言っていた。

セルゲイは日本のアニメに特に興味があるようで、コンピュータの残されている沢山のアニメを見せてくれた。セルゲイは日本に行きたいようだが、ビザの問題もあるし、宿泊代が高すぎるので難しいだろうと言っていた。

外は寒そうだったが、今日もこうやって屋根の下で寝る事が出来た。有難い事だ。セルゲイに感謝。

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