2008年5月19日 (23日目)




夕べはテントの中で寝たが、寝返りを打つたびに左膝が非常に痛んだ。でも、朝起きてみると昨晩のような痛みは無かった。テントを片付けて、朝食にはボルシチスープ、パン、紅茶で50ルーブルを支払った。

干していた洗濯物を取り込んで、発つ前にレストラン内で4人の写真を撮ってそれから経つことになったのだが、実は朝ニーナが泣いているのを見てしまった。当然、理由を聞けるわけが無かったが、自分は両手を開いてどうしたんだと、ジェスチャーするのが精一杯だった。そして最後にレストランを出る時にニーナは、ハラショーと言っていたので大丈夫なのであろう。走り出す。

殆どの水は全て飲み干していたので村を見つけたら水を買おうと思っていたが、村らしい村が見つからず、途中二つの村を見つけたが店の看板が見つからなかったので先に進むと、遂に水を飲み干してしまった。仕方ないので走り去る車を止めて水を貰う事にした。すると一団の最後の車が止まってくれたので、水を少し欲しいと言うと、その人の飲みかけのボトルごと差し出してくれた。少し色の黒い中近東系の人だと思った。炭酸入りの水だったがありがたかった。


しかし、険しい登り坂と下り坂は相変わらず続いて、その炭酸入りの水も少なくなってしまい、また行き交う車を再度止めることにした。今度はNissan のMarch をモスクワまで届けるという人が、大きな水のボトルから俺のボトルに水を注いでくれた。少し貰えればよかったので、俺は途中でボトルを上げて注ぐのを止めて貰おうとした。するとその人は構わないよと言わんばかりに沢山注いでくれた。おまけに良いにおいのする木の枝もくれた。その枝の切れ端をボトルの中に入れると、以前どこかで飲んだ紅茶のような味だった。( 随分後で分かったのだが、ロシアで売られているボトル飲料水のラベルに描かれている枝だった。) その人は、20cmくらいの半径の円を描くように木の枝を丸めてもっていた。きっとロシア極東地方にしかない木の枝なのだろうと思った。


Kmマーカは310Km になっていたが、次の村が出てこない。途中ベリョーザ(白樺)が焼けて朽ち果てる音が聞こえた。そして実際に木から煙が上がっているのが見えた。果たしてこの森林火災は毎年の事なのか今年だけの事なのか分からないが、数キロ先が霞んで見えないほどひどい煙だった。



やっとазс(アゼス、ガソリンステーション)の看板が見えた時は嬉しかった。その向かいの野原には複葉機が一機止まっていた。ウラジオストックの北のダーリエンチェンスクの空港のようだったので、そこで夜を明かせないか考えた。というのは、夕方になってしまい、小雨が降り出したので今日は走るのを止めたかった。



AZCで水を買おうと思ってキャッシャーに近づいたが、水のボトルの写真ははってあるが金額は書いてなかった。キャッシャーに水が欲しいことを伝えるがうまく伝わらなかったのか、先方の返事が分からないので半分諦めていると、別の若い女性が1リットルの水を差し伸べてくれた。恐らくある程度のガソリン購入者に対してのサービス品であったのであろう。いくらサービス品であったとしても、とても嬉しかった。俺にとっては命の水に変わりない。

しばらくAZC の軒下で雨を凌いだが、雨は止む気配が無かった。とりあえず今日の昼は村が見つからず、持っていたインスタント麺を生で食べて終わってしまったのでAZCの隣のカフェに入ることにした。入り口に自転車を入れて、いつものようにボルシチ、プローフ(ウズデキスタン料理、炊き込みご飯)、紅茶、パンを注文して155ルーブルを支払った。ところがキャッシャーに居た中近東系風の男の人は150ルーブルだけを取った。食事は俺が手を洗っている間に自分のテーブルに出されていた。食事を済ませ、紅茶の湯のお替りを貰い、外の様子を伺うが小雨は続いていた。空港までは数百メートル離れているし、そこまで行って追い返されない保証は何も無い。


レストランのキャッシャーの男の人に、レストランの横の空き地にテントを張っても良いか、と聞くと快くOK してくれた。テントを具体的にどこに張るか場所を定めようと思い、小雨の降る外に出てみた。すると工事の途中の屋根と骨格だけの建物があったので、その下にテントを張っても良いかと聞くとその人はこれも快くOKしてくれた。俺には欲が出て、カフェの入り口近くの階段の下に寝ても良いかと聞くと、今度はニエット。そこは駄目だと言った。でも、屋根に下なら雨に濡れる心配は無い。



しかし、しばらくするとその男の人は使用人を呼んで俺をその使用人の後に付いて行きなさいという。付いて行くとレストランの裏側に連れて行かれ、従業員の宿舎と思われる家が幾つか見えた。そしてその使用人はある小さなドアを開けて、この中で寝なさいと言ってくれた。そこはボイラーの部屋で、綺麗ではなかったが、レストランの裏側で、風も雨からも完全に遮断される部屋だったので嬉しかった。テントの中よりも100倍良い。ありがとう。18歳の夏、サイクリングで富士五湖へ行った時、河口湖の湖畔のホテルのボイラー室に泊めて貰った事を思い出した。あの時も屋根のある場所を探していてたら、ホテルのボイラー管理者が此処に寝なさいと暖かい部屋に案内してくれたのだった。


寝床が決まったのでカフェに戻り日記を書く。書いている間、紅茶をもう一杯飲みたかったので、そのキャッシャーの男の人にお金を払おうとしたら、今度は要らないと言う。それから更に日記を書き進めた後、オレンジジュースを買うことにした。そのキャッシャーの人は俺が小銭を持っていることを知っていた。10ルーブルの札一枚を取り、俺が持っていた全ての小銭をカウントした。でも小銭は40ルーブル位しか無かったのだと思う。ジュースは60ルーブルと書かれていた。足りないはずだ。でもこれ以上は要らないとジュースをくれた。僅かな金額かも知れないが、本当にありがたい事だった。

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