2008年5月08日 (12日目) M60、ハバロフスク (Хабаровск)、マリーナ宅



今日は、今回のサイクリングで一番永い一日だった。でも、最高の日になった。
(追記:結果的に5ヶ月のサイクリングでも一番永い日になった。)

今日の終点、ハバロフスクで泊めてもらったのは、ウラジオストックのエフジェニア(ジェナ)の友人でルチェゴルスク (Лучегорск)に住むリタの友人の二人の娘さん達が住むアパートだった。

ウラジオストック市:エフジェニア(4/27泊)
ルチェゴルスク町:エフジェニアの友人・リタ(5/4・5/5泊)
ルチェゴルスク町:リタの友人夫婦
ハバロフスク市:リタの友人夫婦の娘さん、マリーナとアーニャ(5/08泊)

朝は署員のビリヤードで遊ぶ音で目が覚めた。朝早かったが、日記を書く時間が出来て良かった。

朝7時くらいだっただろうか、署員全員が壁際と消防車の前とに向かい合うように並んだ。朝礼が始まって、直ぐに予行演習になった。恐らく毎朝の練習のようだった。サイレンがけたたましくなり、殆どの署員は各消防車に乗り込んで、何人かは消防車が直ぐに出られるように大きなドアを開け、数人は監督なのかその様子をストップウォッチを片手に見守っていた。


練習が終わりアンドレ達に別れの挨拶する。泊めて貰えるだけで充分だったので、水も紅茶も求めずに足早に消防署を後にする。発ったのは8時くらいだったと思う。

気温は7度。朝はいつものように霧だった。気温は中々上がらず、温かくなったのは午後だった。

朝のM60 の幹線道路は空いている。霧の中をトラックを飛ばす事が出来ないので、どのドライバも朝はゆっくりなのだろう。


今日はハバロフスクまで行かないといけなかったので、永い一日になる事は分かっていた。だから、先ず食べ物を店(マガジン)で買う。ヴャーゼムスキーの消防署からそれ程離れてない場所にあった。その店の中は、全ての商品が格子で遮られていて、店員は格子の向こう側に居た。俺には珍しい光景だったので、写真を撮っても良いか、と聞くと駄目とは言わなかったので、店内の様子を撮る。


道は、相変わらずの登りと下りが続いた。そして、道路が一時、平坦になったと思ったら、林が、木が極端に少なくなった。そして、それから見事に風が吹き荒れた。冷たい北風だった。そしてその北風は結局夜まで続いた。



風の抵抗になるのは分かっているが、デジタルカメラの電池が無くなりかけていたので、ソーラーパネルをサドルの後ろに広げて、充電をした。これで充電は2回目だ。ソーラーパネルを広げた時には、もしかすると雨に変わるかもと思ったが、暫く雨は降らなかった。でも夕方5時くらいに雨が降り出したので、ソーラーパネルを丸めてパニアに戻す。

朝の10時くらいから、今日ハバロフスクに泊めて貰うことになっているユリヤに電話するが、応答が無い。今晩本当に泊めて貰えるのか確認したかった。何度も何度も電話するが、応答が無い。その替わりに、ロシア語と英語のアナウンスがあって、この番号は一時的にロックされていると言う。

昼くらいにお店を見つけて、スナックを買って、それから携帯電話の課金もして貰った。英語が全く通じなかったが、お店の若い女性は親切にしてくれた。しかし、その後で、ユリヤの携帯電話に電話してみたが、やはり同じだった。


ユリヤは学校へでも行っていて、携帯の電話の電源を切っているのだろうか、と最初は思った。でも、何度電話しても同じなので、ウラジオストックのエフジェニアに電話してみたら、彼女との電話は通じたが、ユリヤとの電話通信は俺の携帯電話に問題があると教えてもらった。

左の膝が痛む。2枚のスエットパンツを重ね着しているが、冷たい北風は容赦なく吹き付け、午後になっても気温が上がらない。冷たい風を遮る為に買い物のビニール袋を裂いて、両膝に巻きつけた。最初は具合が良いと思ったが、長く続かなかった。直に左膝はまた痛み出してしまった。

(追記:この日のこれ以降の写真は無し。自分が大変な時は写真が撮れないのだった。)

午後3時位だっただろうか、先に行くトヨタ製の乗用車が路肩に止まった。日本からの輸入車で、右ハンドルだ。俺はその車を横目に見ながら先に進んだ。すると右側の運転席のドアが開いたので、ドライバは煙草でも吸う為に降りるのだろうと思って通り過ぎた。

しかし、またまた不思議な事が起こる。後ろから女性が日本語で「なおとさん」叫ぶ。自転車を止めて振り向くと23、24歳と思われる女性がその運転手と一緒に歩いてくる。俺はこの二人を知らない。でも、先方は俺の名前を知っている。何が何だか分からない。どういうことなんだ。

3人で話を始めると、その女性は日本語で自分の名前はマーシャと言った。ハバロフスクに住む友人宅に今晩泊まって下さい、との事だった。夢のような話だった。俺は元々ユリヤの家に泊めてもらう事になっていたが、ユリヤとは電話で連絡がつかないので、どうしたものかと悩んでいたのに、まるで棚から牡丹餅が落ちたようだった。

マーシャと一緒の男性はセルゲイ。(追記:この時は、このセルゲイと数日前に逢っていた事に気付かなかった。)

マーシャの友達の名はマリーナ。マーシャとマリーナの電話番号を教えてもらう。そしてマーシャは、「車にのってハバロフスクに行きましょう」と言う。俺はこの時、車に乗せてもらうなど以ての外、と思った。

3人で立って話をしていると冷たい風が容赦なく吹き抜けていく。俺はこの可愛らしい女性が寒かろうと思って「ごめんなさい」と日本語で言うとマーシャは、「私はハバロフスクで育ちましたから大丈夫です」と言っている。でも、オーバーコートを着たマーシャの肩は窄んでいた。

そして、恐らくハバロフスクまでそれ程の距離では無いと思ったので、「俺は急いでハバロフスクまで走っていくから早く車に戻って下さい。多分5時間位で着くから。」と、誘いを断った。これが大きな間違いと気付くのは日が沈んでからだった。5時間とは言ったものの、本当はもっと早く着けると思っていた。

(追記:この時、マーシャとセルゲイがどうして車で通りかかったのか俺は知らなかった。)

マーシャとセルゲイが先に行く。冷たい北風は弱まらなかったが、俺の気持の中では北風はもう冷たくなくなっていた。ハバロフスクの都会でテントを張らなくて済む。屋根の下に寝られる、と思っただけで凄く嬉しかった。

ハバロフスクに近付いた時には、もう日は落ちてしまっていた。不味い。俺は懐中電灯も何も持ってない。暗闇の中を進まないといけない。夕闇の道を進むとハバロフスクの入り口のサインが見えて、本当だったら記念写真でも撮りたいところだが、そんな余裕は無かった。

俺はひたすら走った。そしてハバロフスクのサインを超えて、最初のお店に入って、携帯電話の課金を試みた。店内に課金用の自動販売機があって、それを使えば出来ると店員は言っているが当然全てがロシア語表示なので、課金できない。呆れた若い女性の店員は、結局手伝ってくれ100ルーブルを課金した。でも、俺の携帯にはその表示が無い。課金されてない。俺の携帯はどうしてしまったのかと思った。

不思議な事にいつでも困難な事に逢うと誰かが助けてくれるのだった。俺の携帯電話が鳴るのだった。俺は電話できなかったが、受信は出来ていたのだった。ハバロフスクで待っているマリーナからの電話だった。

俺は、マリーナの家に着くのが相当に遅れそうだったので、それを電話で伝えたかったのと、マリーナの家がハバロフスクのどの辺なのか知りたかったので、マリーナにもマーシャにも電話していたのだったが、二人の電話は応答が無かった。だから、マリーナから電話があった時には、嘘のようなことが現実に起こったと思った。

マリーナは俺に今の場所を教えて欲しい、と言う。周りは暗闇で何も読めない。でも、丁度お店から出てきた10歳と12歳くらいの姉と弟の兄弟と思われる二人に携帯を代わってもらった。でも、マリーナには俺の居場所が伝わらなかった。

でも、マリーナとマーシャは、俺が来るまで道に出て待っているからと言う。俺はハバロフスクの詳しい地図を持ってない。俺がどこに居るのかも分からず、待たれたら困ると思った。温かい夜だったら良いが、10度は切っている。とりあえず道を進んで見ることにした。マリーナは「インスティチュート・コントーレを目指して来て下さい」と言う。

俺は走った。電灯が無いので暗闇を走った。途中、立体交差があった。分岐点だ。これを間違えたら、全然違う方角に進んでしまう。でも、おれは真っ直ぐに進んだ。もし間違っていても、もうそれは仕方ないと思った。体力の限界がきたら、どこにでもテントを張れば良いと思った。

暫く走ると、バス停が左手に見えた。20人位の人がバスを待っていたので、俺は近付いて、「グジェ・インスティチュート・コントーレ?」と叫んだ。すると酔っ払いが、指を一本立てて、1キロと言っている。でも、他の人の小さい声では、10キロとも聞こえた。

俺は只単に願った。1キロであることを。坂を登る。暗闇の中、東に向っているのか、北に向っているのか分からなかったが進んだ。1キロ進んでもインスティチュート・コントーレはない。数キロ進んだが、出てこない。やはり10キロと言った人が正しかったのか。でも、俺は道路脇に人を見つけては、「インスティチュート・コントーレはどこ?」と聞くと、誰もが真っ直ぐと答えてくれたので、先に進んだ。

でも、田舎道のように街灯が無いわけではなく、所々に街灯があり、街の様子が少しだけでも分かって、俺は街の中を進んでいる気がした。

そして信号のある交差点付近で携帯電話が鳴った。マリーナからだった。俺がどこへ行ってしまったのか心配している。俺は不味いとは思ったが、4人の若い男が乗っている車に近寄って、携帯を渡してマリーナと話して貰った。悪い輩だったら俺の携帯をそのまま持って走り去ることも出来る。でも、あの時の俺にとっては、他に手段が無かったので、携帯を取られてしまっても構わないと思った。

でも、助手席の青年はマリーナと少し話しただけで、俺の携帯を直ぐに返してくれた。マリーナは俺に、もう少しだから頑張ってと言う。運転手にも彼女にも俺がどこにいるか分かったようだが、俺にはあと100メートルなのか1キロなのか分からなかった。とりあえず電話を切って走る。

近い事には間違いない。大きな通りなので間違えようが無いだろうと思った。そして別のバス停に近付いた。暗闇の中、二人の女性が道を横切るのが見えた。二人とも背が高く若く見えた。俺は、道を渡ったその二人がマーシャとマリーナであることを願った。しかし、それが二人だと分かるまで時間が掛からなかった。二人は俺に手を振っている。俺も嬉しくて嬉しくて手を振った。そして近付いたらそのうちの一人は7、8時間前に会ったマリーナだった。嬉しい瞬間だった。二人がこの寒い中をどれだけ外で待ってくれていたのか分からない。ありがたい、等と簡単に片付けられる事ではなかった。

マリーナは、マーシャの事を紹介してくれて、3人で歩いてマリーナの家(アパート)に向った。俺の事を寒い中、待ってくれて大変だったと思ったが、二人は俺が無事にハバロフスクに着いた事を嬉しく思ってくれているようで、俺はとても嬉しかった。

マリーナのアパートは4階だった。マーシャよりもマリーナの方が体格が良く、マリーナは自転車を4階に上げるのを手伝ってくれた。俺の体力は限界に近かっただろうが、階段を登って4階に自転車を上げた。アパートのドアはマリーナの妹アーニャが開けてくれて我々を迎えてくれた。その時、既に夜10時を回っていた。

ここから、マーシャとマリーナとアーニャの3人の女性に俺は歓待を受けるのだった。俺はまずシャワーを浴びさせてもらった。4日振りのシャワーは気持ちよかった。シャワーから出ると、3人は食事の用意をしてくれていた。狭いテーブルには所狭しと沢山の皿が乗っていた。3人とも俺が来るのを待っていたのだった。

マーシャとマリーナは友人で、二人ともハバロフスクの大学で日本語を勉強していた。だから、アーニャには我々の日本語の会話は分からない。でも、全員が英語を理解していたので、俺は疲れていたのに時間を忘れて色々な話を3人にした。あっという間に12時を回ってしまったので、皆寝る事にした。明朝は、パレードがあるので一緒に行く事になった。

アパートには大きめの寝室が一つしかない。でも、彼女達は既に空気の入ったマットレスを敷いて、彼女達3人が並んで寝れるように準備してあり、俺には部屋の中に一つだけあったベッドを使って、と言ってくれた。

俺はベッドの上に寝袋を広げ、寝袋に入った瞬間、数秒で寝てしまったようだ。

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